第29話 シレジアサイド:氷の魔女

 幽閉されているとはいえ、塔での生活はなかなかに快適だ。

 3食昼寝付き。

 3時にはお茶まで持ってきてくれる。

 本やノートくらいなら、希望すれば自由に与えられる。

 

 俺の罪はそんなに重くないからだ。

 王宮主催の舞踏会で、ドレスディアに掴みかかって、騒がせた。これだけ。


 ――うん? 王宮の舞踏会で騒ぎを起こしたんだから結構な罪なのか? どうだろう。


 裁判は既に終わっている。

 俺に課された罰は、数か月の幽閉と、子爵位の返上。



 ホッとした。心底ホッとしたよ。



 もう子爵なんて、こりごりだったから、爵位返上と聞いて、心底ホッとしたんだ。

 

 


「ああ、落ち着くなあ」




 憑き物が落ちるって、こういうことをいうんだろう。

 今日も俺は3時のお茶を飲みながら、塔の小窓から目の覚めるような青い空を眺める。

 遠くの方に、何の種類かは分からない白い鳥が、列を組んで飛んでいくのが見えた。

 幸せだ。



 しかし落ち着くは落ち着くのだが……。

 だけど最近、新しい苦痛が俺を襲うようになっていた。

 あまりにもヒマすぎるのだ。

 ただ差し入れられる食事をとって、本読んで寝るだけ。

 暇すぎだ。




「なあ、なんか仕事でもないか? 別に給料寄越せとか言わないから。暇すぎて死にそうなんだ。書類仕事とか、細かいデータの管理とか得意だぞ、俺」


 最近は幽閉の緊張感も薄れてきていて、衛兵と雑談をするまでになっていた。

 そこそこ返事をしてくれる衛兵が通りかかった瞬間を狙って、ダメ元で雑談のつもりで言ってみた。

 兵士たちも、俺がそんな大それた犯罪者じゃない、小心者のちょっと道を踏み外した間抜けだっていうことを知っているのだ。

 というかこの塔には、そんな者しか収容されていない、大分緩い幽閉塔らしい。

 これも衛兵情報だ。



「仕事がしたいだって? 幽閉中にそんなこと言う奴は初めてだな」



 王宮の衛兵と言えばエリートだ。

 エリートと言っても貴族ではない。

 つまりヒエラルキーでいえば、俺とちょうど同じ出身階級くらい。


 きっとこの衛兵も、俺と同じように、若い頃はどこかの寄宿学校かなんかで、バカやってたような人間だろう。

 話をしていてとても落ち着く。


そもそも俺の器は、このくらいなんだ。

間違っても伝説の聖者の直系とか、勇者の末裔とか炎の王子に関わって良いような人間じゃない。



「お前も、何もしないでずっと寝転がっていていいって言われてみろよ。最初は天国でも、1か月もしないうちにヒマでヒマで、仕方なくなるぞ」

「ふーん」


 衛兵は興味なさそうに答えた。


「あのさあ、本当に偶然なんだけど、お前の部屋の小窓から見える北東側に、塔があるだろう?」

「ああ。魔術師の塔」

「俺あそこの警備にもつくことあるんだけど。つい昨日、魔術師様に、実験結果の書類の整理ができる奴はいないか、仕事さえできれば身分不問、犬でも良いって言ってるのを聞いたところなんだよな」

「なんだって!?」


 なんということだ。

 書類の整理。

 しかも魔術師の実験結果の整理とは。

 俺の得意なことドンピシャな仕事だった。



「俺にピッタリな仕事じゃないか。犬でも良いって……幽閉中でも、いけるんじゃないか」

「それはさすがにどうだろうな。幽閉中のヤツに書類仕事を頼むなんて、聞いたことないし。普通だったら脱走の手引きとか疑われるだろうし。でもお前の罪はしょぼいし。……こんな偶然そうそうないから、一応聞くだけ聞いてみてやるよ。期待しないで待ってろよ」

「ああ、頼む!」




 かくして俺は、世にも珍しく、幽閉中に仕事を見つけた男となった。

 王宮の中の塔にいる魔術師という事は、宮廷魔術師だろう。

 そんな人が小心者の間抜けとはいえ、一応犯罪者に大切な書類を見られても良いのかと不思議に思ったけれど、逆に塔から出られない俺は、情報が漏洩する心配がなくて、ちょうど良かったのだそうだ。



 持ち込まれた膨大な資料には、様々な実験の結果が、殴り書きのように書かれていた。

 その内容から、この書類の主が水系の魔術師だということが分かる。

 様々な石に様々な条件で水の魔力を注いで、どの程度魔力を込められるかを実験している。

 更に粉末にした場合と、細かく砕いた場合、水に溶かした場合、他の系統の魔法との反応、その時の効果……本当に、気の遠くなるような数の実験の結果が、雑然とメモされている。

 確かに、この調子だと実験の結果を綺麗にまとめるなんて作業は、誰かに丸投げしたくなるだろう。



 最初からこれほどの量の資料を任されていたわけではない。

 少しだけ渡された資料を完璧に分かりやすく書き直して送り返す。

 次にきた資料をまた完璧に分かりやすく整理する。

 その中で、前回の資料と関連付けたら面白そうなものなどはその旨を書き添える。

 そんなことを繰り返しているうちに、どんどん渡される資料の量が増えていった。



 そうして膨大な量の実験結果の数値を眺めていた俺は、ある鉱石を、とある地方の水に浸しておくと、水魔法を吸収しやすいのではないかなーという疑問をもった。


 俺が見れるのは、ただ資料に書いてある数値だけなので、確信はない。

 実際に実験してみないと分からないだろう。


 そこで俺は、メモにその考えを書いた。


 すると数日後、その通りの実験結果が書かれた資料が返ってきた。


 ――やっぱりなー。

 自分の考えが当たって、ちょっと嬉しい。


 それにしても、この水魔法の使い手は、なかなかの術士のようだった。

 

 王都で薬草園を作れたのは、ニーナの桁外れの聖なる力だけでなく、たまたま見つけた質の良い炎の石の効果も大きかった。

 もしかして、この魔術師の力を込めた水の鉱石を、1日ドレスディア領の湧き水―ある意味ちょっとした聖水――に浸して、この術士の水魔法を込めて、粉末状にして、炎の石を砕いたものと一緒に土に混ぜたら、もっと薬草が育ちやすくなる気がしてきた。


 また今度、その旨を書いて資料を戻す。



 ――とても楽しい。俺の天職はこれかもしれない。



 資料整理と分析。



 地味―だけど、これが俺の天職だ。


 決して子爵になって領地を経営したり、国一番の強豪兵団を育成したり、奇跡の薬草園で荒稼ぎすることじゃない。


 一日中塔にこもって、膨大な資料をコツコツ分析。

 とても居心地がいい。

 もうこの塔出たくない。


 しかしあと1か月後には、俺の幽閉の期限が終わってしまう。

 幽閉が終わっても、この資料の持ち主の魔術師の元で働いたりは、できないものだろうか。


――無理だろうなあ。


 期限が過ぎれば、俺はもう子爵でもなんでもない、ただの犯罪歴のある一般市民だ。

 国直属の魔術師の元に就職するなんて、無理に決まっている。



 ――まあせいぜいあと1か月間。幽閉生活を満喫するか。



 そう思っていたのに。



「おい、コナー・シレジア、出ろ。喜べ、1か月幽閉期限が短くなったぞ。よかったな」



 見慣れてきた衛兵が、嬉しそうに目配せしてくる。

 俺もそんな気がしていたけど、こいつとはちょっと友情が芽生えてきている気がする。



 まあそれは嬉しいんだが、そいつが持ってきた知らせは、俺にとっては嬉しくもなんともなかった。



「なんで幽閉期間、短くなったんだ。もっとこの生活を楽しみたかったのに」

「そうなのか? なんでだよ」

「いや考えてみろよ。3食昼寝付き、3時のお茶付き。更に天職のような仕事ができる環境って、他にあるか? しかも俺は、ここから1歩外に出た瞬間、前科もちの一般市民になるんだぞ」


 口ではそうは言いながら、まあなんとかなるだろうとも考えていた。

 シレジア子爵なんて大層なものになる前から、しっかりと商会で働いていた実績がある。

 やはり何事も経験だろう。

 経験があれば、探せばきっと、職場は見つかる。



「ああ、それなら心配ないぞ。お前に資料を整理させていた魔術師が、お前を雇うと言っているから。そのために嘆願書を出して、お前の幽閉期間を短くしたらしい」

「なんだって!?」



 それは願ってもない。朗報だ。

 ちょうど俺の天職だと思っていた資料整理を、これからもしていけるなんて。



「お、今度は嬉しそうだな。じゃあこの書類にサインしてくれ。水の魔術師様が後見人になってくださるという書類だ」

「分かった」


 ざっと書類に目を通すと、水の魔術師様が俺の後見人になってくれること。それによって、幽閉期間が1か月短縮されたこと。解放された後、最低5年は水の魔術師様の元で働くという内容の書類だった。

 

 願ってもない。

 俺ははやる気持ちを抑えきれず、ワクワクしながら承諾のサインをした。



「やった! これが俺の天職だよ。これからは地味に、塔にこもって、資料整理して暮らしていくことにする。もう勇者の末裔やら炎の王子やらはこりごりだ」

「ははははー。勇者の末裔や炎の王子がこりごりで、水の筆頭魔術師ならいいのか。おかしな奴だな」

「……なんだって?」

「だから、水の筆頭魔術師。通称、氷の魔……あ、いえ」



 ペラペラと話しながら俺の前を歩いていた衛兵が、突然黙って立ち止まる。


 どうやら誰かがいて、話を聞かれてしまったようだ。


 いかにも魔術師然とした、長ったらしいローブを着た小柄な人物は、俺たちの方に、冷たいアイスブルーの、凍えるような視線を寄越していた。



「その『氷の魔女』は私だが? 遅いぞ、犬。いつまで待たせるんだ」



 冷たいアイスブルーの瞳と髪を、大きめのローブの奥に隠した人物。

 水の筆頭魔術師! 通称氷の魔女。

 国直属の魔術師どころか、その筆頭だと?



 とてつもなく嫌な予感がする。

 もう俺は、資料の整理でもして、平凡に生きていきたいんだ。

 大聖者の直系とか、怪しい術を使う聖女とか、勇者の末裔とか、炎の王子とかこりごりなんだ。


 ――ついでに水の筆頭魔術師、通称氷の魔女なんてのもお断りだ!



「大変申し訳ございません。私などが、水の筆頭魔術師様のお役に立てるとは到底思えません。もったいないことですが、今回のお話はなかったことに」

「何を言っている。私が身元を保証する約束で、お前を解放してやったんだぞ」

「それはなかったことにしていただいて、結構ですので。意外とこの塔の生活を楽しんでいるので、あと1か月間、大人しく幽閉されていることにします」

「そうは言っても、既に契約済だ。今更破棄はできない……というかさせる気はない。さっさとついてこい、犬」

「いえいえ。私の方は、契約した覚えは……」


 ――あるな。しまった、ついさっき、俺はそんな内容の書類にサインをしてしまったばかりではないか。


 でもまだ間に合う。

 あの書類は、まだ衛兵が持っているはず。

 氷の魔女の手に渡る前に、取り戻して破ってしまえば……。



「おいそこの衛兵。さっきの書類を出せ」

「はっこちらに」

「ああー!! それは――!!」



 それは、先程浮かれてサインした書類だった。

 俺の訴えかけるような目線を無視して、衛兵は流れるような仕草で、魔女に書類を渡してしまう。




 しまったー!! いくら浮かれていたからといって、なぜ俺は雇い主の正体も良く知らずにサインをしたんだ!! 本当に間抜けだなオイ!!



「いえそれは間違いで……」



 衛兵は俺の伸ばした手から、ひょいと書類を遠ざけて、氷の魔女のほうに渡してしまう。


「ふむ。よくやった」


 書類を受け取った氷の魔女は、すぐさまそれをローブの奥深くに隠してしまう。



「ほれ行くぞ」

「俺は! もう平凡に生きていきたいんです。水の筆頭魔術師とか、氷の魔女とか、そんな大それた人に仕える気なんてないんだ!」

「あれだけ膨大な数字の羅列を組み合わせて、推論して、結果を導き出せるような奴は平凡じゃない。大体奇跡の薬草園だって、お前がいなきゃできてなかったんだろうに」

「いやそんなことは。あんなの誰だって見ればすぐ分かることですよ」

「そんなわけあるか。アホか。お前が勇者の末裔とか、氷の魔女にぶち当たるのは偶然じゃない。お前がそういう運命だからだ。諦めるんだな」



 氷の魔女がそう言ったかと思うと、急に腕の周りをぐるっと氷に取り囲まれて、動かせなくなってしまう。


「クソっ、なんだこれは」

「氷の拘束具だ。おいそこの衛兵。こいつを魔術塔の私の部屋まで連行しろ」

「はい!」


 

 衛兵は迷うことなく俺をこの魔女に売り渡すことに決めたらしい。

 先ほどちょっと芽生えたかと思った友情は、気のせいだったようだ。



*****








 交代の時間になった衛兵は、詰所の食堂へと入る。

 同じように休憩に入った衛兵仲間が数人、先に席に付いていた。



「コナー・シレジア元子爵、魔術師塔に送ってきたよ。話が合って結構好きだったから、いなくなってちょっと寂しくなるな」

「まあ、魔術師塔の警護の時に、また会えるだろ」


「そうだなー。どっからどう見ても平凡そうなのに、変な聖女に唆されて、勇者の末裔に襲い掛かって、子爵位をはく奪されるなんて、不憫な運命のヤツだよ」

「そんで次は、あの氷の魔女のところに売られていったのか。この先どうなるんだろうな、あの元子爵」


「さあな、全然分からん。俺らみたいな平凡な人間とは、なんか違う世界に生きてるんだろ」







*****


手違いで、しばらくの間28話の「シレジアサイド:平凡な男」を、再度29話として掲載してしまいました。

読んでいただいた方、同じお話を読ませてしまって申し訳ございませんでした。

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