第27話

「おーわったー!!」

「お疲れ。……ちゃんと間に合ったのね」

「馬鹿にしないで。あたしだってやる時はやる女よ」

「その調子で大会でも勝てれば良かったのだけれども」

「うっせバーカ」


 届いた手紙を見て、ようやく肩の荷が下りた私は、ソファにダイブする。


 天井に翳すように眺める。それは、『日本フィギュアスケーティングインストラクター協会』からの郵便。


 私――仁井ひなみが正式にフィギュアスケートのコーチとして働けるようになったという知らせだった。


「これで正式なインストラクターよ。……ようやく、私の名前が出せる」

「まぁネットでは既に書かれてたけどね」

「そりゃあねぇ……」


 現役時代の因縁の相手――市来奏と再会して、はや2年。

 どうして私がコーチになったか――、転機は去年のことだ。


「ひなちゃんさ、振付師とか興味ない?」


 元世界王者、油谷慎吾(なお私のイトコである)が秋川のコーチを始めて、しばらく経ったある日。


「……どうして? そっちで考えれば良いでしょ?」

「いやー、僕さぁ」


 頬をカリカリ掻きながら、恥ずかしそうに彼は言う。


「振り付けのセンス、ないんだよねー」

「……マジで? じゃあ普通に現役時代の振付師に声掛ければ良いんじゃないの?」

「それも考えたんだけど、ほら、どうせなら面白いことしたいじゃん?」

「そうね」


 それには同意である。

 既に記者会見まで開いたが、復帰戦に決めた大会まで一切表には出ずひたすら貸切リンクで練習している秋川を二人で眺めながら、悪だくみをする。

 そんなこと一切出来ない秋川の代わりに、そういうのは私たちの担当だ。


「既にひなちゃんとかなちゃんが一緒に居るとこ何度も週刊誌とかに撮られてるし、なんならちょっと前に同棲してるって話も出てたでしょ?」

「……そうね」


 不本意だけど、これはもうどうしようもない。


「怪我で引退した因縁の相手の振付師として再出発――、ほら、結構ドラマチックじゃん?」

「まぁ、それはそうだけど……、あたし別にちゃんと勉強したわけじゃないわよ?」

「うん、だからひなちゃんもインストラクター講習受けてさ」

「……マジで言ってる?」

「僕がそういう冗談言ったことあったっけ?」

「…………」


 はぁ、と溜息が漏れる。まったく、秋川と再会して以来、こんな展開ばっかりだ。


 それから私は、大学進学に向けて勉強する傍ら、アシスタントコーチとして古巣のスケートクラブでアルバイトを始めた。

 1年間の研修を終えると、18歳になると同時にインストラクター協会に加盟(入会資格が18歳以上であるためだ)、これでようやく、私の名前を表に出すことが出来るようになる。


 まぁ常に貸切練習してるわけじゃないし、油谷くんはコーチ業以外の方が忙しいから私が同伴することも多い。それを他のスケートクラブの子に見られて、私が秋川のコーチ側に回ったことは皆が知るところではあるけれど。

 スケートクラブでアルバイトしてる時もよく聞かれたわ。あの子にどんな指導してるの? って。私は別に指導してるわけじゃないから大したことは答えられなかったけど。


「あんまり調整の時間なかったけど、大丈夫?」

「えぇ、私を誰だと思ってるの?」

「……そうね。あんたはそう言うと思ってた」


 全日本選手権の予選となる、東京ブロック大会。市来奏が姿を消しておよそ3年、ようやく表舞台に戻ってくる天才を、ファンは待ち望んでいる。

 そんな舞台で、無様を晒されたら困る。圧倒的な実力で優勝して貰わないと、ライバルであった私も、かつて世界王者であった油谷くんも浮かばれない。


「じゃ、行くわよ」

「……えぇ」


 そうして、私たちは一歩を踏み出した。


 3年間止まっていた時計の針が、ようやく動き出す。

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