月夜の晩の刀鍛冶

雛形 絢尊

第1話

「刀鍛冶が死人であると?んな戯けたことを申すでない」伊左衛門が胡座をかいて腕を組んでいる。

「しかし、それは誠に存じます」

八兵衛は慌てた様子で彼に近づく。

「浮かれるでない、其方は身体を休めるのじゃ」

のそのそと伊左衛門の耳元に八兵衛は近寄り、

「月夜の晩、擾坂でお待ちしております」


およそ二日後のことである。その噂を嗅ぎつけた伊左衛門はその場所へ向かう。指定された擾坂へ。

その頂上付近に八兵衛は居った。

刀を腰に携えて、その勾配な坂道を昇る。

絶好の天気である。空気は澄んでおり、兎の姿を目視出来るような快晴の夜だった。

鈴虫の音が徐々に大きくなっていく。

「お待ちしておりました伊左衛門殿」

「実に妙である、何故主は刀を持たぬのじゃ」

「儂ゃ彼の方の前では刀を持たぬ」

実に奇妙である。この時代にそんな腑抜けな武士など居ない。

「其奴は敵であろうか」

「存じておりませぬ」

「言葉で通用する相手であるのか」

「左様かと」

不明瞭な返答である。不審に思う伊左衛門は刀を手で持つ。

「此方で御座います」

彼が指さしたのは一軒の茶屋のような場所。

こんな場所に在ったものかと伊左衛門は問う。

「そう、昼は茶屋を営んでおりまする」

それにしても見覚えがない。

八兵衛は玄関扉の前で3回手を拝借した。

「これが決まりで御座います」

何と!戸惑いが顔を見せた途端。

ある人物が姿を現した。

その大柄で閻魔大王のような形相をした人物は

いかにも棍棒のようなものを持ち歩き、

町を襲撃するような鬼の表情である。

「何奴じゃ」大男は言う。

八兵衛は必死に受け答えをする。

「儂ゃ、貴殿の力を拝借したいと願い、

此方に出向こうた、八兵衛じゃ」

難なく彼は低い地鳴りのような声で

「入れ」と言った。

「忝い」彼に続いて伊左衛門も言う。

下駄を脱ぎ、座敷に順を追って座っていく。

「主、名前は伊左衛門であろう」

ご名答。何故儂の名を。

「儂ゃこの世の万物を知り得ている、勿論、貴殿のこともな」と大男は笑う。震えるように畳が揺れる。

「故に、目的は何じゃ」

大男は問いかける。

八兵衛は若干震えたように、

「次の決戦が迫る。お主の刀を見受けたい」

一瞬首を傾げた大男はまたもや笑い出す。

「何故じゃ、儂が死人であると知っている上に」

「貴殿でないとならぬのです」八兵衛は必死に言う。

八兵衛が私の目を見た。念を押せ、と言うことだろうか。

「成らぬ。しては簡単にこの伝家の宝刀を創ることはできぬ」

おそらくそうであろう、と伊左衛門は察している。

「但し」

大男は言った。

「酒蔵の大樽を切り崩すのじゃ、

そうしたら考えてやっても良い」

八兵衛は顔に出して喜んだ。

「何故、そのような事を」

大男はため息のような息を吐き、

「儂ゃ刀鍛冶を辞めさせられとう、

代わりに茶屋になったけえ」

「それでは其方の刀は」

「大樽の中に最期の一刀が在る」

あるのだ、巨大な大樽の中に刀が。

「次はいつぞに」八兵衛が問う。

「明日じゃ。運がええのう」

「忝い」八兵衛に続き伊左衛門も告げた。

彼らの足取りは早くなる。

彼の住む茶屋の奥へと向かう。

風を切り裂くように走り退ける。

もうじきに酒蔵が見えてくる。

こっそり侵入して大樽を切り崩すのだ。


難なく裏口から侵入し、恐る恐る足を踏み締める。

その大きな酒樽が月明かりに照らされて見える。

か細い声で八兵衛は、

「伊左衛門さん。遣りましょうぞ」と言う。

「御意」そうして我らはその大樽に一筋の傷を助けた。それを交差するようにもう一方も。

爆発したように、八兵衛の切った方から酒が溢れ出す。その匂いは尋常ではない。

「走って逃げましょうぞ」

伊左衛門はその様子をただ見ていた。

「早よ逃げな」

轟音と共に酒が溢れていく。その時だ。

敵襲、敵襲と報せが入る。

それは我々がしでかしたことではなく、

山を越えて彼らはやってきたのだ。

忍びのようなその格好の面々は、如何にも我々の命を狙っていた。我々は逃げ出すように酒蔵から逃げ出す。

「居ったぞ」

我々が驚いているその後ろ、

今排出できる全ての酒が主を待っている。

今にも全てを吐き出してしまいそうなほど溜まっている。征け。

その樽から噴き出した酒気は脳に沁みるものだ。

その数、凡そ10名すべてがその酒に溺れた。

皆が泡を吹いて倒れ、べたっと地面に張り付いている。その途端のことだ。

「これは何じゃ」地面に何かを見つけた。彼が手に持ったのは見たことのない絢爛豪華な刀だった。もしや、あの大男。

「逃げましょうぞ」と彼が提案し駆け出す。

「あの大男は何者じゃ?」

「まだ名を聞いてはおらぬよな」

と彼は会話を少し止めた。

「彼は酒の神様じゃ」

何者かが後ろに立っている。酒屋の主人だ。

酒の神様?と再び反芻する。

彼は刀鍛冶、茶屋の人間ではないのか。

「彼は酒屋を営んでおったそうじゃ」

情報が錯綜し、頭を抱える。

「彼の前世は酒蔵であった。彼は現世で刀鍛冶となった。しかし、彼の作った刀が用人を殺めた。彼は刀造りを禁じられた。茶屋を営んで、こそこそと刀を作り続けたのじゃ。やがて彼は処罰された。打首じゃ。」

 私をなでるような風が吹く。

私が見ていた彼はいったい。

「彼の生前最期の刀を儂の酒蔵に忍ばせていた」

私はこうしている最中にも、あの大男を思い出そうとしている。何者だったのか、いや顔がもう思い出せない。どんな顔をしていただろう。

騒ぎを嗅ぎつけた烏合の衆のどこかから高らかな笑い声が聞こえた。

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月夜の晩の刀鍛冶 雛形 絢尊 @kensonhina

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