綴り書き 参ノ壱〇

「お姉ちゃん。実は歌が得意なんだよ。ベニトにも聞かせてあげるね」


 ~~~~♪


 腕の中のベニトをあやすように、ゆっくりと腕を揺らして、ベルが子守唄を歌い出す。大声での口喧嘩に夢中なアンドレアルフスとヨウムを除いて、全てがベルの歌声に聞き惚れた。生き物だけでなく、植物や大地。海や空。自分たちを取り巻く全てが、だ。当然海坊主はベルの歌声へと振り返り、時が止まった錯覚すら起こしている。


 その瞬間を逃さず、一つの水球へ潜り込んだヴィオラが本体の中へと取り込まれた。夕景色の海水の中を泳ぎ、首元の青い宝石を抱きしめた。海坊主の中から飛び出そうとしたヴィオラは、アンドレアルフスの凶刃によって、地面へと叩き落とされた。


「おっと。そうはさせないわヨ?」

「ママ!」


 驚いたベルの歌が止まった。ヴィオラの腕から転がり落ちた青い宝石がアンドレアルフスに拾われてしまう。


「これは大事なモノなの。アンタたちにはあげられないワ。ごめんなさいネ♡」


 ウインクと投げキッスを同時に行い、アンドレアルフスは空中へ放り投げた宝石を握り込み、海へと投げ捨てた。海底へと沈んでいく青い宝石。


「これがこそこそ話していた作戦かしラ? アオトの最大の心の支えのアンタがいると邪魔だから閉じ込めてやってたのに。出て来た途端にアタシたちの逢瀬を邪魔するなんて、本当に厚かましい女ネ。あら。手が滑っちゃったあ~♡ アンタの愛しい旦那様は深海へ沈んじゃったわヨ♡ 今すぐ飛び込めば間に合うかもしれないけどその深~い傷。ベルちゃんも乳臭い赤子で両手が塞がっていたら無理でしょうねン。あはっ。残念デシタ♡」


 不倫相手の常套句のような言葉を吐き出し、勝ち誇ったように全員を見下すアンドレアルフス。赤子は泣き叫び、すでに衰弱している身体にムチ打った傷だらけのヴィオラの肢体は回復せぬまま浜辺に転がる。


「あの宝石はこの海坊主の動力と制御装置の役割を果たしていたのに。アンタたちのせいでなくなっちゃったワ。もう完全に呪いに飲まれて暴走するしかないのヨ。制御装置がなくなっちゃたらアタシにもどうにも出来ないモノ。愛しいアオトに抱かれて、家族仲良くおねんねするとイイワ♡ ちょっと物足りないケド。そこそこ楽しかったわヨ。そろそろ飽きちゃったから、アタシは地獄へ帰ろうかしら……」


「テメェ……最低野郎だな」


 吐き捨てるように言って睨みつけるヨウム。母親の傍らに膝を付き、胸元でベニトを守るようにして凛と見上げるベル。曇天は、宝石が投げ捨てられた海面を見つめて放心している。


「ああぁん♡ その蔑むような強~い眼。アタシ、ぞくぞくしちゃウ♡♡♡」


 両手で頬を包み込み、うっとりとした瞳にハートマークが浮かぶ。内股になり、身体をくねらせながら見悶えて震えるアンドレアルフス。ヨウムの頬がピクリと引き攣り、思いっきりアンドレアルフスの頬を翼ではたいた。


 その音に意識を引き戻された曇天は、海辺に走り出し海面へ飛び込む。吹っ飛ばされたアンドレアルフスは尻を突き出し、前屈みの姿勢で地面へ顎を擦り付け、恍惚とした表情で気を失っている。アンドレアルフスの動きを止めたのは結局物理だった。


 数秒もせず、暴走した海坊主が曇天を飲み込むように覆いかぶさる。衝撃で海水が刺激され、大きな渦を作り、曇天の身体を海底へと引きずり込もうとしてくる。沈んでいく青い宝石との距離が離れて、伸ばした曇天の手は届かない。爆発音と水蒸気、ヨウムが曇天を引き上げようとするが、渦の力が強く叶わない。


 再生した海坊主が水位を上げて、再び曇天へと降り注ごうと構える。 ~~~~♪ ベルの歌が聞こえ、海坊主の動きが止まった。目が合うと、ベニトを抱えたベルが大きく頷く。


「僕は確かに泳げません。ですがピィちゃん。今、あの宝石を見捨ててしまうと駄目な気がするんです。アオトさんはベルさんたちの大切な家族です。どうしてこんな感情に苛まれているのか僕には分かりません。ですが……だけど……助けたいんです。そう思ってしまっているんです。僕、が……?」


 戸惑いと困惑に満ちた声音。いつもの曇天の毒舌や歯切れも身を潜め、最後は幼い表情で自信なさげに続ける。今までの曇天からは馴染みのない言葉。衝撃で固まるヨウムだが、茶化したい気持ちをグッと飲み込んで付き従う。


「どういう風の吹き回しだよ。帰ったら赤飯だな……おっと。了解。んならオレに捕まってろ。どこまで行けっか分からねぇけど、お前の息が続くように周りを蒸発させながら進んでやる」


 まあ、少しはみ出してしまったが。何はともあれ、ヨウムは曇天を抱えて渦の中へと飛び込んだ。迫りくる海水を都度蒸発させながら、曇天の呼吸のサポートをして海底深くへと潜っていく。しかし、大型といえどもヨウムの身体は海水に対して小さく、ある程度潜るとヨウムの蒸発の能力は海水に押し負けてしまう。魔力を使い続けているヨウムは、少しずつ衰弱していっているように見えた。


「こんな無茶な作戦。どうして貴方は協力なんてするんですか? また利用されているだけかもしれないのに」

「お前がアイツ等を助けたいって思ってるんだろ? だったらオレはそんなお前の言葉を信じて動く。お前の過去に何があったかなんて知らねぇけどさ、生きてるんなら臆病な部分があんのなんて当たり前だろ。オレはそんなお前との時間を気に入ってるし、何より一緒に居てぇってオレ自身が思ってんだよ。だからオレは、お前が嫌がっても信じ続ける。それにお前がオレのこと、本気で嫌ってねぇのなんてお見通しなんだよっ! オレはお前の相棒なんだからなっ!」

 自信満々にヨウムは笑う。胸の内から湧き上がって来る感情に、曇天はまた恐怖を覚えて飲まれ、言葉を失う。


「……僕は今初めて。貴方を失いたくないと思ってしまった。今まで積み重ねて来たモノを全部壊されてしまった……どうして……くれるんですか」

「オレは元高位悪魔。ビンカマジョール・ペリウィンクル・ボイニクス・ラウムだぜ? そう簡単に消えやしねぇよ。オレは執念深い悪魔なんだぜ。だから、これからもずっと傍に居てやる。せいぜいありがたく思いやがれ」


 曇天の声は震えているのに、ヨウムは悪戯っぽく口角を上げて、お構いなしに続ける。


「暑苦しいです」

「オレが信じたいもんなんてオレが決める。お前にも文句なんて言わせねぇ。分かったかよ。曇天!」

「十二分に分かりました……もう、諦めます」


 精一杯の抵抗を込めた肯定。曇天の中で、確かに何かが壊れてしまったのに、それを受け入れてしまえば、決して不快な変化では無かった。不意にまた大きく海が揺れて、海面に大きな影が映り込む。ベルたちへ何かが起こったのかもしれない。青い宝石は目の前だ。


「ピィちゃん。戻ってください。ベルさんへ何かあったのかもしれません」

「お前はどうすんだよ」

「ベルさんの様子を見たら戻って来てください。もう宝石は目の前なんです。だから多分。なんとかなります」

「いや、あの怠惰なお前が!? おかし過ぎんだろ。一旦諦めて一緒に戻るぞ!」


 ヨウムの言葉に首を振り、曇天はヨウムの身体から手を離した。取り囲まれた海水に覆われて直ぐに溺れ、伸ばした左手から宝石はすり抜けてしまう。手足を数回バタつかせた後、曇天の手足は力なく落ちていった。


『青空――――ッ!』


 本当の名を呼ぶヨウムの叫び声は届かない。重くなった水圧を十二分に掛けられながら、スローモーションのように沈んでいく曇天の身体。カーテンのように覆い被さる海水は光を遮り、曇天の姿を闇へとくらましていく――――。


『流石に、ここまでされては楽しくないわ。私の可愛いお魚ちゃんたちをこんなに痛めつけたアルはちょっとやり過ぎね。キツイお仕置きをしてあげたいとこだけど、それはピィちゃんがやってくれたみたいだし、貴方に少し力を貸してあげる。元々は私がお願いしたことですものね。曇天さんの声。不思議な力があるみたいね。彼の魔力と馴染んで力が強くなっているのに上手に使えてないみたい。人間特有のリミッターかしら? 上手に魔力が流れるように私が調整してあげるわ』


 海底からぷくぷくと浮かび上がってきたしゃぼんが、曇天を包み込み、水圧と息苦しさから護る。艶やかな声が遠くで微笑い、柔らかな温もりの上へと導かれる。

 


 ――――29――――

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