のろいたち〜不老不死の陰陽師の物語〜
空岡
第1話 騒がしい霊(ポルターガイスト)
真昼の教会で、私は神父の言葉に目をしばたたかせた。
『最近夜になると、家中のものが宙に浮く』、私はそんな信じがたい現象をどうにかすべく、町の何でも屋から紹介された神父の元に相談に来ていた。
「それは悪霊の仕業ですね。どうです、私がお安く解決しますよ?」
「悪霊? でもうちには、そんなものが出るような覚えはないのですが」
私はうさん臭く笑う神父に向かって言い返した。神父は途端に面白くなさそうな顔をするが、私はなおも神父をまっすぐに見続けた。
「覚えがあろうがなかろうが、事実それはどう考えても悪霊の仕業でしょう。放っておけば、あなたの身が危険に……」
神父がいよいよ私を説得しようと詰め寄ってきた時だった。ばたん、と教会のドアが開け放たれる。
神父は小さく悲鳴を上げてとっさに私の背中に隠れる。おいおいこの神父、臆病すぎやしないか。こんなんでよく悪霊の退治なんて買って出たな。私は心の中でため息をつきながら神父を一瞥した後、開け放たれたドアのほうを見る。
黒髪の青年が、立っていた。上下真っ白な服に、小さな荷物を背負っている彼は、この国の人間ではないのは見て取れた。
「あなた……誰?」
「ああ、話の途中で悪かったな。通りすがりの旅人だ。でもあんた、ラッキーだぜ?」
黒髪の男はにやりと口の端を上げると、私と神父のもとに歩いてくる。神父はドアを開け放ったのが『青年』だと確認すると、私の後ろからようやく離れる。
「神父さん、あんた、エクソシスト?」
「もっとも、私は腕利きのエクソシストだが」
神父はコホンと咳払いをした。本当、この人はうさん臭いな。私は神父を上から下まで見渡した。
聖職者のしるしである黒い神父服の上からでもわかるくらいに、神父のおなかは肥えていた。この人、本当に悪霊退治なんかできるのだろうか。
「ふーん、ねえ、そっちのブロンズのお嬢さん。あんたは結構筋がいい」
「え?」
青年は赤色の瞳を細めてさもおかしそうに私に言った。何がおかしかったのか、私も神父もわからない。でも、この人は少しほかの人とは違う、そう感じている自分がいた。
それはこの端正な出で立ちのせいなのかもしれない。清潔感のある白い服に、短く切りそろえられた黒い髪、切れ長の赤色の瞳は大きくはないけど小さくもない。何より笑った顔は無邪気そのものだった。
「神父さん、この『騒ぎ』は、悪霊の仕業じゃあないぜ」
「な、なにを根拠に……!」
青年の言葉に、神父の顔がみるみる赤く染まっていくのがわかる。神父も一応エクソシストの端くれなわけだ。悪霊だと言い切った手前、それを否定されるのはプライドが傷つくのは当たり前だ。
「素人が何を……」
「ああ、ごめんね。言い忘れたけど俺はこう見えても一応同業者だから」
青年の赤色の瞳が鋭く光る。私も神父もその眼光にあてられて、一瞬息をのむ。やっぱりこの青年は、ほかの人と何か違うと感じてしまう。まとう空気が時々重くなるのだ。あどけない顔をしているのに、どこかその言葉には重みがあった。
「あんた、似非だね」
「な、なにを……」
青年の言葉に、神父が一歩前に出て青年の胸ぐらをつかんだ時だった。青年が神父に左手をかざしたかと思えば、神父はそのまま数メートル後ろに吹き飛び、壁にぶつかる。
「ぐあっ!」
「え?」
一瞬のことで、私は何が何だかわからない。なぜ神父が吹き飛んだ? この青年は、何をした?
私の頭は全く現状を呑み込めない。現状を呑み込めないのは神父も同じであっただろうけれど、私も神父もひとつわかったのは、この青年が『何かをした』ということだけだった。
「こ、この、化け物……!」
神父は壁にぶつかったあと床にうずくまってうめき声をあげていたが、震える足で立ち上がると、尻尾を巻いて逃げていった。ああ、やっぱりこの神父は似非だったのかな、なんて思う暇はない。この青年は何者なのだろうか。
「あーあ。逃げちまった」
青年は神父の後ろ姿を見てけたけたと笑い声をあげた。なんだかこの人、子供っぽいな。
さっきはあどけないと思ったけど、少し訂正だ。あどけないというよりは、子供っぽいんだと妙に納得してしまう。
「で、お嬢さん。そのポルターガイストなんだけど、よければ俺が退治してやろうか」
「は? あなたが? ていうか、さっきの、なんなんです……?」
驚きのあまり素っ頓狂な声が漏れた。何から突っ込めばいいのかわからない。私は深呼吸をして現状を整理しようとするけれど、それはうまくいかない。落ち着け、落ち着け。
……そういえばこの人、さっき神父と同業だとか言っていたっけ。つまりはさっきのは何かの術なのだろう。私は半ばそう思い込むことで、少しだけ冷静さを取り戻した。
「え、と。でも、悪霊の仕業じゃないのに、退治しなきゃいけないんですか?」
「ああ、まあね。理由なしに幽霊は現れたりしないからね」
青年は端正な顔に自信満々な笑顔を浮かべた。表情が目まぐるしく変わる青年だと思った。鋭い眼光を見せたかと思えば、子供っぽく笑ったり、真顔でとんでもないことを言ったり。
「まあ、放っておいても俺には関係ないけど。お嬢さん次第かな。どうする?」
退治してやろうといったそばから自分には関係ないと言い放つ青年は、どこか私に起きている現象を面白がっているようにも見える。
それでも私は先ほど見た、青年が神父を吹き飛ばした『力』のせいで、彼は本物のエクソシストなのではないかと思えてしまう。その結果、私が出した答えは「……お願い、します」という、青年の思惑通りであろうものだった。なんだか乗せられた気もするけれど、それでも私はこの青年に賭けてみることにした。
「りょーうかい。契約成立ね。あ、俺はヨミ。ジャポネの『陰陽師』ってやつで、まあこっちの言葉でいう『エクソシスト』と同じ生業の人間だよ」
青年――ヨミさんはなんとも信じがたい言葉とともに私に右手を差し出す。握手、しようということなのだろうか。というか、オンミョウジってなんなのだろうか。考えてもやっぱり答えは出ない。きっと私なんかには想像もできない世界の人間なのだろう。
「……私は、レイン。レイン・カルナツィオーネ」
私はそっとヨミさんの手を握る。あ、あったかいんだな。なんだか私はほっとした。先ほどの『力』を見たせいで、どこか彼が同じ人間だとは思えなかったからだ。
「そう。レイン、ね。いい名前だ。じゃあ、あんたの家に案内してくれるか?」
そうして私は、ヨミさんを私の家へと案内するべく歩き出す。空が憎らしいほど青く晴れ渡っていた。
道々私は考えた。
ジャポネといえば、エイジアのほうの国だったと記憶している。でもヨミさんは今まで出会ったジャポネの人とは少し違う気がする。
ジャポネの人は確かに黒髪ではあったけれど、赤色の瞳の人は見たことがない。ジャポネの人の瞳は黒か茶色しかいないはず。赤色の瞳は確か、アルビノの人の特徴だ。でも彼は、黒髪である。
というかそもそも、『オンミョウジ』ってなんなんだろう。エクソシストと同じとは言っていたけど、あの力はどうやって身に着けたのだろうか。
「レイン、俺に何かついてる?」
「あ、いや。何もないですよ?」
ヨミさんは私を見てにやりと笑う。なんだか見透かされてるような気がして、私は思わず彼から顔をそらした。
私はそんなに彼をじろじろと見ていただろうか。
「まあ、俺にもいろいろあってね」
「え?」
やっぱり見透かされていたのだろうか。そんなに私はわかりやすいだろうか。私の手に、緊張からの汗がにじむ。
いや、そんなはずない、見透かされるなんてありえないと私は深呼吸をした。
「なんでわかったんだ? って顔してるね」
「え、そんなことないです……」
それでも私は必死に否定する。分かるはずがない、人の心の中なんて、読めるものか。
「心なんか読めるはずがないって思ってる?」
「え?」
いよいよ私は挙動不審になる。そうだ、彼は『オンミョウジ』だった。きっとさっきの神父を吹き飛ばした力以外にも、色んな力を持っているに違いない。
「それも、『オンミョウジ』の力ですか?」
私は観念して彼の言葉を認めるような言葉を吐き出す。するとヨミさんはそんな私を見てけたけたと笑った。
「はは、あはは。レインは馬鹿正直だなあ」
「ヨミさん?」
私はなぜ彼が笑っているのかわからない。馬鹿正直って、どういう意味だろう。
「レイン、いくら俺でも人の心を読む術は知らないよ」
「だ……だって今、私の心の声を全部あてたじゃない……」
私が彼にそう返せば、彼はますます声を大きくしておなかを抱えて笑い出す。
「あははは。そんなの、そりゃあ分かるでしょ。大体の人間は俺を最初に見たとき、同じようなことを考えるからね。俺の力を見たならなおさら」
ヨミさんは私を見てパチリ、ウィンクをした。
馬鹿にされた! 私は彼の術中にはまっていたのか。気づいたが最後、私は恥ずかしいやら悔しいやらで、ヨミさんをにらむように見る。
「ヨミさん、最低ですね」
「だまされるほうが悪くない?」
それでもヨミさんは悪びれずに私に言った。この人、やっぱり子供っぽいな。私はそのまま彼を無視して家までの道を無言で歩いた。
「ひえー、なんだこれ、もうお城じゃないか。レインって本物のお嬢様だったの?」
「別に。こんな家、ただ広いだけでなんの面白味もありませんよ」
「ふーん」
ヨミさんの声が低くなる。
「あんた、独りなの?」
「……ええ、まあ」
あんなふうに言えば、だいたの人は私が独り身であることは察しが付くだろう。
私の家族は私が十の時に死んだ。それから九年、私は一人でこの家を守ってきた。寂しくないといったらうそになるけれど、それでも私は今の生活に満足していた。しているはずだった。
「そっか。まあ、あんまり考えすぎるなよ」
ヨミさんの手が私の頭を乱暴に撫でた。寂しくなんかない、私はずっと独りでやってきたのだから。だから今更誰かに慰められたって、悲しくもないし、涙なんかでないと思っていた。
でもなんで今、私の目から涙があふれて止まないのだろうか。
「ガキのうちは泣けるだけ泣いとけ」
ヨミさんの言葉が、なぜだか私の胸を締め付けた。
「ガキじゃないです……」
それでも素直じゃない私は、生意気な言葉を返していた。私が本格的に泣き出せば、ヨミさんは私を見ないようにして言う。
「ところでレイン、料理は得意か?」
「まあ、それなりには」
「じゃあ、俺に夕飯を作ってくれ。俺はその間、この客間のソファでくつろがせてもらおうかな。まあ、まだ腹は減ってないから慌てなくていいし、ゆっくりでいいよ?」
「……わかり、ました」
私が人目を気にせず泣けるための気遣いなんだろう。私は彼の厚意に甘えることにした。
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