第8話 side 琴葉

ヘッドフォンを外して、「わかりました」と小さく呟いた。



「そこの喫茶店で話しましょう」

「はい」



お義母さんに言われて、喫茶店に入る。



「ホットコーヒーを一つ、あなたは?」

「あっ、私も同じので」

「かしこまりました」



店員さんは、お辞儀をして下がっていった。



「単刀直入に言うけど、音とはいつまで一緒にいるつもり?」

「いつまでって……。私は、いつまででも」



イライラしているお義母さんは、テーブルをトントン叩いている。



「ふざけた事を言わないでくれる」

「ふざけてなんていません。私は、音君とはずっと一緒にいるつもりです」

「お待たせしました」


ホットコーヒーが運ばれてくるとお義母さんは、すぐに砂糖をすくってカップに入れる。



「あなたが音の将来を駄目にしてるの、わかる?」

「将来を駄目にしてるってどういう事ですか……」

「確かに、あなたのその傷はお気の毒だと思うわ。音が近くに居たのに助けられなかったわけだから。だけど、そんな傷で音を縛り付けるのはやめて」

「私は、そんなつもりはありません」

「あなたにそんなつもりはなくても、音はそう思ってるの。あなたに申し訳ないって思ってるの。だから、別れられないのよ」

「音が私と別れたいと言ったのですか?」



お義母さんは、コーヒーにミルクを入れてカチャカチャとかき混ぜる。



「言ったわ、さっき」



お義母さんの言葉に私の頭の中にモヤモヤが広がっていくのがわかる。



「さっき……ですか」

「美弥子ちゃんとデートしたいのに、琴葉が別れてくれなくて困るって」

「嘘です。そんな事、音が言うはずありません」

「どう思うかは、あなたの自由だけど。あなたと違って、母親である私の方が本音を言いやすかったんでしょ」



お義母さんは、コーヒーが冷めたのを確認して飲み始める。



「あれあれ、ほら」

「うわーー、修羅場?」

「何、何?」

「さっきから、あの人可哀想」



消えたはずの雑音ノイズが、やけに大きい。

音が消してくれたのに……。




「さっさと音と別れてちょうだい。慰謝料が欲しいなら、私がお支払しますので……」



お義母さんは、鞄から名刺を取り出してテーブルの上に置いた。



「いい加減。音を解放して下さい。金額が決まったら、連絡して下さい」



お義母さんは、伝票を持って立ち上がりお会計をすると出て行った。



「うわーー、ヤバい」

「修羅場だよね、やっぱ」



さっきから、ずっと耳障りな雑音ノイズが聞こえてる。

私は、コーヒーに砂糖を入れてミルクも入れる。


大丈夫、大丈夫……。

自分に言い聞かせながら、コーヒーをゆっくりと胃袋に流し込む。


音が美弥子さんを選ぶなんてお義母さんの嘘に決まってる。

音が別れたいなんて、嘘に決まってる。


震えながらコーヒーカップを置いて、立ち上がり店を出る。

ベッドフォンをつけて、再生した。

音が大好きな曲を歌っている。



歩きながら、左の手の甲から走る傷を見つめた。

縛り付けてなんかいない。

そんな事、一度だってしてない。





去年の夏。

お父さんが心配していたある出来事が起きた。



「刃物を持った通り魔とかひったくりが増えてるってニュースでやってたから、琴葉も気を付けなよ」

「大丈夫だって、音は心配しすぎだから」

「だけど、ここ暗いでしょ?あっ、場所変えようか!」

「今さら、何言ってんのよ。ここからだとライブハウス近いんだから」

「わかってるけどさ……危ないでしょ?」

「大丈夫だって、5月の時も何もなかったでしょ」

「そうだね」

「大丈夫、大丈夫。じゃあ、19時に待ち合わせだからね」

「わかった」




徹君が出るライブハウス。

仕事終わりの音と私は19時に待ち合わせしていた。

ライブハウスの近くは、少し暗くなっていた。


夏になり、ひったくりや通り魔が増えてきているから注意するようにとテレビのニュースが告げるのを音は酷く心配していたけれど……。

私は、どこか他人事だった。



19時にライブハウスから近い場所で待ち合わせをしていて、私は音より早くついて待っていた。


「琴葉の嫌な雑音ノイズは、これが消してくれるから……」


初めてのクリスマスプレゼントに音がくれたヘッドフォンは、周囲の音を書き消してくれるものだった。

私は、いつもこれで音の声を聞くのが大好きで……。


だから、周りがざわざわと騒いでる事にも気づかなかった。

スマホを見ながら、音の声を聞く。


ふと、スマホから目を離した瞬間だった。

血走った目で男が私を見ていた。

振り上げたキラキラしたと何かに思わず顔を隠すように手を動かした瞬間だった。

鋭い激しい痛みが、手の甲から走る。


スマホが床に落ちて、ヘッドフォンの中に周囲の声が入ってくる。



「やめて……他の人は関係ないでしょ?」

「うるさい、うるさい、うるさい、みんな死ねばいいんだ」



もう一度、振り上げられた男の手をやってきた警察官が押さえた。



「やめなさい」

「琴葉……琴葉……大丈夫?」


いつの間にか、音がいて。

私は、安心して泣いていた。

結局、その日はライブハウスにはいけなくて……。

連絡しなくていいと言ったのに、音は私の家族にかけた。



「縫うほどではありませんでした。ただ、傷は深いので跡は残ると思います」



お医者さんの言葉にお母さんは泣いていた。

看護婦さんが処置をしてくれて、廊下に出ると音がお父さんに責められていた。



「だから、心配したんだ。君は、琴葉の傍にいたんだろう?なのに、何故守れなかったんだ」

「すみません」

「また、その機械を出してきて何の役に立ったんだ?立たなかっただろう?だから、琴葉がこんな事になったんだ。君が耳が聞こえていたら、琴葉を助けられたんだ。わかっているのか?」

「お父さん、やめて」

「琴葉……」



音のスマホ画面には、お父さんが話した言葉の羅列が並んでいる。

一方的に、音を傷つけるだけの羅列が……。



「私がヘッドフォンをしていたから気づかなかっただけなの。彼は何も悪くないの」

「何を言ってるんだ!傍にいながら、好きな人を守れなかったんだぞ!耳が聞こえないから」

「耳が聞こえないからじゃない。私のせいなの。私が、音楽を聞いていたからなの。何も状況をわかってないのに、どうしてそこまで彼を責めれるの?お父さんに彼を責める権利なんかないでしょ?私は、音がいなかったらどうせ死んでたんだから!別に殺されたってよかったんだから」



バチン……。



「琴葉……お父さんに何て事言うの。謝りなさい」

「謝らないから、私は謝らないから」

「琴葉……お父さんがどれだけ琴葉を……」

「だから何?お金払ってて、音帰ろう」

「琴葉……」



お母さんに頬をぶたれたのは、二度目だった。

前にぶたれたのは「明日には死ぬから」と言った日。



「琴葉、ちゃんとお父さんに謝ろう」

「いいの、あんな奴ほっとけば」

「琴葉……」



音は、何度も謝ろうと言ってくれたけれど。

私は、謝らなかった。






茶色くなってきてる傷をなぞる。

あの日から、お父さんには会っていない。

お母さんには、一度だけ会って謝ったけど……。


別にこの傷の責任をとって欲しいなんて、一度も思った事はなかった。

だけど、音は責任とるつもりで一緒にいるのかな?

音は、優しいから……。

言えなかったのかな?

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