神座市のふしぎ

平成03

第1話 田代真奈と再現箱(1)

「3年2組のみんな、今まで本当にありがとうございました。転校してもみんなのこと忘れないからね」




 美緒ちゃんはそう言うと深くお辞儀をした。泣きはらした赤い目を見ていると、わたしもまた泣けてきた。美緒ちゃんの転校を知った日から、もう何回泣いたかわからなかった。





 美緒ちゃんは運動も勉強も何でもできて、神座かむくら小学校のヒーローみたいな子だった。1年生のころは、見ているだけでなんだか嬉しくて、話しかけるなんて考えもしなかった。





 2年生で同じクラスになると、美緒ちゃんの方から話しかけてくれた。





「真奈ちゃん、同じクラスになれて嬉しい! 真奈ちゃんが読んでる本、いつも面白そうって思ってたんだ!」





 美緒ちゃんがわたしのことを覚えててくれたなんて……。嬉しさと驚きで固まってしまったわたしに、美緒ちゃんは笑顔でこう言ってくれた。






「ねえねえ、よかったらお友達にならない?」





 それからわたしたちはいつも一緒にいた。学校が終わると、公園やわたしの家で遊んだ。図書館でおすすめの本を教えてあげると「これがタダで読めるの? 図書館ってすごいね!」 と喜んでいた美緒ちゃん。





 ずっとずっと、こんな日が続くと思っていたのに。





 美緒ちゃんはお別れ会のあと、引越しの準備があるからと、みんなに見送られて先に帰ってしまった。





「真奈ちゃん! 引っ越してもずっと親友だからね、たくさん手紙も書くからね!」





 美緒ちゃんもわたしのことを親友だと思ってくれていて、嬉しかった。だからこそ、下校の道はものすごく寂しく感じた。いつも美緒ちゃんと笑って歩いた道は、1人だと長くてつまらないだけの時間になってしまった……。




 もう4月なのにひゅぅっと冷たい風が吹いて、思わず目を閉じてうつむく。




 顔を上げたら美緒ちゃんがいて、笑いかけてくれたらいいのに。




 ありえないことを思って、また悲しい気分になる。だけどこんなふうに落ち込むわたしの気持ちは、突然のできごとで現実に引き戻された。





「こんにちは。何だか元気がないように見受けられますが、何かお悩みが?」





 急に話しかけられて振り向くと、5年生くらいの男の子が立っていた。真っ白なシャツが春の風に揺れていてちょっと大人っぽい。




 年上の子と話したことなんてない。どうしたらいいかわからず黙ってうつむいていると、その子はわたしの手提げに何かを入れてきた。感触的には、駄菓子の箱……?




「これを差し上げます。困ったときは、きっと神様が助けてくれますよ」




 耳元で声がして、びっくりして顔を上げると、もうその子はいなかった。何となく背中に寒気を感じて、小走りで帰った。





「ただいまー」




 鍵を開けて家に入り、両親の言いつけを守って大きな声で「ただいま」を言う。防犯上大切なこと、らしい。





 ランドセルを下ろし手提げを置くと、カタン、と聞き慣れない音がする。そういえばさっき、あの子が手提げに何かを入れていたような。





 中を探ってみると、箱のようなものが入っていた。それはミニチュアの賽銭箱のようだった。お金を入れる隙間も再現されていて、なかなかの完成度だ。





「なんだろ、これ……」





 そうつぶやきながら箱をくるくる回して観察していると、裏にシールが貼ってある。




 使用方法。この「再現箱」は、紙に書いた思い出を、できうる限り再現してくれる道具です。まずは何でも良いので紙を用意して……。





 ドタドタと音を立て、階段を上る。わたしは胸のどきどきを抑えもせず自分の部屋に駆け込んだ。ノートからページを1枚破って、震える字でこう書いた。




「もう一度 美緒ちゃんとわたしの家で遊びたい」




 あの子がくれたこの箱は「再現箱」というらしい。裏の説明書きによると、思い出を書いた紙を入れれば、それを「再現」してくれるものだという。




 つまり、美緒ちゃんとの思い出を書けば、もう一回美緒ちゃんに会えるってことだ。たぶん。





 拍手や礼をして、賽銭を入れるところに折りたたんだ紙を入れる。これできっと、また美緒ちゃんに会えるんだ。





 しかし一連の儀式を終えても、箱が光るとか音が鳴るとかいったことは起こらず、部屋はしんとしたままだった。





「……こんなオモチャみたいなもので、美緒ちゃんに会えるわけないよね……」




 わたしはリビングに戻ってテレビをつけた。何かの団体がトラブルを起こしたとか、市長が悪いことをしたとか、どこかで台風が記録的な大雨を降らせているとか、わたしにはどうでもよかった。美緒ちゃんが遊びに来たときは、テレビがつまらないことなんて気にならなかったのに。




 たくさん泣いたせいか、身体がだるくて重い感じがする。ソファで横になり目を閉じた。




◇ ◇ ◇ ◇




 タマネギのこんがりとした匂いがする。ジュウジュウと何かを炒める音と、お母さんたちの声もする。




「リコンするらしくてね、真奈も寂しがってるけど……」



「そうか、真奈も美緒ちゃんと遊ぶようになって、だいぶ明るくなってたのになあ……」




 わたしが身体を起こして伸びをすると、キッチンからお母さんが「起こしちゃった?」と聞いてきた。




「ううん、ちょっと疲れてただけだから大丈夫。それより今日のご飯は……」




 わたしがそう言いかけたところで、家の電話が鳴った。お母さんが出た。何だか深刻そうな表情だ。




「真奈、美緒ちゃんのママから。台風でバスが動かないから、今から美緒ちゃんと一緒にウチに来たいんだって。いい?」




 びっくりして少し固まってしまった。あの箱、もしかして本当にすごい道具なのかもしれない。だってこんなに早く願いが叶うなんて。もう一度、美緒ちゃんと遊べるなんて!




「もちろんいいよ! みんなで一緒にご飯も食べようよ!」





◇ ◇ ◇ ◇




「本当にすみません、バスが動いたらすぐにでも出発しますので……」





 美緒ちゃんのお母さんに会うのは初めてだった。髪を茶色に染めていて、とてもキレイな人だった。引越しのせいか、少し疲れた顔をしている。




「いえいえ、事情が事情ですものね。何か僕たちで力になれることがあれば言ってくださいね」




 お父さんとお母さんもすごく心配そうな表情だ。台風でバスが止まるって、そんなにひどいことなのかな。




 そんなことを考えていると、美緒ちゃんがお母さんの後ろからひょこっと顔を出した。わたしは涙が出そうになったけど、頑張って笑顔をつくって「部屋であそぼうよ!」と誘った。




 美緒ちゃんは元気がなさそうだった。お別れするのが寂しいんだな、と思った。だからわたしは、隅に押しやっていた箱から動物の人形と赤い屋根のおうちのセットを取り出した。前に美緒ちゃんが「すごい、こんなの家にはないよ!」と喜んでいたからだ。




 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。みんなでテーブルを囲んでちょっと小さなハンバーグを食べたのも、部屋に戻って美緒ちゃんとおうちごっこをしていたのも、わたしにはまばたきをしたくらいにしか感じられなかった。




「バスが動き出したみたいなので、お暇させていただきます。田代さん、突然押しかけて申し訳ありません。本当にありがとうございました」




 ついに、その時が来てしまった。もう夜の10時なんだから泊まっていけばいいのに、と言いたかったけど、大人たちが真剣な顔をしていて言い出せなかった。




「いえいえ。こっちも少し降ってますし、よければ駅まで送りましょうか?」




「わたしも行く! 美緒ちゃんを見送りたいの、ねえいいよね?」




 いつもならこんなに夜遅くに家を出るなんてありえないことだった。けど今日はお父さんもお母さんも許してくれた。こうしてわたしたちは、お父さんの運転で駅に向かった。




「美緒ちゃん、良かったらこれ持っていって。わたしのこと、忘れないでね」




 いよいよバスに乗り込むという時に、わたしは家から持ってきた動物の人形を美緒ちゃんに渡した。美緒ちゃんと最後に遊んだ、思い出の人形。差し出す手にぽろぽろと涙が落ちる。また、泣いてしまった。




「ありがとう、真奈ちゃん。きっとまた会いに来るから! そうだよね、ママ?」




 美緒ちゃんは私の手をぎゅっと握って、大事そうに人形を抱えてくれた。美緒ちゃんのお母さんは疲れているのか苦笑いを浮かべていた。お父さんも「真奈、これ以上は迷惑になっちゃうから。美緒ちゃんもお母さんも、お体に気を付けてお過ごしくださいね」と言って、わたしの頭をなでながらバスから遠ざけた。




 ふたりを乗せたバスがゆっくりと動きだし、やがて闇の中へと消えていく。まるでもう会えないような、不安な気持ちになった。お父さんはわたしを抱き寄せて「さあ、戻ろうか」と優しい声で言ってくれた。





「最後に遊べて良かったな。真奈にもいい思い出になったんじゃないか?」




 お父さんは車を運転しながら、横目にわたしを見ながらこう言った。もちろん、最後に会えてうれしいという気持ちはある。でもそれ以上に、美緒ちゃんがいない毎日を想像するのが寂しくて、苦痛で、不安だった。




「あ、お父さん。コンビニあったら止めてほしい。トイレ行きたくなっちゃった」




 お父さんは軽く「おっけ」と返事をした。3分ほどで緑色に光る看板が見えてきた。




「じゃ、お父さん車で待ってるから。そうだ、ブラックコーヒーあったら買ってきてくれる?」




 コンビニでトイレを済ませたあと、コーヒーを探してドリンクコーナーを眺める。美緒ちゃんが好きだったジュースがちらりと目に入るだけで、涙がこぼれそうになる。だめだ、もう会いたくなってきた……。




 その時、突然後ろから声を掛けられた。




「じゃあさ、使えばいいじゃん。アレ」



 驚いて振り返ると、5年生くらいの男の子が立っていた。彼の着ているシャツは、わたしの気分と同じようにどこまでも深い黒だった。

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