第13話 ナジャー救出作戦

 姫が自分の乳母に解任を宣告した。

 心底あなたを軽蔑していますって顔をして。


 ディーは心の中で口笛を吹く。

 国王は姫がそんなことを言うと思っていなかったのか、ぎょっとした。


「お父様。わたくし、まだ誕生日の祝いの品をもらっていなかったわ。だから贈り物をというのなら、ナジャーを解任して新しい側仕えをちょうだい。話し相手になってほしいから若い子だと嬉しいわ」


 気に入りの玩具に飽きたから新品をちょうだい。意味するところがえげつない。宴の場にいる者たちは、この親にしてこの子ありと思ったことだろう。


「ふむ。そうだな。換えなどいくらでもいる。良さそうな人材を見繕っておこう。ナジャー。シャムスがこう言っている。今すぐ出ていけ」

「…………はい。仰せのままに。これまでお世話になりました。陛下と姫の健勝を、心より願っております」


 保身の言葉一つ発さず、肩を落とし、憔悴した様子で宴の場を出ていくナジャー。

 姫は罪悪感にかられたようにうつむく。

 それも一瞬のことで、すぐ偽物臭い笑顔を貼り付ける。

 宴に参加していた樽体型の中年は、でっぷりした腹をゆらしながら姫を称える。


「いやぁ姫様。悪の芽を摘むとは、さすがでございます。これで城が平和になりますな。ガハハハハハ!」

「悪の芽なんてそんな。わたくし、要らないものは捨てるたちなだけです」


 樽を見やる姫の目が、“お前も摘んでやろうか”と言っていることに、樽は気づいていない。

 ファジュルから聞いたとおり、この姫様、見かけは大人しそうだがいい性格だ。

 ディーはこの短い間で、姫に……もとい、従姉に興味を抱いた。


 一座の出番が終わり、ディーたちは城をあとにした。

 星明りしかない中、城からだいぶ離れたところ、市場の近くでナジャーが待っていた。

 

「先ほどはありがとうございました。あなた方は姫様が仰っていた殿下の協力者ですね」


 そう言って、小さな声で深々と頭を下げる。聞き耳を立てている人がいるかもしれないという配慮か。

 それでもお礼を言うために待っていたなんて、なんとも律儀な人だ。


「礼はいらないよ。誰に見られているともしれないから。早く行きな、ばあちゃん」

「……ありがとうございます。本当に」


 ディーは大仰に手で追い払う仕草をする。

 この現場を誰かが見ていたとして、声を聞こえない位置にいる人には、ディーが老婆を邪険に扱ったとしか見えないだろう。

 

 ナジャーが立ち去るのを見送り、ディーたちも一座の天幕に戻った。

 今回の宴に参加しなかったメンバー、そしてファジュルとルゥルアが待っていた。

 万に一の可能性とはいえ、“スラムの人間が、噂を撒くためにわざわざ平民の服を着ていた”とバレては困る。

 スラムの仲間と合流するのは、日が完全に落ちてからと話し合いで決めていた。

 ファジュルが開口一番に聞いてくる。


「どうだった」

「バッチシ! あのばあちゃんは今頃スラムの仲間たちと合流していると思うよ。あの姫さんかなりの演技派だね。うちの団員に欲しいくらい。な、親父、姉貴」


 親指を立てて報告すると、ファジュルはホッと息を吐く。


「そうか。面倒な役を頼んですまなかった。ありがとう」

「アンタ本当に王族らしくないよね。オレみたいな流れ者に礼を言うなんてさ」


 ここ、イズティハル王国に限らず、王族や貴族の宴に呼ばれることはいくらでもあった。

 宴に呼んでやっている・・・・・・・・という態度の者が多く、曲や踊りを披露して礼を言われたことなんてないに等しい。

 ファジュルが普通の王族と違うのは、スラム育ちだからだろうか。

 思ったことを口にしただけなのに、ヘラが間髪入れずディーの後頭部を殴った。


「アンタ、言っていいことと悪いことの違いもわからないのかい」

「いってぇ! 何すんだよ姉貴! 殴ることないだろ!?」

「失礼なこと言うからさ。自業自得だよ」


 ディーとヘラの喧嘩を見て、ファジュルが小さく笑う。


「王族だと知らされたのは昨日の今日だからな。王城で生まれ育った人と違うのは当然だと思う」

「わたしたちが会ったことのある王族って、シャムスさんだけだものね。他の王族ってどんな人なのかしら」


 ルゥルアも同意する。

 二人ともスラムの外に出たのも数えるくらいしかない。見たことも聞いたこともない何かと比べられても困るというものだろう。

 確かに、言わなくてもいいことを言ってしまったと、ディーは反省した。


「それはどうでもいいが、シャムスは大丈夫そうか? ナジャーを逃がしたあと、ガーニムに怪しまれたりはしていなかったか」

「陛下はかなり酔っ払ってて、ばあちゃんを解雇するのに同意していたんだよね。シラフにもどってばあちゃんを人質に戻そうにも、イマサラってやつじゃん」


 飲酒を禁じているマラ教国家の国王が酔っ払いって何なんだろうか。マラ神への信仰心が欠片もないのがひと目でわかってしまう。


「詳しい話はヨハン兄さんたちと合流してからにしよう。ナジャーさんが途中で迷っていても困る」

「父さん、アタシは撤収作業をしておくよ。宴でさっさと引き上げると言っちまったし、最低限大道具を荷車に積まないと怪しまれそうだ」

「ああ、頼むよヘラ。ぼくとディーはヨハンたちのところに向かう」


 ヘラと座員に拠点の撤退を任せ、ヨアヒム、ディーとファジュル、ルゥルアの四人だけでスラムに入った。


 路上に寝ていた何人かがディーたちを見て、目を細める。放火されたばかりだから、見知らぬルベルタ人が来たことを警戒している。

 一緒にいるのがファジュルとルゥルアだとわかると、スラムの民は短く息をついてまた頭から掛布を被った。


 立体迷路のような道を、ファジュルが先導して歩く。生まれてからずっとスラムで暮らしてきたというだけあり、迷う様子が一切ない。

 ルゥルアもファジュルに手を引かれながら、不安がる様子もなく歩いている。

 

「ねえ、兄さんはずっとその子の手を引いてるね。どうして?」


 恋人だからというのを差し引いても、常に手を引いているのは目についた。

 ルゥルアがうつむいてしまい、かわりにファジュルが答える。


「ルゥは左目が見えていないんだ。遠近感が捉えにくくて、視界も両眼より狭いから、補助がないと危ない」

「…………ご、ごめん。ボク、また余計なことを」


 スラムの中はいろんなものが転がっているし、道から道へ綱が渡されていて、所狭しと洗濯物がぶら下がっている。

 両目が見えているディーでも、歩きにくいことこの上ない。

 目が見えにくいルゥルアには、もっと辛いだろう。


「別に。聞かれない限り言わないからな」

「それでも、ごめん」

「次からは口にする前に考えろ」


 ファジュルの指摘はもっともなので、ディーは何も言い返さず頷いた。ここにヘラがいたら「だからモテないんだ」と鼻で笑われたことだろう。


 石造りの建物のあたりに、ヨハンとナジャー、そして、反乱軍の仲間と思われる人たちがいた。


「ファジュル、ルゥルア。お疲れー。うまくいって良かったな」

「ああ。サーディクもお疲れ」

「そっちの人たちが先生の知り合いさん?」


 サーディクと呼ばれた若者に聞かれ、ヨアヒムが代表して挨拶する。


「ぼくはヨアヒム。そこにいるヨハンの弟。こちらは息子のディートハルトだ。微力ながら反乱軍結成に協力させてもらうよ」

「まじー!? 先生の弟と甥っ子!?」

「サーディク、ちょっと黙ってろ」


 夜更けなのに騒ぐサーディクに、ファジュルが鋭い一声を刺した。

 ナジャーがその場に膝をついてファジュルに頭を垂れる。


「お初にお目にかかります、ファジュル様。この度は息子と私の命を助けてくださりありがとうございます」

「礼はいい」


 長くなりそうな御礼の口上を、ファジュルが遮った。


「城の中での様子を聞いてもいいか」

「はい。なんなりと」


 落ち着いて話をするため、空いた場所にそれぞれが座る。真ん中にはヨアヒムが持ってきたランタンがひとつだけ。

 初顔合わせの者が多いため、それぞれが簡単に自己紹介をした。

 一通り挨拶を終えたところで、ファジュルが聞いてくる。


「城に戻ったあとシャムスの行動が怪しまれるようなことはなかったか?」

「昨晩居なかったことに関しては、『姫様は体調が優れなくて伏せておられます』とお伝えしたら、陛下も納得されていました。今夜に関しては、離席しましたのでわかりかねます」


 追い出されたナジャーが、解雇を言い渡されたあとのことまで知るはずがない。そこは宴にいたヨアヒムが答える。


「陛下は疑問を抱いていなさそうだったが、宴の会場を警備していたモノクルの男には気をつけたほうがよさそうだ。姫がナジャーをクビにすると宣言したとき、一人だけひどく困惑しているようだった。“姫はそんなことをする人だっただろうか”とでも言いたそうな……」

「モノクルをかけた人はウスマーン大将です。大将は城に務める兵全員の顔と名前を覚えておられるので侮れません」


 そう答えたのはもと兵のアムルだ。


「ウスマーン大将・・、か。昔から知識と観察眼に富んでいたが、そうか。彼は大将にまで登りつめたのだな」


 どこか複雑そうに言うラシード。元々城にいたから、古くからいる人間とは顔を合わせたこともあるだろう。ファジュルが釘をさす。


「顔なじみがいるからやっぱり戦いたくないなんて言うのはよしてくれよ、じいさん」

「言わんよ。そこまで」

「ウスマーン殿は……姫様が反乱軍に加担しようとしていると知ったら、城から出られないようにするでしょう。兵としての職務に忠実ですから。姫様が無事に城を脱出できるか心配です」

「ばあちゃん、心配ならボクが様子を見てくるよ。隠し通路から続く道を教えてもらえる? うまく脱出していたならそれで良し。途中で会えるだろうし」


 ディーとしても、姫が心配だ。

 もしも姫がナジャーをクビにした真意に、あの王が気づいてしまったら……無事では済まされないだろう。

 そうなる前に逃がしたい。ファジュルもディーの提案に同意してくれる。


「なら、シャムスのことはディーに任せよう」

「任せてよ、兄さん。ボクひとりでどうにもならなそうなら、他の人の手も借りるよ」


 ヨハンが手を挙げて意見を出す。


「拠点を他の場所にしたほうが良いでしょう。今回はすぐに気づいて消し止めることができましたが、またいつガーニムの手の者に火を放たれるかわかりません」

「たしかに、ここだと無関係な人を巻き込んじゃうもんね」

「拠点を持つにしても、候補地はあるのか?」


 兵が乗り込んできて乱戦なんてことになったら、反乱軍に関わっていない人まで協力者と見なされて斬られかねない。国に反意があるかどうかなんて、見た目で判断できない。

 拠点候補地についてはヨアヒムが知っている場所をあげる。


「ここより西方にある、オアシス付近の岩場はどうだろう。いくつか洞穴があって、雨風がしのげるから寝具さえあれば寝起きには不自由しないはずだ」

「そうか。なら、そこを見に行ってみよう。案内してもらえるか、ヨアヒム」

「もちろんです」


 シャムスの脱走を手助けする組と隠れ家に使う場所の下見をする組。各メンバーを決めたあと、今日のところはお開きとなった。

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