第2話 凡人エルフ、言葉を覚える

柔らかな光がまぶたを透かして、俺はかすかに目を開けた。

リビングに置かれた赤ん坊用のベッドの中で、いつものように午後の昼寝をしていたところだ。

窓から差し込む光から逃れるように俺は寝返りを打った。


転生して1年が経った。

あれから俺はエルフの息子として、この異世界で赤ん坊ライフを送っている。


窓から差し込む光は、日本とは少し違う。

太陽が違うのか、空気中に日本とは違う成分でも混じっているからなのか、光が虹色に揺らめいて見える時があった。

ベッドに寝そべりながら、ぼんやりとその光を眺めるのが日課になっていた。


(はぁ……。赤ん坊って、こんなに寝てばっかりなのか)


体はまだまだ未発達で、思うように動かせない。

ハイハイができる程度で、立ち上がることすらまだできなかった。


かといって、ずっと起きているのも難しい。

赤ん坊だからなのか、起きてるだけでもすぐに眠くなるので、一日の半分くらいは寝ている気がする。


でも、この世界での生活にも少しずつ慣れてきた。

ふわっと香る甘い匂いに、自然と目が覚める。


(おおっ……この香りは……)


昼寝から目を覚ましたのは、どこからか漂ってくる甘い香りのせいでもあったのかもな。

そろそろいつもの時間だ。


『レイちゃん、ゴハンよー♪』


予想通り、母さんが食事を持ってきてくれた。

金色の長い髪を優雅に揺らしながら、にこやかな笑顔で近づいてくる。

エルフの特徴なのか、母さんはいつも神々しいほどの美しさを放っている。


母さんの言葉は、どうやらエルフ語らしい。

日本語じゃないので、何て言ってるのかはわからないんだよな。

残念ながら、転生の際に「異世界言語理解」みたいなチートスキルは付いてこなかった。


(まあゆっくり覚えていけばいいか。今は赤ちゃんなんだし)


毎日の生活の中で、少しずつ単語を覚えていけばいい。

例えば、母さんが食事を持ってくるに必ず言うあの言葉。


「レイ」が俺の名前で、そのあとの言葉がきっと「ご飯」なんだろう。

毎日同じフレーズで呼びかけてくれるおかげで、すこしづつ理解できるようになってきた。


苗字はなんて言うんだろう。

何か長い単語を時々聞くんだけど、まだうまく聞き取れないんだよな。


『はい、あーんして♪』


母さんがスプーンで、おかゆみたいな食べ物を運んでくる。

今日のメニューは、薄紫色の穀物で作られたおかゆみたいなもの。

母さんが丁寧にフーフーして冷ましてから、木製の小さなスプーンで口の中に運んでくれた。


(うーん。きっと美味しいんだろうけど……前世の記憶が邪魔をするな……)


まだまだ離乳食なので不味くはないが、正直味が薄くて美味しいってわけでもないんだよな。

味は決して悪くないんだけど、どうしても前世の味を思い出してしまう。


ジューシーなステーキとか、こってり系のラーメンとか……。

でも、母さんの愛情は十分に伝わってくる。

台所から聞こえる歌声を聴いていると、本当に楽しそうに作ってくれているのがわかるんだ。


それを見ているから、素直にご飯を楽しめないことに、なんか悪い気がしてしまう。


食後はすぐに眠くなってしまうので俺は素直に眠ることにした。

母さんの美しい歌声が聞こえる。

きっと子守唄だ。それを聞くと俺はすぐにうとうとしてしまう。

目を閉じた俺は、優しい眠りに包まれていった。




起きると、食後の運動タイムだ。

不思議な模様が刻まれた柵に触れると、かすかに光る。

きっと赤ん坊が怪我しないための魔法なんだろう。


俺はベッドの中をハイハイで動き回る。

まだ足腰が弱くて立てないんだけど、這い回るくらいはできるようになった。

少しでも早く体を鍛えて、ベッドの外に出られるようにならないと。


(ふぁ……眠い……)


そうこうしているうちに、また眠くなってきた。

目が覚めると、もう夜。


部屋の隅では、暖炉が優しい光を放っている。

俺のベッドの横には、父さんと母さんが布団のようなものを敷いて寝ていた。


(たぶん自分の寝室もあるはずなのに、俺のために、寝室を使わないなんて……)


前に夜中に目が覚めて動き回った時、物音が鳴ってしまったみたいで、すぐに気付いて様子を見にきてくれた事があった。

父さんは夜中にもかかわらず俺を優しく抱き上げ、母さんが子守唄を歌ってくれたんだ。

エルフの子守唄は本当に不思議で、聴いているとまるで森の中で眠るような心地よさがある。

そうして気が付くと俺は再び眠っていたんだ。


それ以来、二人はいつも俺のそばで寝るようになった。

きっと俺のことを心配してるんだろう。

俺のことを大事に思ってくれているのは素直に嬉しいし、夜に起こすのも悪いからな、静かにしてよう。



それから数ヶ月が経った。

相変わらずベッドの中でゴロゴロしたり、ご飯を食べさせてもらったりしていた。

とはいえ、何もしていなかったわけじゃない。

特に言葉の習得に力を入れていたんだ。


「あうあう……」


エルフの言葉っぽいものは覚えてきたけど、舌が思うように動かなくて、まともに発音もできないんだ。

でも、諦めずに練習を続けた。

両親の会話を注意深く聞き、どんな時にどんな言葉を使うのか、少しずつ覚えていった。


父さんが帰ってきた時の「ただいま」。

母さんが応える「おかえり」。

食事の時の「いただきます」。

寝る前の「おやすみ」。

毎日繰り返される言葉を、一つ一つ心に刻んでいく。


なのでしゃべってみようとしたが、まだ舌がうまく動かない。

それでも何度か練習しているうちに、簡単な言葉なら言えるようになってきた。

そしてついに、練習の成果を見せる時が来た。


最初に言う言葉は決めていた。


リビングには朝日が差し込んでいる。

俺はベッドの中をハイハイで進むと、リビングの掃除をしているその人に向かって、柵の隙間から手を伸ばした。


「お母さん」


「!!!!!」


母さんが掃除の手を止め、驚きの表情で振り返る。

書斎にいたはずの父さんまで飛び出してきた。


「「~~~~~~~!!!!!!!」」


そうして二人で抱き合いながら、エルフ語で驚きの声を上げる。

何を言ってるのか全然わからないが、二人して抱き合っている様子を見ると、とりあえずめちゃくちゃ喜んでいるようだ。

母さんは目に涙を浮かべながら俺を抱き上げ、何度も頭を撫でてくれた。


いや、言葉を話しただけなのに……ほめすぎじゃないかな……。

別に嫌じゃないけど……。


父さんも興奮した様子で、自分を指差しながら何かを言っている。

早口だしいつもより難しい言葉を使ってるから何を言っているのかわからないけど、何を言いたいのかはわかる気がする。

とはいえまだ俺はその言葉を知らないんだよな。


「あうあう」


父さんに手を伸ばし、声を出す。

わかってくれたのか、同じ単語を連呼し始めた。

まだ上手く言えない。

でも父さんは根気強く、同じ言葉を繰り返してくれる。


その気持ちにこたえたくて、俺も何度も口にした。

そしてついに……


「お父さん」


お父さんが爆発した。


正確には、爆発したのかと思うくらい喜んでくれた。

まるで子供のように飛び跳ねる姿に思わず笑みがこぼれる。


そんな父さんに向けて、母さんが呆れたような、でも嬉しそうな声をかけた。


(父さんは単純だな……でも、嬉しいな)


ただ「お母さん」「お父さん」と呼んだだけなんだが、こんなに喜んでもらえるなんてな。

やっぱり俺の両親は、俺のことを溺愛しているんだろう。


なんか、嬉しいな。こういうの。

日本人のころはあまり親孝行できなかったし、今度はしていかないとな。




その夜、暖炉の明かりが揺らめく中、両親の話し声が聞こえてきた。

どうやら難しい話らしく、何を言ってるかわからなかったため、聞いてるうちに俺はまた眠くなってうとうとしてきた。


『ねぇ、あなた』

『どうした?』

『レイったら、まだ1歳なのにもう言葉を覚えるなんて、やっぱり天才なのかしら』

『君の子供だからな。物覚えが早いんだろう』

『私たちの家系は代々、魔法の才能には恵まれてきたけれど……』

『ああ。レイは違う才能を持っているのかもしれないな』

『きっと将来は凄い子になるわ』

『ああ。楽しみだな』


暖炉の明かりに照らされた夜更け、両親は幸せそうに微笑み合っていた。

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