難攻不落のチェルノーゼム
さこここ
第一章 少年立志編
第1話 全ての始まり
「異世界転生六年目にして、捨てられてしまった……」
カヴァル歴五十年、春の日の事だった。
意識が無い間に捨てられたようで、慌てて身体を起こして石の壁を背にひんやりとした石畳に座り込む。どうやらここは路地裏のようだ。
「父さん、母さん……」
下を向いてばかりだと気が滅入るので、透き通るように真っ青な空を見上げながら独り呟く。
どうして捨てられてしまったのか、理解はしているが納得はしていない。恐らく、アレが原因だろう、という心当たりはある。
「あら、これ安いわねぇ」
「いらっしゃいー! 新鮮なガルーダ村の野菜だよー!」
「気をつけろ、馬車が通るぞー!」
ふいに聞こえたざわめきの方をチラリと見れば、手が届くところに普通の生活が溢れかえっていた。
買い物をするおばちゃん、客を呼び込むねじり鉢巻を締めた露店のおっちゃん、歩行者を怒鳴る馬車の御者……俺以外の誰も彼もが、今という時を謳歌しているんじゃないかと思ってしまう。
「なぁんで、こんな事になっちまったんだろうなぁ。いっその事、犯罪でも……っていやいやいや。何を馬鹿な事を考えているんだ」
道行く人を眺めていると、どす黒い嫉妬の感情が芽生えている事に気付いた。慌てて空を見上げて荒れた気持ちを鎮める。俺とした事が、何を考えているのやら……。
自己嫌悪に陥っていると、胸の内から幸せに暮らしていたこれまでの記憶が湧き上がってきた。
ヴィンスとエリーシア、幸せ真っ盛りな新婚夫婦の下に赤ん坊として転生した元サラリーマンの俺。
俺はちょっとだけ引っ込み思案な子供だったけど、それでも家では三人の笑い声が絶えなかった。
碌でも無かった前世と違って、人の温もりを感じる穏やかで幸せな時間を過ごしていた……はずだった。
だけど、そんな日々は五年しか続かなかった。
二人は、ある日を境に俺に見向きもしなくなった。
切っ掛けは五歳の誕生日を迎えた春の日。今からちょうど一年前の事だった。
俺たちドラゴニア大陸に住んでいる人は、五歳の誕生日に村の女神教会で祝福を授かる。
生まれた時点で、前世の記憶をハッキリと認識していた俺は、この日を待ちわびていた。
教会にある女神像に跪いて祝福を受けると、女神様がその人に合ったスキルを授けてくれる……はずなのだけど、俺は何故かスキルを授かれなかった。
「無垢な子がスキルを授かれないなど有り得ぬ」
信仰深い神父は、俺がスキルを授かるまで何度も祝福を与え続けた。そして何度目かの挑戦でようやく、俺にもスキルが授けられた。
俺の身体を、じんわりと温かい光が包み込んだと思ったら、身体の内からポカポカとした何かが湧き上がってくるのを感じた。
精魂尽きた様子の神父が俺に与えられたスキルを読み取ったところ、急に顔を顰めて両親を部屋の隅へ手招きしてヒソヒソと話し始めた。
この時俺は、異世界転生でお約束であるチートスキルを授かったのではないかと思っていた。
異世界チートでハーレム作るぞーなんて呑気な妄想を膨らませていたのだけど、一体どんな恩恵を授かったのだろう。
「神父様、ありがとうございました」
「いえ、これも女神様のお導きです。あなた方に女神様の祝福が在らんことを……」
両親と神父が、ペコペコとお辞儀合戦を繰り広げているところに、俺が割って入るとエリーシアがギロリと俺の事を睨んできた。
「ねぇ、どんなスキルだったの?」
「静かにしなさい!」
俺がスキルの事を尋ねると、エリーシアに怒鳴られた。エリーシアの声が教会に反響する。
普段だったら、ヴィンスがエリーシアの事を制止するのだけど動く様子はない。もう一度ペコリ、と面食らった様子の神父にお辞儀すると、エリーシアは俺の腕を掴んで歩き始めた。
「ねえ、スキルは?」
「……」
二人共、俺の問いかけに答えてくれない。
何か二人を怒らせるような事をしてしまっただろうか。今日起きてから今までの事をざっと思い返しているけど、当然心当たりはない。
俺が口を開く度、俺の腕を掴むエリーシアの手に力が込められていくので、結局家に着くまで俺は口を
「い、痛いよ!」
「うるさい! この役立たずがっ!」
家に着く頃には、俺の腕は限界を迎えかけていた。青白くなるほど力が込められたエリーシアの手を、俺が左手でペシペシと叩きながら手を放すよう訴えると、声を荒げたエリーシアに左手も掴まれてしまった。
「お前の、お前のせいだ……」
「な、何が僕のせいなの!? 母さん、放してよ!!」
「私を母さんと呼ぶな!!」
顔を俯かせた状態でブツブツと何かを呟くエリーシアの様子に、恐怖を感じた俺がエリーシアの手から逃れようとジタバタと暴れると、次の瞬間俺は宙を舞っていた。
「え?」
何が起きたのか、分からなかった。
瞬き一回分の時間、俺の身体は宙を舞ってそして家の壁に叩きつけられた。
一拍してからようやく、エリーシアに放り投げられたのだと気付いた。背中にズキズキとした痛みを感じながら、俺は呆然とエリーシアを見上げる。
「……ッ!」
俺は、その時見たヴィンスとエリーシアの表情を一生忘れないだろう。
息を切らしながら、親の仇のように俺の事を睨みつけるエリーシア。普段のにこやかな美人妻、といった雰囲気は一切感じられない。
髪は乱れ、興奮で血走った目からは狂気を感じる。薄暗い部屋なのも相まって、一気に十歳以上老けたとさえ錯覚してしまう。まるで幽鬼のような有様だった。
エリーシアは、喉の奥から絞り出すようにして俺に罵声を浴びせる。
「このガキが……よりにもよって【土あそび】なんて最弱スキルを授かるなんて!!」
(【土あそび】? 最弱スキル? エリーシアは何を言っているんだ?)
俺は最初、何を言われたのか分からなくて困惑していた。エリーシアは何を言っているのだろうか。俺の授かったスキルが最弱だって……?
ヴィンスは、エリーシアの様子を見てもピクリとも顔が動かない。自分の大事な子供が暴力にさらされているというのに、それをただ眺めているだけ。
ついさっき、三人で仲良く手を繋ぎながら教会へ行ったじゃないか。
「これじゃあお前を奴隷商に売ってもちょっとも金にならないじゃないか! どうしてくれるんだ、あぁ!?」
「うぐっ!」
(奴隷商に売る? 俺を?)
エリーシアのつま先が、俺のお腹にめり込む。たまらず胃液をぶちまけてしまうが、それを気にする様子もないエリーシアはひたすら俺を蹴り続ける。
「……その辺りにしておけ、殺してしまうぞ」
「ヴィンス……でもっ!」
「さすがに殺してしまえば後々問題になる」
ヴィンスがようやく口を開いて、エリーシアを止めた。ヴィンスはエリーシアの様子に驚いて、動けなかったのだろうか。俺は咳き込みながらヴィンスを見上げた。
「…………」
(なんだ、その目は?)
いや、あの目は前世で見た事がある。
あれは、上司が俺に向けていたのと同じ、無価値な物を見る時の目だ。
俺は、自分の中から大事な何かがポロリポロリと抜け落ちていくのを感じた。
エリーシアに蹴られた胃がムカムカして気持ち悪い。信頼していた両親に裏切られた悲しみと、理不尽な暴力を受けた怒りが胸の奥でぐるぐると渦巻いている。
悪い夢なら覚めてくれ、と本気で思った。何かの間違いじゃないか、と頭を床にガンガンと打ちつけてみても目が覚める事はなかった。
「なんで……」
二人は俺に見向きもしない。衣擦れの音も聞こえないほど静寂に包まれてしまった家で、ポツリと口を突いて出た言葉に、答えが返ってくる事は無かった。
その日からヴィンスとエリーシアの子クレイは、消えた。食事がないのは当たり前、声も掛けられず気を引こうとすると暴力が返ってくる。
「落ち着け、落ち着け……」
俺の事なんて、もはや何とも思っていないのだ。俺が最弱スキルを授かっただけで、なんでこんな扱いを受けなければならないんだ。
冷静になってあの時の事を思い返してみると、ふつふつと心の底から怒りが湧いてきた。だけど俺が怒ったところで何かが変わる訳でもない。俺は無力な子供なのだから。
五歳にして、一人で生きていくことになった。幸い、俺の現状を哀れに思った村の住人が少しずつ食べ物を恵んでくれたので、飢える事は無かった。
だけど、俺を引き取って育てる事は誰もしようとしなかった。村の子供も、俺が話しかけると逃げていく。俺が一人なのは変わらなかった訳だ。
だから余計に辛かった。一人ぼっちの時に、思考に余裕が出来てしまう事で、俺は嫌でもヴィンスとエリーシアの事を考えてしまうのだ。飢えていたら、とてもじゃないがそんな事を考える余裕もなかっただろう。
「クレイ、こっちじゃ。こっち」
そんな時、転機が訪れた。
俺の様子を見兼ねた神父が【土あそび】についてコッソリ教えてくれたのだ。
「ん?」
「実はの、【土あそび】とは――」
最弱スキルと言われる【土あそび】は、土を掘ったり盛ったりが出来るスキルだった。ショベルカーみたいな事が出来るのに、なんで最弱なのか、と首を傾げたくなったのだけど理由はすぐに分かった。繊細な操作が出来ない上に、とてつもなく燃費が悪い。
それ以来、暇な時間はスキルの検証に費やした。
スキルを使う度に身体の中のポカポカ――魔力が減っていくのだけど、【土あそび】は二回が限度だった。大体のスキルは五回以上使用出来るらしい。魔力が増えるのかどうかは分からないが、俺はひたすら【土あそび】を使って魔力を鍛え捲る事にした。
唯一両親に感謝しているのは、俺が家に居ても何も言ってこなかった事。お陰で、家の中で集中して魔力が鍛えられた。今では【土あそび】を五回使っても魔力切れする事はなくなった。
厳しい冬を乗り越えて一年が経過しようとしたある朝、突然エリーシアに話しかけられた。
今日は二人で、一週間かけて王都へ野菜を売りに行くと近所の人から聞いていたのだが、俺に何の用だろう。
「クレイ、今まで酷い扱いをしてしまってごめんなさい」
「……母さん?」
あれだけ俺を無視していたはずのエリーシアに話しかけられて、俺も動揺していたのだろう。うっかりエリーシアの事を「母さん」と呼んでしまった。
エリーシアに暴力を振るわれる、と思って
「ダメな母さんを許してくれるかしら」
恐る恐る顔をあげると、眉根に皺を寄せたエリーシアがまるで抱き着いてこいと言わんばありに俺の目の前で両手を広げて待っているのだ。実の息子を奴隷商に売り払うと言っていた女だぞ……信じても良いのだろうか。
「おいで、クレイ……!」
本当に改心したのだろうか。一年前の事が脳裏に蘇り、足が
辛かった一年が報われた気がした。俺たちはやり直せるんだって、そう思ったら自然と涙がこぼれ落ちていた。
「さあ、王都へ野菜を売りに行かなくちゃ」
「忙しくなるわよ」と言う母さんに連れられて、父さんの待つ馬車へ乗った。
――――――
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