第39話 窮鼠猫を噛む

 ウータ・バーシー・ビラール。

 現在、前線を退いたウスマーンに代わり大将役を務めている。


 国家転覆を目論む偽王子の捜索を任されたものの、成果をあげられずにいた。

 兵の中にも「本当にアシュラフ陛下の御子なのでは」と言い出す愚か者が出始めたため、焦っていた。


「それではビラール中将、バカラ隊、調査に行ってまいります」

「頼むぞ、バカラ。新入りに教えてやってくれ」


 つい昨日、亡くなった書庫管理官の父親というやつが入軍した。

 志願兵のくせに、「自分より年下の若造に命令されたくない」とぬかすから、バカラが率いる部隊に任せた。

 戦闘には出せないだろうが、スラムの調査程度なら平民でもできるだろう。

 そうやって、たかくくったのが間違いだった。



 

 スラムの居住区に入るなり、新入りのワリーが貧民に切りかかった。

 斬られた女が叫び、子を守るように背を丸める。


「お前、何をしていやがる! 罪のない人間を斬るなんて。我々の役目は偽王子を探すことであって、貧民を殺すことではないぞ!」

「ひ、ひひひ。探す・・なんて手ぬるいことをしているから見つからんのですよ、少佐ぁ! 片っ端からドブネズミを駆除していけば、そのうち偽王子にもいき当たるでしょうよ!」


 ワリーの目は血走り、完全に正気を失っていた。

 訓練用の的を斬るのと、人を斬るのはわけが違う。

 訓練をつんだ新兵ですら、初陣で人を斬ることになると罪悪感や怯え、ためらいが生じるものだ。

 なのにワリーはいとも簡単に貧民を斬り伏せる。


「いや、殺さないで、うぅ。この子、だけは」

「おかあさん、おかあさ……」


 目の前にいるのは貧民。国籍を持たない、書類の上では国民として数えられていない。

 けれど互いを守るように抱きしめ泣く親子の姿は、バカラたち平民となにも変わらない。


 バカラがワリーを取り押さえたときには、すでに何人もの無辜むこの民が倒れていた。


「邪魔しないでもらいましょうか。ひひひひひ!」

「ワリー。お前さん、軍規違反をしたのはわかっているな」

「ひひひひ。反乱軍をかばって隠すここの住民たちみんな、反乱軍と同罪。ナエレを死なせた悪人どもを斬って何が悪い」

「今無関係の者を斬るお前は、お前の娘を斬った者と何が違う!」


 いつかウスマーンに指摘されたことを思い出す。

 怒りに支配されては何も見えなくなる。冷静に分析して、あらゆる可能性を考えなければならないと。


 だからバカラは考える。

 なぜこいつは『娘が反乱軍に殺された』などという妄執に囚われているのか。

 ナエレは王の反感を買って殺された、と現場を見た者が言っていた。

 反乱軍に罪を着せるために、誰かが嘘を吹き込んだとしか思えなかった。 


「わたくしは王命で、王の期待を背負ってここにいるのだ。雑兵ごときに止める権利はない!」


 ワリーは叫び、バカラを振りほどいて懐から点火機を出した。ルベルタよりも北方の国で主流の、銃という武器に火を付ける装置だ。


「何をするつもりだ新入り!」


 何をしようとしているのか察し、他の兵たちもワリーを取り押さえようとする。

 しかし制止は間に合わず、火は干されていた洗濯物に広がった。


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 ここ七日ほど雨が降っていないため、空気が乾いている。そしてスラムには燃えるものしかない。

 言い争っている間に、小さな火は火柱へと成長した。

 スラムの住人たちの混乱はさらに増した。



「しょ、少佐、どうしたらいいんですか。早く消火しないとスラム全体が燃えてしまう」


 カウィ一等兵いっとうへいがバカラに泣きつく。

 兵になってようやく一年といったところ。実戦経験がない者の一人だ。不測の事態に対応できるはずもない。


「火を消せ。今すぐ。おれたちの役目は偽王子の捜索であり、関係のない民を死なせることじゃねえ」

「は、はい。すぐに水をもらってきます!」


 カウィはすぐさま市街地へ駆け出したが、残りの兵は動かなかった。


「ぼさっと見てねぇで、お前も水を取りに行け」

「……いえ、その新兵のいうことも一理あるかと」

「はぁ!?」


 ワリーは燃える木片を他の小屋に投げ、次々に火を広めている。


「本当にいるかどうかもわからないのに、毎日毎日こんな汚いところに入らされて、いい加減うんざりなんですよ。ゴミ溜めの中を歩き回るために兵になったんじゃない!」

「おれも。やってられません! 臭えしきたねぇし、おれらですら嫌なのに、王族がこんなとこにいるわきゃない!」


 一人、また一人と不満と怒りを叫ぶ。

 見つからない偽王子。連日捜索をさせられる兵たちに溜まった疲労と不満がついに爆発した。

 ただでさえみんなが神経を尖らせていたのに、ワリーが最後のひと押しをしてしまった。



 混乱するスラムの中に、誰かの声が響いた。


「風上に逃げろ! 足の悪い者には手を貸して、一人も逃げ遅れがないように。負傷者はヨハン先生の診療所へ!!」


 誰かが火の壁の向こう側で、貧民を誘導している。


「リダ、サーディク、他の区域の者たちの誘導を!」

「任せとけって!」


 貧民を統率する声によって、少しずつ混乱が収まっていく。


 炎の向こうから、王国兵ではない、武装した者が何人も現れた。

 あれはおそらく傭兵。武具の形状がルベルタのものに酷似していた。

 傭兵の一人が弓に矢をつがえる。


「これ以上スラムを燃やされるわけにゃいかねえ。あんたらにとっちゃゴミ溜めでも、ここの人たちにとっては唯一の居場所なんだよ。覚えとけ、王国兵さんよ!」


 放たれた矢が、ワリーの右腕を貫いた。


「ぎゃぁぁあぁあ!!」


 ワリーは地面の砂を掴んでのたうち回る。

 助けてくれ痛いと喚いているが、自業自得すぎて同情する気持ちもわかない。


「ワリーを下がらせろ!」

「は、はい!」


 二人がワリーを引きずるようにして後方に投げる。


「経緯はどうあれ、あれは間違いなく反乱軍。捉えて王子の居所を吐かせるんだ! 剣をまともに握ったことのない貧民が刃物を持ったところで、俺たちの敵ではない!」

「はっ!」


 兵たちは剣を抜き、決められた隊列通りに進む。

 窮鼠猫を噛むと言うが、ドブネズミなんてバカラたち王国兵の脅威になりえない。

 矢がワリーに当たったのはまぐれにすぎない。

 こちらは毎日訓練をしている兵の集まり。貧民ごときに負ける理由が見つからなかった。


「第三部隊、第六部隊、バカラ・・・の間合いにだけは入るな! お前たちでは勝ち目がない」

「わかってるさ! オレらの相手はその他の歩兵だろ」


 リーダーと思われる者の指揮で、反乱軍はバカラの部下だけに狙いを定めてきた。

 傭兵たちは慣れた様子で半月刀を扱い、バカラの部隊を押し返す。

 

 目の前の傭兵に対応しようとしたとたん、死角から矢が飛んでくる。少なく見ても四方向。

 弓兵を探そうにも、スラムは入り組んでいて死角が多い。探すのは困難を極めた。



 襲撃から反撃までの対応の速さを考えて、反乱軍はいつ攻撃されてもいいよう備えていたのだ。

 さらに、あちらはスラムの構造を熟知している。


 人数だけならこちらが圧倒的に有利だが、地の利反乱軍が格段に上。

 バカラ所属隊の半数はまたたく間に深傷を負い、戦闘不能にされてしまった。

 誰も死んではいない、死んではいないが腕を斬られ、剣を持つことができなくなっている。


「卑怯な。部下を狙うのでなく、俺と直接戦え!」


 バカラは半月刀をかまえて怒鳴る。

 燃える道を挟んだ向こう側で、リーダーの男は淡々と述べる。


「相手にあわせて隊列や戦法を変えるのは、卑怯とはいわない。戦略という。少尉ともあろう者が、戦場を競技試合とでも思っているのか?」


 聞き覚えのある声だった。ターバンでくちもとを隠しているが、声までは偽りようがない。

 貧民たちの避難誘導をし、傭兵たちを指揮していた者。

 

 公開処刑の日、囚われた貧民を助けに来た『ファジュル』に他ならなかった。

 

「俺を殺すためならば、スラムを焼き、罪のない民をも斬る……それがガーニムの命令か」


 口調は静かだが、ファジュルの声は低く、怒りを含んでいる。


「俺にとっては、平民も貧民も流民も、隔て無くかけがえない命。お前たちに傷つけさせたりはしない!」


 ファジュルの指揮で、傭兵たちが再び進軍を開始した。

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