第19話 大型連休の過ごし方
「完成!」
テーブルの上に移動した皿に頼子は一人歓声を上げる。
もっとさくっとできると思ったのに、想像以上に手間がかかってしまった。
でも、テーブルの上に乗せられたその一品はキラキラと輝いていて(頼子比)、食べるのが勿体ないぐらいである。
(っても食べるんだけどね)
冷蔵庫からポン酢と缶ビールを取り出せば本日の調理は完了。
後は独りご馳走を愉しむだけだ。
5月の大型連休真っただ中である。
わざわざ混んでいるところに出かける気にもならないし、人がひしめき合う繁華街に飲みに行くなんて正気の沙汰ではない。
いつもの飲み仲間たちとはこの連休が終わって落ち着いてからのんびり飲もうと決めていた。『ずらし飲み』である。
地元を離れた友人が帰って来ていても、飲みに行くことなどほとんどなくなった。帰省しても自分の家族との時間を大切にする人たちが多く、所帯を持たない者はそもそも帰省しない。
所帯を持たず、地元も離れていない頼子にとっては肩身が狭い時期でもある。多分それは被害妄想にも近いのかもしれない。
大手を振って久しぶりの再会を喜ぶ人の群れの中を堂々と歩き、昔を懐かしんで飲んでいる連中の中で一人で飲んでも誰も何も文句を言わない――嘘だ。きっとひそひそされるのだろう。あの人何で一人で飲みに来ているの? みたいな。
(それは無理! 絶対嫌だ!)
これも被害妄想なのか。リアルにその場を想像してしまい思わず頭を抱え込んでその場にうずくまる。
何で地元に残っていることが、結婚していないことが、まるで犯罪者のように扱われなければならないのか。
いいじゃん、三十代前半女性の未婚率は35%。年々増加しているからあと50年も経てば未婚の方が正義になるに決まってる。まあそのころには頼子は生きてないかもしれないが、まあそれはそれで。
結婚していない独身貴族のパイオニアかなんかだと思えば!
「それに離婚率だって高い! 一回結婚できたとしても死ぬときにはシングルになっている可能性だってある! 気が合わない人間と一緒に暮らすよりは一人の方が気楽に暮らせるし!」
いつもだったらここで、「まったくまっさらなのと、結婚の酸いも甘いも知った者とは違う」とか「親と同居して気楽もなにも」とツッコミが入りそうなものだが今日はそういうありがたい言葉を言ってくる家族はいない。父も母も泊まりで出かけているため今日は頼子一人だ。
母は友人と温泉旅行に、そして父は自身の地元へ帰省と、別々に泊まりがけの外出をしているせいである。
(一緒に出掛けることあんのかな、うちの両親)
ふとそんなことを考えてしまうが、多分それもまた一つの夫婦の形なのだろう。娘がとやかく言うことでもない。
両親の、というか主に父親の一言にはいつも傷ついたりむかむかさせられていたが、なければないで何だか寂しいものがある。
頼子は振り切るように首を横に振って立ち上がった。
「せっかく一人なんだから思いきりやんちゃしてやるって決めたんだから!」
寂しいとか言ってないで楽しまないと!
明日もまだ休み、苦言を呈する者が誰もいないというこの状況! 楽しまなければ損だ!
叩きつけるようにステンレス製のビアカップをテーブルの上に置き、箸置きと箸をセッティングする。
さあ、準備は万端。
昼間飲み、開始である。
昼から飲むなんて、休日しかできない贅沢である。
もっと言えば、それを自宅でやっちゃうなんて両親がいない日にしかできない贅沢中の贅沢だ。
先ほど完成した鰹のたたきを見下ろして頼子はほくそ笑む。
両親がいない連休なんてレア中のレアである。今昼から飲みをやらずにいつやるか! って感じだ。
スライサーでこまかくスライスした玉ねぎの上に、購入した鰹のたたきを分厚く切って並べ、その上に頑張って切り刻んだ薬味を並べる。
簡単そうに見えて意外に手がかかった。特に薬味の辺り。苦労の甲斐あってピカピカに輝くたたきが出来上がったのだ。最高!
「ふっふっふー、やんちゃの中にある丁寧な仕事! 自分素晴らしい! ワンダフル!」
自画自賛をしながらビールのプルタブを起こす。
プシっと空気が飛び出す音が聞こえて頼子のテンションは更に高まった。
なるべく泡が立たないようにビアカップに注げば宴の準備は万端だ。
ポン酢を回しかけ仕上げが完了。
後は食べて飲むだけだ。小皿などいらない。一人だから!
「いっただきまーす」
と、まずはビールを一口飲む。
喉に落としこめば口から鼻にビールの香りが抜けていく。
「うああああ! これだああ!」
一仕事終えた後の酒は美味い。
プライベートブランドの安いビールだが、どこのビールにも負けていないだろう。とにかく美味しい。ああもう美味しい以外の何者でもない。
「酵母! いい仕事するなぁあ、もう!」
発酵は素晴らしい。微生物最高! 生まれてきてくれてありがとう。
この酵母の働きを見つけてくれた人に感謝!
思わずビアカップとビール缶に深々と頭を下げてしまう。
人間の英知ここに極めりである。
ビールをもう一口飲みこんで、箸を手に取る。
さぁて、酵母の仕事ぶりは拍手喝采だった。頼子の仕事はどうだ?
箸で分厚い鰹を一切れ、玉ねぎと一緒につまみ上げて口に運ぶ。
口の中が鰹に占領されるような感覚。
魚特有の生臭さに玉ねぎ特有のにおいが混ざりあい不快感が消え失せる。
「う……うああああ」
しっかり噛んでから嚥下したら思わず声が出た。
噛み応えがあって、生の玉ねぎのシャキシャキ感がまたいいアクセントになっている。これは美味し過ぎるかもしれない。
「……まさに、グッジョブ! 私、グッジョブだ!」
もう一切れ、はやる気持ちを抑えきれず口へと運ぶ。
今度は大葉とみょうがをお供に添えてみた。
しゃくっとぷりっと。
「……どうしよう、おいしすぎる……」
一人でこんなの食べていいのだろうか。罪悪感まで湧いてきた。
とりあえず落ち着こうと、もう一口ビールを飲みこむ。
なんていうか、感情が忙しい。美味し過ぎて泣きそうだし、自分のシゴデキっぷりにも泣きそうだし、独り占めしているこの感じにも泣きそうだ。
泣ける。美味しい物って泣ける。
目の端にじわっと浮かんだ涙を拭って頼子は大きくため息を吐いた。
「マヨネーズ! 絶対マヨネーズ!」
思いついた単語を口にして立ち上がる。
泣いている場合じゃない。まだ、まだだ。まだ、美味しさの進化は止まらない。
冷蔵庫から取り出したマヨネーズを「マヨビーム!」とたたきにかけていく。
気が済むまでかけたら、箸を手に取り手早く一切れぱくっと行ってみた。
「んんん!」
厚いから一切れが長い時間楽しめる。
ゆっくり味わって、ゆっくり飲みこんで、再び感嘆の息が漏れた。
一気にコクが増した。この時期の鰹があっさり風味だからマヨネーズの油を加えてもくどくならないのがとてもいい!
「うんうん! まさに旬の味!」
何度も頷いてもう一度大きく息を吐く。
「薬味っておいしいなぁ。子どもの頃ミョウガ嫌いだったのにな。妙な香りでミョウガだとか言ってさ、あの頃の自分、バチ当たれ!って感じ」
罰が当たったから今独り身なのかもしれないけどね~と胸中で自虐しておく。
でも独り身最高だ。美味しい楽しい時間を独り占めできるのはシングルの特権だろう。
もしも、もしも仮に頼子が結婚できたとして、自分の時間が全く取れない日が来たとしても、今日のこの記憶があるだけで全然乗り越えられてしまうようなそんな気すらしてきた。
一人の方が身軽でいいっていうのは正直本音だったが、家族のために使う時間ってのも、何だかいい物、なのかもしれない?
「が、その前に」
美味しいし、楽しい。
でも心の片隅にある罪悪感がさっきからちくちくと痛む。
「母の日にでも作ってごちそうしてみようかな」
帰省どころか寄生している立場だ。せめて一緒に住んでいる両親とぐらいは美味しいをシェアすべきなのだろう。
これ幸いと今月来月にはそれが叶いそうな「母の日」「父の日」が待ち構えている。
両親とも魚料理は好きだったはずだ。うん、それがいい。
そう決めてしまえば罪悪感がすうっと消えていくのがわかった。
もうあとはやんちゃを愉しむだけ。
「さぁってと、ここからが本番!」
さくっと気持ちを切り替え頼子は再度立ち上がると冷蔵庫からワインを取り出した。
蓋をはがせばそのまま飲めるワイングラスに入った状態で販売されていたワインだ。
珍しくて思わず手に取ってしまったが、果たして赤ワインの鰹との相性はいかに!?
いい感じに冷えたワインを一口だけ口に含んでみる。
ワインはまだ未知の領域である。ワインだな……ぐらいの感想しかないが。
「え、なにこれ! ビールと全然違う!」
鰹を食べて驚いた。
まるで違うものを食べているように味が全然違う。
何だこれ! 本当に未知の世界だ!
(知らなかった! いや知識として知っていたけど、お酒とツマミの組み合わせによって見える世界が全然違うんだ!)
頭を殴られたかのような衝撃にしばらく頼子は呆然としてしまい、我に返るまで時間を要した。
こんなの、今まで知らなかったなんて。
まるで自分の世界に光が差し込んだような感覚に、頼子は痺れていた。
これは、もう、探求するしかないじゃん!
「うっわあ、楽しみ、すっごく楽しみ! 今度みんなでやってみよう!」
そんなの絶対に楽しいに違いないから。
近い未来のことを楽しみに思い描きながらも、今日も楽しく夜が――いやまだ昼間だ。日が暮れていくまで存分に頼子は楽しんだのであった。
そして幾分か酔いが醒めた夜、自分の酔っぱらった思考にちょっとばかり後悔の念を覚えながらも夜は更けていくのであった。
(いや楽しいけどさ、もうちょっとだけお酒以外にも興味を持つべきかなぁとか、せっかく世帯を持つのもそれはそれでいいかもしれないって気持ちも生まれたのにさあ、結局はそっちかよ、みたいな)
こういう時父ならばモラハラぎりぎりグレーゾーンの苦言を与えてくれるのに。ストッパーがいないとこうも変な方向に行くのかと。
(……まあ、いいんだけど、楽しいことには変わりないし。ほら、まだ連休だし、子どもの日だし、子どもみたいに楽しいことだけ楽しんでも許される日だってことで)
まあいいか。と頼子は自分に言い聞かせるように結論付けておいた。
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