第10話 密やかに指す一手

「サーディクたちはそのまま市場に行ってもらうとして、ファジュル様とルゥルアはこっちに来てくれるかな。作戦の前にやることがある」

「俺達もすぐに町に行くんじゃないのか、先生」


 ヨハンが町とも市場とも違う方向に歩き出す。

 ファジュルとルゥルアは不思議に思いながらも、ヨハンのあとについていく。


 行き着いたのは、町の外に仮設された旅一座の大型テントが並ぶ場所だった。布の合間から見える中は衝立で簡単に仕切られていて、寝ている者、衣装の手入れをしている者、何人もの人がいる。

 入り口付近にラクダが引く荷車が二台止まっていて、荷車を引くラクダは食事中だ。

 ゆっくりした動きで、そこら辺に生えた草を食んでいる。


 ヨハンは勝手知ったる我が家という風に、挨拶もなくテントに入っていく。


「ヨハン先生!?」

「先生、勝手に入ったら怒られるわ!」

「大丈夫。ここはぼくの古巣だから。と言っても親父が引退して、今はぼくの弟ヨアヒムが座長を務めているんだ」


 そういえばヨハンは、もとは旅一座の人間だと言っていた。

 ヨハンは中にいた若者数人と少し話をして、テントの外で待っていたファジュルとルゥルアに手招きをする。


 呼ばれるままテントに入ると、二人の若者と引き合わされた。

 二人ともルベルタ人特有の金髪と白い肌をしている。


「はじめまして。ボクはディートハルト。ディーって呼んで。ヨハン伯父さんから話は聞いたよ。クソジジイを討つならボクらも全面協力するから、ヨロシク」

「あたしはヘラ。よろしく頼むよ」


 ディーは小柄で、歳は十五くらいに見える。ヘラは長い髪を後頭部で結っていて、見るからに活発そうな雰囲気を持っている。


「俺はファジュル。こっちはルゥルアだ」


 挨拶をそこそこに、ディーが両腕を大きく広げて言う。


「さっそくだけど、兄さん。余分な服をあげるからさ、噂をまくときには平民のふりをしていてほしいんだ。で、もし噂が城まで届いていなかった場合、ボクが宴で姫様の手助けをするよ。キャラバンの人間なら耳聡いから、城下の新鮮な噂の一つや二つ知っていても疑われない」

「宴って、一般人は容易に城に入れないだろう」

「それについては問題ないよ。あたしたちの一座も今夜、王宮で行われる宴に呼ばれていてね。王と王女の前で音楽と踊りを披露するのさ」 


 この短い時間でヨハンから説明を受けただけなのに、命に関わるようなことに加担できるものだろうか。

 ファジュルは手を貸してもらえることに、喜びより先に疑念を抱いた。


「いくら身内に頼まれたからといって、今さっき説明を受けただけで俺たちの計画を手伝うなんて、正気か?」


 国の在り方を覆すこと。失敗すれば全員反逆者として殺される可能性もある。

 ファジュルの質問に、ディーとヘラは答える。


「ボクらには、ファジュル兄さんみたいに『スラムを救いたい』なんて大それた動機はないよ。単なる私怨。ボクたちにとってガーニムは敵なんだよ」

ガーニムの敵は味方。だからあたしたちはあんたに協力するのさ」

「ガーニムが、あんたたちの敵?」


 平民が王族と直接関わる機会はそうないだろう。直接恨みを抱くような何かあるのだろうか。


「ガーニムが無理やり王妃にした女性……アンナは伯父さんの婚約者だったんだよ」


 ガーニムが身勝手で非道な男だとラシードから聞かされてはいたけれど、まさかひとの婚約者を奪って王妃にしていたなんて。

 ヨハンは丸太の椅子に腰を下ろし、目を伏せる。


「……アンナのお腹にはぼくとの子がいた。王宮での仕事が終わったら一時休業して、子育てに専念しようか、って話し合っていたんだ。………あのときのぼくの気持ちは誰にもわからないだろうね。王妃になることを了承しなかったら一座の仲間を皆殺しにするって脅されて、アンナは条件を受け入れるしかなかった」


 世間話をするように軽い口調で語るが、ヨハンの表情は憎悪に満ちている。今、目の前にガーニムがいたら八つ裂きにしていたことだろう。八つ裂きでも足りないかもしれない。


「アンナと子どもを奪ったあいつを、ぼくは絶対に許さない。ガーニムにはどん底に落ちて、苦しみ抜いた上で死んで欲しいんだ。ファジュル様。ぼくがスラムで十八年医者をやってきたのは、全てこのときのため。君が大人になり、ガーニムを討つ日が来るのを待っていたんだ。ぼくの復讐に利用する目的でそばにいたんだ。軽蔑してくれて構わないよ」


 ヨハンは爪が食い込むほど強く拳を握り、十八年胸にためてきた思いの丈を吐き出す。

 ここにいるのはスラムの人々を診る優しい医者ではなく、ガーニムに妻子を奪われた悲しい復讐者だ。


 自分が同じようにルゥルアを奪われたら、奪った人間への復讐のために残りの人生を費やすかもしれない。

 己の生き方を自嘲するヨハンを、ファジュルは責める気になれなかった。


「俺は、先生の十八年が全て復讐のためだったなんて思えない。先生のおかげで生きていられる人も多い。悩みを相談する者の話も親身になって聞いてくれていた。軽蔑なんてしない」

「先生の本当の目的が別にあったとしてもいいよ。わたしや、スラムのみんなは先生に助けてもらえて感謝してるよ」


 ファジュルとルゥルアに言われて、ヨハンは微かに笑った。


「……ありがとう。君なら、本当に良き王になってくれるだろうね」


 話がまとまり、ディーとヘラが服を抱えて持ってきた。


「さ、ルゥルアはこっちのテントに来な。あたしが着れなくなった衣装をあげる」

「兄さんはこっち。蒸した布巾も用意したから。汚れも落とさないとね」


 ファジュルとルゥルアは別々にテントに放り込まれ、蒸した布とお湯で念入りに全身洗われて、うんざりした頃にようやく解放された。


 服の一式を渡され袖を通す。いま自分がどうなっているかわからず、手足を見下ろしていたファジュルの前に、ディーが姿見を出す。


「ほら、鏡を見てみなよ兄さん。似合うじゃーん?」

「似合う、のか? こんな上等な服、生まれて初めて着た」

「え…………。平民の中でも安物に分類されるそれを上等な服だなんて、兄さんがこれまでどんな生活をしてきたか察するに余りあるよ。公演で諸国巡ってきたけど、貧民街暮らしの王族なんて見たことがない」


 ファジュルが着ているのは平民たちが着ているのと同じような服だ。綿で作られた七部袖の上衣に、膝下丈のズボン。足首を止めるタイプのサンダル。首元にはターバン。布地がややくたびれているが、まだまだ着られる。

 ファジュルがもともと着ていたボロは、ディーがゴミ袋に突っ込んだ。


「独立した兄貴分が着ていたやつなんだけど、兄さんにやるよ。ボクには大きすぎるからね」

「なら、ありがたくもらっておこう」


 しばらくして、隣のテントで着替えていたルゥルアも出てきた。

 ヘラは、ルゥルアの背中を叩き、豪快に大口をあけて笑う。


「いやぁー、この子何着せても似合うから着せ替え楽しかったわー。ルゥルア、また着てくれるよね」

「……かわいい服を着れるのは嬉しいんだけど、きせかえ人形になるのは遠慮したいな」


 疲れきった様子のルゥルアは、さっさと着替えたファジュルと違い、何着も試着させられたらしい。

 生成りの上衣と金糸で刺繍が施された巻きスカートは、ルゥルアの優しく柔らかな雰囲気を引き立たせている。


「きれいだな。その服、ルゥによく似合っている」

「ありがとう。ファジュルもすごくかっこいい。他の人に今のファジュルを見せたくないな」

「そうか?」

「そうなの! こんな素敵な格好してなくても、ファジュルと一緒にいられるのズルいっていっつも言われてるのに!」

「頼まれてもルゥ以外の女をそばに置く気なんてないんだけど」


 ファジュルが臆面もなくルゥルアを褒め、ルゥルアもファジュルを褒めちぎる。

 恋人同士の睦み合いを見せつけられてしまったディーは、口に砂糖の塊を詰め込まれたような顔になっている。


「うっへぇー。兄さんたち、よく人前で恥ずかしげもなくそんなこと言えるね。ボクには絶対真似出来ないよ」


 色恋沙汰の耐性ゼロな弟を見て、ヘラはからからと笑う。

 

「あははは。だからアンタはもてないんだよ、ディー。女はお世辞抜きに褒められて美しくなるんだ。見てみなよルゥルアの可愛さを。ファジュルを真似出来ないなんてダサいこと言ってないで、はやく恋人の一人でも作って甘い言葉を囁いてみな」

「うっさい! 余計なこと言わなくていいんだよ姉貴!! そうやってボクに偉そうなこと言ってるくせに、先週彼氏に振られたって知ってんだからな!」

「なにおう!?」


 手刀でドツキあう姉弟に、ヨハンとファジュル、ルゥルアは声をあげて笑った。





 賑わう町に行くと、市場は昨日よりさらに人と屋台が増えていた。例年通りなら、シャムスの誕生日当日までこれが続く。


 ファジュルはスラムから離れた場所に来るのは初めてだった。貧民が市場より先の町中に行こうものなら、「ここはドブネズミの来るところじゃない」と兵を呼ばれ追い払われてしまうからだ。

 同じ人間なのに、石壁一つ越えれば貧民ドブネズミと平民。運命が分かたれる。


「ルゥ。手を」

「うん」


 人ごみの中ではぐれないよう、ルゥルアはファジュルの腕に手を絡ませる。どこからどう見ても祭りを楽しむ恋人同士だ。

 二人の他にも同じように腕を組んでむつみ合う恋人たちがいるから、彼らは自覚なくいい隠れ蓑になってくれている。


 いつもならファジュルたちをドブネズミと蔑む町の人々は、ここにいても石を投げてきたりしない。

 変わったのは服装だけだというのに。

 つまり、彼らが蔑んでいたのは貧民の格好・・・・・

 たとえばシャムスにボロボロで貧民と変わらない服を着せたら、誰もがドブネズミだと見下すのだろう。

 


「すごい賑わいだな。昨日の騒ぎなんてなかったみたいにしている」

「そうね。……そういえば聞いた? あの火事、シャヒドの息子って人が犯人だったんだって」

「シャヒドって、あの・・?」

「詳しくは知らないけど、そうらしいよ」


 行き交う人のうち幾人かは、チラチラとファジュルとルゥルアを振り返る。怪しまれているのか、それとも噂話に気を引かれたのか。

 買い物かごを腕にさげたおばさんが、隣を歩く娘さんに話を振っている。


「火事、火元はすごかったらしいわねぇ。スラムから離れているうちにまでススと灰が飛んできたものね。おかげで洗濯物全部洗い直しよ。不始末かと思ったら放火だなんて物騒ねぇ」

「いくらドブネズミから迷惑こうむっていても、火をつけるのはやり過ぎよね」

「あっちで大やけど負った子が言ってたわね。あの火はシャヒドがやったって。先王様を手にかけるだけじゃ飽き足らず、放火まで? 嫌よねぇ」


 サーディクたちもうまく作戦を遂行しているらしい。そこかしこから、火事関連の噂話が漏れ聞こえる。


「町の方も行ってみよう」

「うん」


 市場から離れたところでも、人が集まり賑わっていた。

 このあたりは露店こそ出ていないが、道行くみんなが即興で歌って踊る。

 真ん中では籐のカゴを腕にさげた女が、紅色の花びらを撒いている。

 なかには、騒ぎが起きないよう巡回する兵の姿もある。何人かの兵は仕事そっちのけで女と踊っている。


「地図で見るのと実際歩くのじゃだいぶ違うな」

「わたしたちが来る機会がなかっただけで、少しずつ暮らしやすいよう手を加えているのね」

「……地図通りでないなら、些細な地形の違いもしっかり覚えておこう。『敵を知り己を知る者は百戦危うからず』って言うからな」


 ファジュルはルゥルアの手を引いて踊る人々の輪に混じり、ただ祭を楽しむために来ただけの若者を演じる。

 のんきに歌っているこの兵士は、きっとこのあと城に戻るだろう。兵士の近くに行き、たまたま聞いた噂話・・・・・・・・・をする。


「やっぱり祭って、楽しいな。昨日すぐ近くで火事があったことなんて忘れてしまいそうだ」

「さっき聞いたあの話、怖いものね。シャヒドっていう人が──」


 うまくいけば、ガーニムはこれ以上ナジャーを城に繋ぎ止めておけなくなる。

 殺人鬼と放火魔の家族が王女の側に仕えているなんて、正常な判断力を持つ人たちが黙っているはずないのだから。


 これはまだ最初の一手。

 武力を持たないファジュルたちにできる唯一。


 いつか革命を成せたなら、この祭にスラムのみんなも交じることができたらいい。ドブネズミなんて呼ばれたりせず、平民たちにとっての当たり前の日々を得て、分け合えたなら。

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