Lost Kingdom 亡国少女の冒険譚

神吉李花

第一章 知らない記憶に私は目覚める。そしていろいろ奪われる

第1話 はじまりの朝

 初夏のキラキラとした朝の光が、薄い翠色の床に金色の陽だまりを作っている。

 学生寮の廊下にまだひとけはなく、遠くから早起きの鳥の声がときおり届くだけだ。


 ジャー……


 静寂を打ち破るように、水音が響いた。

 蛇口からあふれる水が、桶のなかにみるみる溜まっていく。水があふれそうになる瞬間を見計らうように、水栓に添えていた手を動かす。キュッと音がして、水の流れが止まった。私は手を出して、その水を勢いよく掬い上げる。

 

 冷たい水が頬にあたり、目覚めたばかりのぼんやりした頭を覚ます。私はぽたぽたと滴る水滴を首に掛けたタオルで無造作に拭き取って、ゆらりと顔を上げ目の前の鏡を見た。


 (……ひどい顔)


 鏡の中のもう一人の私が、じとっと眉をひそめて心底嫌そうな表情をしていた。あごの下のあたりで切りそろえられた黒い髪、金色の瞳。服装はこれから朝練に出かけるための、部活用の体育着。

 

 見慣れた自分の顔だ。可愛さはと言えばそうあるわけでもなく、たいした特徴も無い十人並みの容貌だ。瞼は腫れて目の下には微妙にクマが出ているし、左頬には小さなニキビがひとつ。いいとこ三十点くらいだろうか。

 

 胸だけは無駄に成長しているが、自分が女であることを嫌でも自覚させられるようで見るたびに嫌な気分にさせられる。私は大きくため息をつく。


 ――私、ナスカ・セツ・エイシャは、定期的に夢を見る。

 

 月が満ちる日に、ひとつ。月が無くなる日に、ひとつ。

 

 嫌な夢と幸せな夢のふたつだ。

 

 それは私が帝国の『帝都』に存在している学校『帝国学院』で生活するようになってから、ひと月も欠けずに訪れている。

 

 遠い記憶のように見えるけれど、私には夢に関る出来事に思い当たる記憶がない。でも、その夢たちはどちらもあまりにも生々しい色と匂いと感触があって、現実と非現実の境がわからなくなってしまうようなものだった。

 

 そして、昨夜は嫌な方の夢を見る日だった。

 

 何度も何度も目が覚めて、うとうとと眠ると再び繰り返される映像。

 

 幾分かは慣れて来て眠る前にも身構えているとはいえ、気持ちのいい物ではない。夜中にも寝言で呻いているようで、同室の相方に心配されるのもよくある事だった。今日も一度、自分の声で目が覚めたのだ。きっと、彼女のことも起こしてしまっているだろう。

なんて謝ろうか…と悩みながら自室の扉を開ける。


 部屋の中はまだ薄暗かった。

 相方の寝台のカーテンはといえば、閉められたままだ。

 

 どうやら、私の支度の音にも気づかないくらい寝入っているらしかった。私は彼女を起こさないように気を遣いながら、洗面具を棚にしまった。そのまま部屋を抜けて、足音をなるべく立てないようにして寮の廊下を小走りに外に向かう。


――『帝国』

名前を持たず、ただ自らの事を帝国と呼ぶ国。


 ここにも王様と呼べる存在が居るのかどうか、それすらも私はよく知らない。代表者として『帝王』という存在が居るらしいのだけれど、私以外の大人たちもそれ以上の事は知られさてはいないみたいだった。

 

 この不思議な国は百年ほど前にこの世界に突然現れて、魔女たちの魔術と機械を用いた武力で多くの国を支配して領地とした。私の国である小さな島国エイシャも、私が生まれる少し前に敗北し、占領地となった。

 そうして、他の国と同じように、国と、王を失った。


 帝国は、支配策のひとつとして各国の子女を集めた学校を作った。それが私の通う帝国学院の由緒だ。私は、十二歳のときに帝都にやって来てから、ずっとここで過ごしている。


 そして、帝国学院には二種類の生徒がいる。

 

 ひとつは、もともと帝国に住んでいる人たち。そしてもうひとつは、私のように帝国に支配されている国の支配者階級の子女たちだった。帝国の目指す所は、『王という存在をなくし、平等な世界を作ること』だというが、それはあくまでも建前だということのようだ。

 

 もちろん、表向きには私たちは平等ということになっている。待遇も、学校の規則上でも、違いがあるわけでもない。……が。

 いくつもの、暗黙の了解があるのだ。

 

 例えば、制服の学章の付け方に、ほんの少し違いがあるとか。

 

 ドアを開けるとき、私達が自主的に道を譲るとか。

 

 授業や部活で使った器具を率先して片付けるのは私達の役目だとか。

 

 いやがおうにも『違い』を意識させられるルールたちばかりだ。それらはすべて、強要されているわけじゃない。でも、守らなければ、どうなるのか。

 

 ……どうなるんだろう。

 

 本当のところは、私にもよく分からないのだった。

 まぁ、面倒なことになるのは間違いないし、逆らう理由だって、特にあるわけじゃない。だから、私はそれを受け入れていた。


 ――でも、それって。

 ――人間は、永遠に平等なんかにはなれないってことじゃんね。


 私はそんなことをふわふわと考えながら、運動場へ向かう。

 校内でも一番低い位置にある、海に面した広い運動場の一角に運動場の管理棟があった。

 

「おや、おはよう」


 管理棟の守衛が私に声をかける。私はぺこりとお辞儀をして、挨拶を返す。

 

「おはようございます。第三体育館の鍵、お願いします」


 私は、鍵管理ノートに『刀剣技術研究部 第三体育館』と記入して、鍵を受け取る。

 

「ま、言っても結局は一年の仕事だもんね、これ」


 私は頭をかきながら、準備室へ向かった。


 ――第三体育館、訓練室


「やぁっ!」


 私は、思い切り剣を振るった。部屋の中に木刀を打ち鳴らす音が響く。

 体を動かすのは、好きだった。少し重みのある木刀を握り、振るう。背中の筋肉が軋んで、力が解放される。じわじわと、汗がにじんでくる。

 

 体を動かしている間は、何も考えなくっていい。その時間は、きっと誰にでも平等だ。だから、私はこの部活を選んだ。自分の思いの向くままに、自分の剣を研究する部活。

 

 一通り手合わせが終わったところで、私は額に流れる汗をぬぐいベンチに腰掛けた。

 ふいに、私の頬にぴとりと冷たいものが触れた。

 

「ひゃっ……⁈」


 慌てて振り向くと、そこには主将のセイ先輩が悪戯っぽい笑顔を浮かべて立っていた。手にはお茶の水筒を二つ持っている。


「おつかれ。お茶、飲む?」


「あ、先輩……!」


 刀剣技術部の主将である先輩。東方にある国の貴族出身で、私のように……人質として帝国学院に入った。帝都民以外はなることができないと言われている学院の警備隊の地位まで、純粋な努力で上り詰めた実力者だ。

 私はそんな彼にあこがれていた。

 

「練習の調子はどう?」


 先輩は水筒を私に渡してよこし、隣に座った。なんだか、ドキドキしてしまう。私は慌てて水筒を開けて、お茶を飲み干す。冷たいお茶がのどを冷やしたが、顔のほてりはおさまった気がしない。ぱたぱたと手のひらで顔を扇ぐ。

 

「刀剣技術研究部は他の剣道部とかみたいに試合に出る訳でもないし、地味だからなかなか新入生が入ってくれなくて……」

「ぼく達の代が引退したら廃部のはずだったけど、キミが入ってくれてよかった。周りに先輩しかいなくてやりにくいと思うけど」


そう言って先輩はくすくすと笑った。


「そういえば、キミはどんな理由でこの部活に入ったんだっけ」


 先輩が首をひねる。そういえば、ちゃんと話したことがなかった気がする。

 

「それは……技術の研究や勉強するの、面白そうだって思ったので。あと、なにより体を動かすのが、好きで……」


私はなんだか照れくさくて髪の毛をいじりながらうつむいた。


「せっかくだから、一度手合わせしようか」


「よーし、負けませんよ!」


私は、とびきりの笑顔で剣を構える。



 ――いつの日からだろうか。私の心の中には、一つの思いが芽生えていた。

 

 いま目の前で剣を合わせている先輩みたいな、かっこよくて強い男の子になりたい。努力して強くなって、誰かを守ることのできる王子様みたいなひと。

 

 私は大切な人を守るために戦うのだ。この体は、魂は、そのためにある。

 いつも、剣の柄を握るたびにそのことを強く感じていた。

 

 自分自身の体に感じている違和感の正体も、それが原因なのかもしれない。だけど私は男の子になるなんてことできない。いくらこうやって髪を切って男の子っぽくふるまっていても無理な話だ。それに、このままでは王子様になんて程遠い。

 

 そんなことを考えていると、先輩の剣があっという間に私の剣を弾き飛ばした。

 

 ――ああ、やっぱり勝てないなぁ。


 私は転がっていく木刀をぼうっと眺めていた。

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