綴り書き 参ノ九

 ポツリと呟いて視線を落とすベル。後方から掛けられた声にベルは勢いよく振り返る。そこには消えかけている海影が立っていた。両腕で抱えているのは桃色のガラス玉。月光に反射する小さな鏡と、拾い上げた青と黒のお守りをベルの手へ握らせる。


「黄色の窓が解放されて、もう一度お目にかかれました……なんて。もう最期なんだから、海影である必要はないわね。良かったベニト。これならもう大丈夫」


 愛おしそうに桃色のガラス玉に口づけて、柔らかく撫でるその掌は慈愛に満ちている。


「海、影……?」


 手渡されたお守りと鏡を見つめて不思議そうに一度瞬いたベルのアメジストが、大きく揺らいで光で満ちる。


「ママ!」


 海影だった影はサラサラと崩れて、ベルを抱きしめたのはヴィオラ。ずっと棺で眠っていたベルの母親の人魚。その人だった。


 ベルの手の中の鏡が、青のお守りの裏側へ描かれた黒い勾玉に吸い込まれると、描かれた絵が白い勾玉へと変化していた。広がった黒いお守りが、ガラス玉と青のお守りを一緒に包み込む。


 袋が弾けると、ガラス玉の中に完成した陰陽玉。カチリと一度右へ回って、蕾がほころぶように桃色の花弁がハラハラと空中を舞って落ち、闇を穿つほどの光が溢れ出して目を眩ます。


 ――ふぎゃあ。ほぎゃあ。ふぎゃああぁ!


 前触れもなく木霊した赤子の産声に、潜る。溺れる。助けるを繰り返していた曇天とヨウム。水球を操っていたアンドレアルフス。海坊主でさえ動きが止まり、首元の光が一際大きく反応して、首元の青い光の正体は大きなブルーの宝石だということが判明した。


「ああ。ベニト。やっとあなたをこの腕に抱くことが出来たわ。ベル。この子は弟のベニトよ。ちゃんと回復してくれて良かった。本当に……」


 光の中から現れた紅と碧のオッドアイを持つ赤子は、ヴィオラの腕の中へとゆっくりと舞い降りる。銀色の産毛がほわほわと頭の上で揺れていた。両の拳を握り込み、母親の胸に抱かれると、目を閉じた赤子はすやすやと寝息を立て出す。


「まあカワイイ♡ じゃ、なくって! その赤ん坊どっから来たのっ!? 何が起こったのよぉ~~! べ、ベニトって言った? ちょ、ちょっと怖いんだケドっ!」


 混乱するアンドレアルフスの言動には同意しかない。 ヨウムも目を白黒させて、曇天ですら困惑に沈黙を貫き、きつく眉間に皺を寄せているではないか。先ほどの光に吹き飛ばされてしまったのか、炎の障壁はいつの間にか消え失せていた。


「曇天さん。あの宝石はアオトです。正確にはアオトの魂の残滓。首元の清浄な水は、きっと彼の抵抗の表れかと思います。私はヴィオラ。この子たちの母親で、アオトの妻です。ベルがダメなのでしたら、私に夫を迎えに行かせては頂けませんか? 私は長くこの世界へ執着し過ぎました。間もなく心身共に滅びる身。失敗したとて自然の摂理に従うだけ。貴方にも世界へも何ら影響は及ぼさないはずですわ」

 

「しかし、貴方が消えてしまうとベルさんやベニトさんは……」

 

「私のエゴで子どもの姿を長く取らせ続けてしまっていましたけれど、ベルはもう大人の人魚です。だから、私が居なくてもきっと大丈夫でしょう。心配なのはベニトですが、人魚の成長速度はとても早いんです。お姉さんのベルと、仲間の人魚がいればきっと立派に育て上げてくれますわ」

 

「お二人を捨てるんですか?」

 

「まさか。守るために託すのです。信じている家族と仲間へ。私が母親としてベルの傍にいれたのは僅かな時間です。この子の為に何も母親らしいことを出来ぬまま、私は長い眠りへついてしまった。ちゃんと母親として、してあげたいことも沢山ありました。でも、叶わなかった。彼が私をあの世界から逃がそうとしてくれたように、私は呪いに飲まれそうなアオトを救い出してあげたい。私同様、この世界に長く留まり過ぎたアオトの心身も、もう長くは持たないでしょう。あんな姿ではなく、ちゃんとアオトとして弔ってやりたいのです。……だからせめて、最期に母親として、ちゃんと子どもたちを。夫を守らせてくださいませ」


「だとよ。曇天。結局お前が何回もチャレンジしようとしても無理っだったじゃねぇか。そーいうのはさ、適材適所っていうんだぜ。得意なヤツに任せといた方が効率いいだろうし、不得意なヤツに無理させるより早く処理出来ると思うぜ」

「適材適所は知ってます」


 苦しそうに母親の言葉を聞いていたベルの瞳が一度深く閉じられ、瞼の縁が濡れる。その雫を振り払うようにぐっと開かれたベルのアメジストの瞳には、強い決意が浮かんだ。ベルが視線を上げたことで、それぞれの視線が曇天へと集まる。少し躊躇い、そして曇天は大きな溜息を吐いた。


「曇天さん! 私も手伝う。ベニトを守らないといけないから絶対に無理はしない。だから、ママと曇天さん達のサポートだけ。私にいい考えがあるの!」


 母親のヴィオラからベニトを受け取り、しっかりと胸元へ抱き寄せたベルは、大きなアメジストでじっと曇天に眼差しを送る。


「分かりました。お考えをお聞きします。ですが、危ないと思ったら直ちに中止し、安全な場所へ身を潜めることを約束してください」


 作戦はこうだ。ベルの声へと、異様な執着を見せていた紅人の反応を利用して、ベルが声で海坊主の気を引く。ピィちゃんがアンドレアルフスの視線と水球を誘導し、一つの水球にヴィオラが潜り、本体へとわざと取り込まれる。首元まで泳ぎ、首元の青い宝石を手に入れて曇天へ渡し、曇天はそこからアオトの魂の欠片を取り出して救出する。


「僕一人では成し得ない作戦だと思います。 ……成功率は未知数ですが、やってみる価値はありそうです」

「それじゃあ……」

「ほら、曇天。ちったあ素直になりやがれ」

「……ご協力お願いします」


 不服そうに極小さく。けれども、しっかりと協力を口にした曇天の頬へは僅かに朱が差している。してやったり顔で覗き込むヨウム。曇天はヨウムの頭を鷲掴み、アンドレアルフスの前へと投げ込んだ。


「おぉいっ! 相変わらずオレの扱いひでぇな!」

「もうっ! さっきから何をこそこそやってんのよアンタたちッ! いくらアタシが悪役だからって放っておき過ぎじゃナイ!? んもうっ! アタシ怒っちゃったわヨ! 紅ちゃんっ! もうあの群れ一気にやっちゃってちょーだい!」


 アンドレアルフスが曇天たちを指差すと、海坊主の身体から無数に水球がざわざわと湧き空中へと浮き上がった。その数にヨウムは瞠目する。


「ちょ、待てよっ! 流石にこれは多すぎねぇか?」


 冷や汗を浮かべ、曇天をチラリと見るヨウム。視線に気づいてそちらを見遣り、無表情でグッドラックのポーズをして見せた。


「お、おまっ! くっそ。覚えとけよ曇天! いつか絶対ぇ泣かすっ!」


 そう言っているヨウムの方が涙目だ。無数の水球の只中で、上を見上げて顔が強張る。


「や、やってやらあ! おい! ド派手変態鳥アンドレアルフス! あん時はよくもやってくれたな! オレがお前の相手してやる。オレを捕まえてみろよ」

「アタシ、暑苦しいバカインコなんかに興味ないんだケド。アンタはアタシの恋敵だもの! もっかい捕まえてアゲルわ♡ 今度はも~っと小さな小鳥ちゃんにしてア・ゲ・ル♡」


 曇天の背中に悪寒が走った。ベルは息を吸い込んで、再び泣き出した胸元のベニトに微笑む。



 ――――28――――

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