氷の君へ

衣太

第1話

 『天才』


 いつの時代も、そう呼ばれる子供たちが居る。


 それらはただの早咲きであったり、はたまた身の程知らずに怪我をしたり、お金や環境の変化であったり、過度に肥大化した自尊心や、はたまた競技人としての人生しか知らないが故の見識の狭さによって炎上したり――、様々な理由から彼らはいつしか天才と呼ばれなくなり、そして表舞台から姿を消す。


 私、仁井にいひなみもそうだった。

 幼少期から日本フィギュアスケート界を引っ張っていく存在になると期待されていた私は、とある本物の天才が出てくると、すぐに「ちゃん」なんて揶揄されるようになって。


 それでも天才に食らいつくため、食事制限にオーバートレーニング――身体に無理をさせていたら、大事な大会を前にあっけなく骨折。


「もう二度と、氷の上で万全に滑ることは出来ないかと」


 成長期に過度な食事制限を続けていたせいで、10代前半とは思えないほど骨が脆くなっていた私は、中学3年の夏――、競技人生を完全に絶たれた。

 

 ――この物語は、かつて天才と呼ばれていた私の話だ。


「ねぇひなみー」

「んー? どしたの愛梨」

「補習。いくつあった?」

 親友の四辻よつつじ愛梨あいりに聞かれ、「んー」と指を折って数える。


 愛梨はまぁ、派手な生徒だ。授業中もずっとスマホ弄ってるし、化粧も濃く髪も明るい。

 帰宅部だというのに、肌は小麦色に焼けている。入学当初は肌を焼きたくないと屋外の体育は全部サボって日焼け止めを塗ったくってたのに、夏休み明けに突然日サロに通ってこんがり焼いていた。本人曰く、海で肌を焼いた先輩を見てカッコいいと思ったんだとか。

 爪なんて人が殺せそうなほど鋭利で、箸も握りづらそうなほど長い。当然ペンはまともに持てないのでペンの握り方は変だし、箸が持てないからとフォークやスプーンで食事をする。

 なら爪短くすればいいのにと思っても、ネイリストになりたいらしく、一番身近なところにある自分の爪を弄るのに余念がない。


「……7かなぁ」

「はぁっ!? ひなみどうなってんの!? 5教科以外も補習ってこと!?」

「え、うん。変?」

「変というか、……うーん? むしろどうなってんの?」


 流石にドン引きしたか、愛梨は先程返却された期末テストの結果――私の手元にあるテスト用紙を、ちらりと捲った。

 平均すると、――20点くらい。これでも頑張ったつもりなんだけどな。

 愛梨と違ってテスト中にいきなり爆睡したりしないし、授業中も出来る限りは起きるようにしている。不真面目なわけではない。ついでに言うと進学校でもないし、中の下くらいの公立高校。――それでいて、これだ。


「仕方ないでしょ、こう見えて学生1年目なんだから」

「これでテキトーにやってるわけじゃないんだからビビるわー」

「……馬鹿にしてる?」

「してないしてない。アタシのこれ見なさい」

「…………なにこれ?」


 それは先程帰ってきた数学の答案用紙だ。そこには煌煌と輝くゼロの数字が描かれていた。

 そういえば昔はゼロなんて数字はなかったらしい――、ということは知っていても、じゃあどうやって無を表現していたのだろう、で私の興味は止まっていた。


「どういうこと?」

「やー、数学って朝イチだったじゃん?」

「……確かそうだったっけ。それで?」

「朝ギリギリまで爪乾かしてたせいで眠くってさー」

「うん」

「名前書いたとこで力尽きて寝ちった」

「…………そう」


 自分の答案用紙を見る。31点だ。これでも私の中では結構高い方であるが、赤点で補習ラインである。


 ただでさえ短い冬休みが、補習で埋まってしまう。

 ――とまぁ、絶望するほどでもない。補習さえちゃんと受ければ再テストとかはなく、進級は出来るらしい。


「仁井ぃ、四辻もいるか。お前らこれ、冬休みの補修日程な。ん? 月舘つきだては?」


 学年主任の先生が教室に入ってくると、補習の説明をするからとホームルーム後の居残りを命じられて教室で駄弁っていた私と愛梨にプリントを渡す。


「姫乃はトイレ行ったきり帰ってきませーん」


 愛梨がそう答えると、先生は「そうか、じゃあこれ、月舘に渡しといてくれ」と私にプリントを押し付け、教室を去っていった。

 ここには居ない月舘つきだて姫乃ひめのは、よく一緒に遊んでるグループの女子で、私や愛梨とは全く別の方向性の不良である。

 いや私は不良のつもりはないんだけどね、姫乃と愛梨――、この二人と一緒に居ると、どうしても不良扱いされてしまう。私は授業ちゃんと聞いてんだよ?


「姫乃、どこ行ったんだろ?」

「さぁ……、屋上でぼーっとしてたりして」

「なんであの子屋上出れんだろうね……」


 屋上は閉鎖されてるが、姫乃は時折屋上から写真を送ってくることがあったのだ。たぶん高いところが好きなんだと思う。どうやって上がるのかは、聞いてみたけど濁された。

 なんというかフワッとした子で、いつも何考えてんのかよく分かんない。それでも超絶美人なので男は寄ってくるし、誘われれば相手が彼女持ちだろうが関係なく誰とでも遊ぶ子なので、女子からの評判はじょーに悪い。

 本人は恋愛する気ゼロなので誰から告白されても断ってるけど、間違いなくこのクラスで一番目立ってる女子だ。

 授業中いつもぼーっとしてるし、こうしてふと目を離した隙に居なくなって、しばらく帰って来なかったりする。それでも残れと言われた以上は帰っていないはずなので、待ってればそのうち素知らぬ顔して戻ってくるだろう。


 渡されたプリントを見ると、冬休み期間中の補習スケジュールが書かれていた。私は7科目あるので、このうち7つに出ないといけないわけだ。


「うへえー、なっがー」

「でも1科目3時間くらいなんだ、案外短いんじゃない? これなら普段から勉強するよりコスパ良いでしょ」

「えー、ひなみ分かってるー? 女子高生の1日の長さをっ!」

「……24時間でしょ?」


 女子高生でもお爺ちゃんでもそれは一緒でしょ。


「ちがうんだなー、これが」


 しかし愛梨はちっちっち、と指を振る。


「若い方が時間感覚が長いんだって。アタシら女子高生の一日は、30代のリーマンにとっての8時間くらいらしいよ?」

「は? リーマンやっば……、普通の人は大変ね」


 そう返すと、けらけら笑われる。本気で言ったんだけどな。


「さすが『伴星堂』の社長令嬢ねー、ホント、どうしてこんなショボい高校通ってんの?」


 そう言われても、まぁ困る。

 たしかに私は国内最大手の化粧品メーカー『伴星堂』創業者の孫で、現社長の第一子。

 社長令嬢なんて呼ばれることもあるけれど、会社を継ぐのは弟――長男のひろみということが生まれたその日には確定している。

 男女平等が唱えられるようになって幾年、世襲の女社長なんてイロモノは、5万を超える社員と10万を超える株主には求められていないらしい。


「ショボいって……、普通に受かったのがここだけだったんだけど」

「……えっ、私立とかは?」

「全落ち。受験した中でここだけ定員割れしてたみたいで、名前書いただけで受かったのよ」

「はー……、って、えっ、名前書いただけってマジ!?」

「……これでもちゃんと試験は受けたわ」


 何点だったかは知らないけど、受験生全員受かってることだけは知ってた。だって合格者が張り出された掲示板、数字に一つも欠けがなかったもの。

 数年前に実施された高校無償化で、元から授業料の安かった公立高校の人気が急落。ほとんどの中学生は校風なり制服なり特徴のある私立高校に行きたがり、さしたる特徴のなかった公立高校は店員割れを起こしてる――、なんてニュースを見たのは中学の頃。


 もう一つ受けていた公立高校はふつうに落ちたので、私の学力で拾って貰えたのは奇跡というしかない。

 まぁ、それでも全く授業には付いていけないんだけどね。なにせ私、小学校から中学卒業するまでの間、学校なんてロクに通ってないのよ。


「小学校からガッコ行ってないって、アタシでも流石にそんなじゃないからねー」

「そういえば愛梨が髪染めるようになったのって中学からなんだっけ?」

「そだよー? 中2までは真面目が取り柄の四辻さんなんて先生からも褒められてたんだから」

「それは盛ってるでしょ……」


 へへんと胸を張られて言われ、――思わずその立派な双丘に視線が行った。男子じゃなくても見ちゃうわよ。

 よく食べてよく寝る、それが成長の秘訣なんだっけ。私はそのどちらもまともに摂取出来なかったから、背は平均より少し低いくらいまで伸びたけど胸は小さいし肉付きは悪い。胸も尻も、出るとこ出てる愛梨とは本当に真逆な体格だ。


「その頃の写真とかないの?」

「あー、恥ずかしくて捨てちゃった。卒アルも焼却炉に放り投げたし」

「えぇー、勿体ない。あたしの中学の卒アル見せてやりたいくらいよ」

「えっ見たいみたい! ひなみの中学時代どんななの!?」

「映ってる写真ゼロ、文集も空白よ。私が通ってた痕跡なんて一つもないわ」


 小6から中2まではコーチの本拠地としていたロシアに住んでいたし、日本には大会がある時か、家の用事がないと帰らない生活をしていた。

 大抵のフィギュアスケーターは5歳までに始めて、9歳になると国内のトップ争いが始まる。13歳には同年代で世界一の称号を得るための舞台に上がる――

 すべてが若いうちに進行するフィギュアスケートの世界において、それと並行する義務教育課程で学校に通わないことは然程珍しいことではない。


 私は中学3年の夏に引退してからも治療とリハビリのためにアメリカに住んでいたりしたものだから、中学校に通ったのなんて本当に最後の2か月くらいだけである。

 文集はもうとっくに作り終えていたし、アルバム用の写真撮影も終わっていた。クラスメイト以外のほとんどの同級生は、私と同級生だったことすら知らないだろう。


「……えっぐいわぁ」

「そんなもんよ」


 私の素性に関しては、まぁ知らない人の方が少ないかもしれない。愛梨に自分から話したことはないが、初めて会った時から私のことはよく知られていた。


 ――「ね、読モとかしてなかった? なんかどっかで見たことあんだよねー」


 入学初日。遠巻きにクラスメイトに見られる中、気さくに話しかけてくれたのは、愛梨一人だけだった。


 ・フィギュアスケート天才少女、仁井ひなみ。

 中学3年生の夏に引退を決めるまで、私がメディアに顔を出さなかった期間はほとんどない。よほど世俗に興味がない人でなければ、一度は聞いたことがある名だろう。

 9歳から12歳にかけての年齢区分、ノービスクラスの全日本選手権において、歴史上3人しか居ない4連覇を果たした天才。

 しかし中学に上がり、年齢区分がノービスからジュニアになると同時に、突然現れた新星――の天才によって、私の評価は一気に転落した。

 あっという間に勝てなくなった私は、それから引退するまでの間、出場したほとんど全ての大会で『2位』を獲得した。国内でも、世界でも、だ。


 それはとてもすごいことだと言われたけれど、それまで1位しか知らなかった私にとって、2位というのは敗北者以外の何物でもなかった。

 ノービスでは王者だった私が、どう足掻いても勝てない女。

 それまでは無名も無名、それどころか全国大会の出場経験すらなかった、遅咲きの天才。


 結局、あの女に勝つ機会は一度もないまま、私は競技人生を終えた。

 フィギュアスケーター、それも女子選手の競技寿命は本当に短く、中学で引退した私のような選手は相当多い。長く続けるためには、過酷な世界なのだ。


「あー……、この日、全日本のチケット取ってんだけど……」


 補習が私ほどに多いと、当然予定と被ってくる。年末はいつも全日本――国内最大規模の大会が開かれるので、毎年観戦に行っていたが、そこと補習が被ってしまっているのだ。


「ん? それスケートの?」

「そう、……英語の補習、ちょっとズラして貰えないかなぁ」

「流石に無理じゃね? いや西堀センセなら札束ビンタすればワンチャン――」

「人を成金みたいに言わないで!?」

「ひなみなら出来るっしょ? 札束ビンタ」

「…………いや出来なくはないけど、流石にしたことはないわよ」


 言っちゃ悪いが私、仁井ひなみに、一般人の金銭感覚はない。

 物心ついた時から欲しいものはなんでも買って貰えたし、今だって高校生とは思えないほど広い高級マンションの一室に一人暮らし。お小遣いは無制限、掃除が出来ない私のために週1でハウスキーパーさんが来るほどだ。

 貯金の割に財布の中に現金はあまり入ってないけれど、現金派じゃないってだけ。愛梨は盛ったわけではなく、ある意味では正解である。


「てか、スケートの大会ってクリスマスまであるもんなん?」

「……クリスマスなんだよねー、ここ」

「まさか気付いてなかったの?」

「大会意識してるとそんな行事に浮かれてる余裕ないし、……でも、クリスマスかぁ」


 ――高校入ったら彼氏くらい、簡単に出来ると思ってたんだけどな。

 同年代の男子と遊ぶこともまぁあるんだけど、なんかイマイチ気分が乗らなかった。スケートという共通の趣味で男子とも女子ともいくらでも話せた現役時代と違って、スケートを辞めた今の私は『小学校から中学卒業まで学校に通ってない問題児』だ。

 そうなると、遊んでくれる相手も愛梨や姫乃みたいなタイプの子が多くなって、男子もまたチャラチャラした遊び人みたいのしか居なくて、吐く言葉すべてがぺらっぺらで喋っていても何も楽しくない。

 愛梨は「何もないなりに楽しむのよ」なんて言ってたけど、学生1年目の私にそんな余裕はない。話つまんなかったら普通につまんなって思うし。

 姫乃は――、男子との会話に実があるかどうかすら争点にないようで、「話が面白いって、そもそも何?」みたいな反応だった。それでも話してると楽しそうにするんだけどね。


「愛梨は彼氏と?」

「あ、別れたよ?」

「早くない!? 付き合ったの先月でしょ!?」

「えー、だってなんか、顔ゴリラじゃない?」

「……それは最初から思ってたけど、そこが良いのよって言ってたじゃない」

「っぱゴリラだなーって思うようになってさー」

「…………かわいそ」


 ぼそり、と本音が漏れた。

 先月だか、突然「彼氏出来たんだよねー」と報告してきた愛梨に、私はすっごい冷めた顔で「……おめでとう」としか返せなかった。だってその二日前に別の男と別れたばっかだったもの。今回は誰だっけ、柔道部かどっかの、ゴリラっぽい先輩だ。


「……んで、クリスマスどうするの? 愛梨、英語は大丈夫?」

「え、大丈夫だと思う?」


 ぺらりと見せてきた答案用紙。――7点。私より低いじゃない。


「女二人、仲良くクリスマスを楽しみましょうか」

「いや姫乃も居るでしょ、あの子が補習ないわけないし」

「……それもそうね」


 なんなら私より成績悪いのよね、姫乃。

 馬鹿なりに勉強してる私、いっつも寝てる愛梨、起きてるのに何も聞いてない姫乃――、私達が1-A問題児三人衆だ。


「ね、じゃあどっか行かない? カップルで賑わってそうなとこっ!」

「なんでよりにもよってそんなとこ行くの!?」

「えー、だってもったいなくない? 人生でクリスマスに彼氏いなかったことないし、女子だけでしか行けないとこも行きたいなー」

「…………そう」


 私は人生でクリスマスに彼氏いたことないわよ。というか彼氏出来たこともないけど。


 そんなこんなで、せっかくチケットが取れてた全日本選手権の生観戦を捨てた私もクリスマスになんとか予定が入れられた――と思ったが、残念ながらか案の定というべきか、数日後、愛梨に「社会人の彼氏出来た!」と報告され、「……そ、おめでと」と冷めた声で返した。

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