第16話 なくしたものはみつからない

「そこからは、あまり覚えていない」


「――信じてもらえるかは、わからないが」


 からん、と冷茶の氷が鳴った。

 私たちは医院の休憩室に移って話を聞いていた。誰の器にも手は付けられていない。それぞれの前に置かれた硝子の器にはいくつもの水粒が集まり雫を作っていた。

 罪と言えばそうなのかもしれない。でも、自分自身が同じ状況に置かれたらと思うと、同じように小影を守ろうとするかもしれない。何もかもがわからないけど、今は目の前の小龍を殴る気にはなれなかった。

 

「生きたいか、死にたいかで言えば、生きたいに決まっている」


「だから、言い遅れていたが、ありがとう」


 小龍はそう言って頭を下げる。感謝されたら、嫌な気はしない。でも――。

 

小影この子が助けてって言ったから、私たち助けに来たの。いろんな病院に追い出されながら、お兄ちゃんのこと助けてって言ってた。だけど、それを見て葵が助けたいって言って、サフィールが手伝ってって言ってくれなかったら、たぶん私なにもしなかった」


「私、お礼を言われる立場じゃない……」


 別に自分だけが礼を言われているわけじゃないけど、気まずすぎて言わずにはいられなかった。私は自分の胸のもやもやを晴らしたいってだけで、ここに来たのだから。

 

「ナスカは思ってること全部口に出るのな。かわいいね」


 サフィールが小龍の隣で私のことを見ながら言った。思わず「あ?」と声が出る。

 

「ちゃんと功労者なんだから、受け止めたほうがいいよ」


「それは、僕もそう思う」


 私の隣に座っている葵も同意しながら、ぎゅっと私の腕を抱きしめてきた。

 

「あ、あんなことされたんだから……!」


 そう言ってサフィールをじっと見ている。

 

「あはは……じゃあ、ちゃんと説明しようか」


 サフィールは困ったように笑って、話し始めた。

 

「あれは獣の民、特に混血に発生する後天性遺伝子異常、と説明すればわかるかな。

毒の影響もあるだろうけど、どちらかというと精神が影響して発現する病だ。だから、罰を自分に与えたというのもある意味間違いじゃないかもね」


 医師がふむ、と頷いている。

 

「論としてはまだ仮説しか出てないけど、確立された治療法はあって。自己破壊された遺伝子組成を組み直していく魔術なんだけど、精神的なものが影響してる場合は治療しているときにも自己破壊は進行するから別口から精神面も治療しないといけないんだよね。その方法はまあいろいろあるんだけど俺のは企業秘密……といいたいところだけど話せるとこだけちょっと話すと詠唱と歌を組み合わせて即効性重視の催眠をかけてるから、有害反応もなくすぐに目覚めさせることができるわけ」


「つまり、二種類の治療を同時進行しなきゃいけなかったから、一方を手伝ってもらってたって感じかな。俺はやり方を指示してただけで、実際に治癒魔術を動かしてたのはナスカだよ」


 ……。

 

 なんもわからない。早口で一息に繰り出される一つもわからない単語たちに小影はもちろん小龍も若干圧倒されているようだ。医師はうんうんと頷いており、葵は興味深そうに目をぱちぱちさせながら聞いている。

 

「そういうことなら、僕も誤解してたかもしれません。ごめんなさい」


 葵が申し訳なさそうに謝った。

 

「でも、そんな魔法使えるなんて、すごいです」


 そう言って目をキラキラさせている。何か感じ入るものがあったのだろうか。なんだかちょっと面白くない。

 

「そりゃもう! なんたって、俺は眠浮いちの商家『倶梨伽羅屋くりからや』のお抱え治療師ヒーラーだから! ――あ」


 滑るように話していたサフィールが一瞬固まる。興が乗りすぎて何か余計なことを話したのだろうか。

 

「な、なんかすごい魔法使いだから!」


 よくわからない言い直しまでしている。

 

「倶梨伽羅屋ってなに?」


 私はなんだか気になって、聞いてみる。

 さっきも医師が言っていた店らしき名前だ。

 

「魔族がやっている、魔法具と武器を中心とした何でも扱う店だよ。魔族の治療師なんて、珍しいですね」


 葵が答える。魔族? 地下水道でこいつは天使族って話をしていたんじゃなかったっけ。ということは、それはここではあまり話さないほうがいいという事なのだろうか。

 

「でしょ、俺レアキャラなの!」


 サフィールは葵の助け舟に乗ってにこにこしながら答えた。医師が冷ややかな目で見ている。

 

「別に、隠す必要はないのでは?」


「だって、治療師として施術したら請求しなきゃいけなくなるし……」


 サフィールは袖から魔法端末を取り出した。葵のものより二回りほど大きく、黒い金属のような質感で、シャープな印象のものだ。彼はしばらく表面を叩いたりなぞるように触ったりした後、小龍に見せた。

 

「施術費用と、薬代と、各種手数料と税金で……概算だけど、このくらい」


「バッ……なんだこれ!? こんなの払えねぇぞ!!」


 小龍は端末を握りしめて目を見開いている。それを医師がのぞき込んで、あぁ……という顔をしていた。相当な金額らしい。

 

「だろうね。でも、俺個人としてであれば、小影ちゃんと葵ちゃん、それとナスカのお願いが叶うのであればそれでいいってこと」


「お願い……」


「小影ちゃんの『お兄ちゃんを助けてほしい』って願いだね」

「二人はそれを叶えたくてここに来た」


 サフィールは私たちを手のひらで示す。そして、小影の方を向いて眠浮の言葉で何事か話しかけた。小影はもじもじしながらうなずく。

 

「誰も怒らないから、今のほんとの気持ち話して、って言ったんだ。

せっかくだから、訳してあげて。『お兄ちゃん』」


小影がゆっくり話し始める。それを追うように、小龍が小影の言葉を訳して話す。


「お兄ちゃんが来てから、たのしかった」


「いつも泣いてたお母さんも、殴られなくなって、いつもにこにこしてて」


「あの日、お父さんがわたしに怖いことを言ってたの、ほんとはわかってた」


「でも、お母さんがそういう時はにこにこしていなさいって言うから、怖かったけどにこにこしてたの。そうしないと、ぶたれるからって」


 小影がうつむく。小龍の顔が曇った。

 

「ほんとは思ってたの。お兄ちゃん、助けて、こわいよって」


「そしたら、お父さんがもっとこわくなって、わたしをぶってきて」


「お兄ちゃんが、助けてくれた」


「お母さん、おこってたけど、お兄ちゃんが助けてくれたんだよって、いいたい」


 涙ぐみながらぽつぽつと話す小影が続いて告げた声に、小龍の声が止まる。

 


「帰ってきて、ほしい……」



 震えた、湿度のこもった声で小龍が呟いた。一瞬で奪われた、戻ってこない日々の痛みが伝わってくる。奪ってしまったことの痛みも。だけど、現実はもう元には戻らない。

 私は自分にも言い聞かせるように言う。

 

「なら、助けられてよかった」


「えっと……私、あなたに生きてほしい。そうしてくれたら、一番のお礼になるよ」


 何様なんだ、とちょっと自分でも思うけど。

 でも、無くしてしまったものそのものを取り戻せるよなんて、そんな軽いこと自分には言えなかった。ただ、生きていればきっと、何かを見つけられる日が来るはずだ。もしかしたら、小影のお母さんもいつか帰ってくる日が来るかもしれない。


 

「……そうだな」


 なんとなく伝わったのか、小龍が頷いた。

 

「さて……これ以上の真実の追及についてですが、依頼者を見つけたとしても黒たちの家はもう清掃も住んでいるから……、証拠の酒もなにも出てこないでしょうね」


 医師が困った様子で腕を組む。

 

「ということで、通常の眠浮で起こる事件のように、闇の中、となるでしょう」


 ここではこんなこと日常ですからね、と医師は付け足して、煙草に火をつける。

 日常。帝国の法では裁かれることでも、ここでは裁かれない罪もあるという事。そしてそれはきっとエイシャにもあるのだろう。帝国の常識では考えも至れないなにかがあったのかもしれない。

そこまで思いを巡らせて、エイシャにどのような法があったかや、帝国に来る前に自分が日常をどう過ごしていたかについても思い出せないことに気が付いた。さまざまな記憶を辿って正しい道筋が見つかった気がした瞬間、頭がきりきりと痛み始めて、また迷う。


 そうか。

 自分を失ってしまったら、何を罪とするかもあやふやになってしまうんだ。

 私は、自分が思っている以上に多くのことを失っているのだろうか。

 

 失った記憶のかけらを探すように自分の頬を撫でてみたけど、当然のように何も見つかりはしなかった。

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