第3話 私は陥れられていたようです
「行き先は、乗合馬車の駅で良いか?」
「……はい」
店を出て、しばらく無言で腕をひいていてくれていたアレフさんが、やっとそう話しかけてきた。
アレフさんが腕を離そうとしたら、私がその場でヘナヘナと座り込みそうになったので、慌ててまた腕を掴んでくれる。
どこか休むところを探そうとしてくれたのか、キョロキョロと辺りを見渡したアレフさんだったが、適当が場所が見つからなかったようで、結局再び歩き始めた。
乗合馬車の乗り場はすぐそこだ。
ベンチもあるので、そこで休めると思ったのだろう。
「あの、ありがとう、ございました」
やっとのことで、途切れ途切れにそれだけを言う。
子爵家お抱えの兵士達のことは苦手だったけれど、アレフさん個人には嫌な感情は湧いてこない。
アレフさんは、私が子爵家に勤め始めた最初の頃にはよく回復に来ていたけれど、最近はよほどの怪我でもしなければ、私のところにこなくなっていた。
そのせいか2年前あたりの、兵士達とも仲が良かったころの、幸せな時の印象のままだ。
アレフさんを見ても恐怖心はわいてこない。
「ニーナさんには何度もお世話になった。普通なら一生治らないような傷まで治してもらったんだ。このくらいのこと、当然だ」
そう言ながら、アレフさんが右腕の袖をめくって力こぶをつくって見せる。
その腕には、私が子爵家で働き始めた頃に回復した時の大きな傷跡が、まだうっすらと残っていた
アレフさんの言葉に、また涙腺が緩みそうになる。
――私に感謝してくれる人も、まだいたんだ。
「あいつらはダメだな。……いやもうシレジア子爵家の兵団は終わりだ。ニーナさんが退職して田舎に帰るって聞いて、俺も見限った」
「え? ダメってなにがですか?」
「ニーナさんの力だけに頼りきりだったからな。特にあの3人。もう体が楽を覚えちまって、本来の自分の力の使い方なんて、覚えてないだろうさ」
「……??」
「分からないなら、良い。ほら着いたぞ。俺も乗合馬車で田舎に行くから、ここでお別れだ。ニーナさんはどこ行きの馬車だ?」
アレフさんは、駅までずっと私を支えて、しかも荷物まで運んでくれた。
最後の最後に、王都で話した人が、良い人で良かった。
心から、そう思った。
「ありがとうございました。私が向かうのは、故郷のドレスディアです」
そう言いながら、先ほど確認済の、ドレスディア領行きの馬車乗り場を指さす。
「そうか、大辺境伯様の領だ。いいところだな。俺はカルジス領へ行くつもりだ。俺の故郷だから、護衛の仕事の一つや二つ、見つかるだろうと思ってな」
「そうなんですね」
カルジス領。
ドレスディア領とは真反対の方角だ。
領土の半分が海に面している為、大陸の国境沿いのドレスディアとは大分様子の違った領だというのを聞いたことがある。
とにかく別方向なので、アレフさんとはここでお別れだ。
食堂を早めに出てきてしまったので、二人で待合所で待つことにした。
待合室は木でできた小屋になっている。
中に入るとベンチがズラリと並んでいて、他にはなにもない。
本当に馬車を待つためだけの、雨風さえ避けられればいいと作りだった。
木で出来たベンチには何人かの旅人らしき人達がまばらに座っていて、本を読んだり、昼食時だからか、旅用の保存食をかじっている人もいた。
アレフさんと二人で、誰も座っていないベンチを選んで、腰を掛けた。
「さっきのあの3人……あんな嘘をついて、本当に酷かったですね。クロリスが私にイジメられただなんて、そんなこと言うはずないのに」
「……」
座ると同時に、そう切り出す。
これだけは先ほどから気になっていて、絶対に確認しておきたいと思っていた。
きっとアレフさんは「その通りだ、クロリスがそんなことを言うはずがない」と否定してくれると信じていた。
でも予想外なことに、アレフさんは深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
「あの……アレフさん?」
「俺は、ニーナさんに、大きな怪我を治してもらったことを、感謝している」
「あ、はい。先ほどうかがいました」
アレフさんの口から出たのは、クロリスが私がイジワルしたと言っていたことを否定するものではなかった。
それどころか、今の話題と何の関係があるのか分からない。
私が子爵家に勤めるようになってすぐに、剣術試合でアレフさんが大きな怪我をしたことがあった。
なんでも試合場に鳥が侵入してきたので、審判から『待て』が掛かったのにもかかわらず、対戦相手が止まらずに、切り付けてきたらしい。
普段にルールを守って試合をしていたらありえないような、腱が切れるほどの大怪我だった。
少しだけ跡は残ってしまったけれど、なんとか後遺症なく治療できて、心底ホッとしたのを覚えている。
アレフさんは当時そのことを、とても喜んで、感謝してくれた。
それとクロリスの話と、一体何の関係があるのだろう。
「だから、本当にニーナさんがクロリスをイジメているのかどうかは分からなかったけれど、俺だけは、受けた恩だけは返そうと思っていた」
「えっと。それって、どういう……」
とっさに意味が分からない。
なんだか嫌な予感がする。
私にとってよくない意味のような気がするけれど。
「俺もクロリスに、ニーナさんから虐められていると、相談されたことがある。本当に苦しそうに、辛そうに泣いていて、とても演技とは思えなかった」
「えっ……えっ……それって、アレフさんも、私がクロリスのことをイジメていると、思っていたということですか」
「いやそこまでは……」
アレフさんが、気まずげにポリポリと頬を掻きながら、私の視線から目をそらす。
信じられない。
クロリスが裏で、本当に、兵士さん達に、私から虐められていると、泣いて相談して回っていたということ?
私はあの可愛らしい小動物のようなクロリスをイジメる、悪女だと思われていた……?
「い、いや! 俺はニーナさんが、サボっているとか、適当に仕事をしているとまでは思ってなかったぞ? ニーナさんの回復の腕は、今まで見たこともないくらいの一級品だ。だからその点については、ニーナさんのことを信用していたさ」
「わ……私、クロリスをイジメている上に、適当に仕事をして、サボっているって、思われていたんですか!?」
「いやだからそれは! 俺は、信じていなかったさ! クロリスとか、他の兵士達がそう噂していただけで。優秀過ぎて、逆に頼りすぎそうだから、できるだけ俺は回復を掛けてもらわないように気を付けていたくらいで」
アレフさんがまだ何かを言っているけれど、視界がせまくなってきた上に、まるで水の中に潜ったように、息が苦しくて、何を言っているか分からなくなってきた。
声も段々と小さく、聞こえにくくなっていく。
頭が言葉の意味を理解したくないみたいで、考えがまとまらない。
「おいおい、まさかクロリスの方が、嘘をついていたってことか? あ? どこまでが嘘だ? じゃあ子爵様とクロリスが出会った頃から愛し合っていたのに、薬草園への魔力補充を盾にして、ニーナさんがなかなか別れてくれなかったっていうのは……?」
――聞きたくない。
アレフさんが、悪気がない事は、分かっている。
むしろ私がどんなことを言われていたか、教えてくれようと、何が真実で何が嘘なのかを見極めようとしてくれている。
――でも、こんなこと聞きたくなかった。
子爵様は優しくてご立派な方で、クロリスは可愛くて、私を慕ってくれている後輩。
そう思ったまま、いっそ騙されたまま、田舎に帰りたかった。
「おい、ニーナさん。どうしたんだ? おーい、大丈夫か?」
――ああ、そうなの。私はあの可愛くて子ウサギのようなクロリスから……。
膜の外側から、アレフさんが呼びかけてくる声が、ついに聞こえなくなる。
パクパクと口だけを動かすアレフさんが徐々に暗くなっていって、ついに完全な黒になる。
――私は陥れられていたようです。
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