魔王ですが魔界の統治に飽きたので、人間界で就職しました
とりのめ
第1話
魔界の一部地域を治め、魔王と呼ばれるようになり、数えるのもうんざりするくらいの月日は流れた。
領土内の争いを終息させたと思った矢先、隣接地域からの侵攻を受け始める。その程度で揺らぐようなことはないが、定期的に何度も何度も攻め込まれては追い返す生活、何も変化がない日々はいい加減、飽き飽きしてくる。
というか、もう既に飽きている。
今日も第一陣を追い返したところで彼は大きくため息をついた。その様子に気が付いた彼の側近の魔族が声をかける。
「……六鎖の魔神殿、どうされました」
「うむ……」
魔王はその地位に就く前から、六鎖の魔神と呼ばれていた。その由来はまさに背中から生えて蠢く六本の鎖を指し示している。長年、この名前で呼ばれ続けていたため、彼自身を示す本当の名前すら忘れてしまった。
「……隣の魔王もここに侵攻する以外やることはないのか、というくらいここに来すぎでは」
「実際、無いのでしょうな」
「……不毛だと思わんのか……」
そしてもう一度大きなため息をつく六鎖の魔神に、側近はそういえば、と呟いた。
「人間界では、人間領と魔族領が争っていたようですね。結局、人間も魔族もどちらも譲らず大層な犠牲を払って休戦状態だとか」
あちらもあちらで不毛なようですよ、と側近は言う。それを聞き、しばらく考えている素振りを見せた六鎖の魔神は、わかった、と一人で頷いている。
「……よし、これよりここの指揮権をお前、常闇の魔神に全権譲渡する」
「……はい?」
「そういえば私もこうやって突然、領土管理させられたようなものだ。きっとこうやって歴代受け継がれていったんだろう、そうだきっとそうに違いない」
「……え、あの、ちょっと」
突然のことに驚き狼狽える側近こと常闇の魔神の肩を軽く叩き、あとはよろしくと言い置いて、六鎖の魔神はさっさと人間界へ転移してしまった。
何もかも丸投げされて残された常闇の魔神は、仕方ない、とだけ呟いて己の新たな職を全うすることにした。
それからしばらく。
六鎖の魔神はすっかり人間の姿に変身し、とある街の材木店で木彫り職人として働いていた。長年の経験と持ち前の器用さで作る数々の生き物の木彫りの置物は、この店で人気の商品となりつつある。
いきなり飛び込んできた名前のない男を不審がることもなく、材木店の店主は快く受け入れてくれた――というのも、六鎖の魔神の甚大な魔力でその辺りの記憶を有耶無耶にさせているからである。そして人当たりの良さそうな笑顔で、来客の対応をしていた。いくら外見がどこからどう見ても人間にしか見えなかったとしても、常に言動には細心の注意を払っている。
(……とても楽しい……!)
木の塊に向かい、また一つこれを作品にするために、道具を握って彼はしみじみと思う。
魔界で一切脳みそを使わずに惰性で過ごしていた日々とは全く異なる。一点に集中することの素晴らしさに気が付き、時間の経過に変化があるということもここに来て知った。楽しい時間とは一瞬なのだ。
(常闇の魔神には些か申し訳無いことをしたかもしれないが……これはそうするだけの価値があったということだ)
やはり自分の判断は正解だった、と一人で納得しながら店じまいを始めた。店主と手分けして片付けや掃除を行っていたその矢先、店の窓ガラスを割って何かが飛び込んでくる。
「!?」
音に驚き駆け寄ってきた店主を手で制し、六鎖の魔神はゆっくりと近寄った。それは拳より小さめの石で紙切れが巻き付けてある。ガラスの破片に気を付けながら慎重に手を伸ばして拾い上げ、その紙を解いて広げると黒いインクで殴り書きされていた。
「……『魔族を許すな』……? 何です、これは」
紙を片手に店主の方を見る。その表情を見るにこれが初めてではなさそうだ。苦々しい表情の店主は大きく息を吐き、たまにこういうことがある、と呟いた。
「……10年前、人間領と魔族領で全面戦争をして、俺はその戦争から帰ってきた数少ない生き残りだと最初に話したろ? 無かったことにしたいわけじゃないが、せめて元の用に稼業を再開させて残りの人生は穏やかに過ごしたかった……。でも誰かがこうやって忘れないようにって度々、釘を刺してくるんだ」
「その誰か、とは」
「……さぁな、関わりたくもねぇから考えもしなかったし、ひたすら無視するしかねぇ。うちだけじゃない、他もやられてるみたいだが、こういった連中はなかなか捕まらねぇのさ」
早く片付けて帰ろう、と店主は言いながら彼の手から紙切れを奪い取ってしまう。丸めてゴミ箱に放り込み、床に散ったガラスを片付け始めた。その後ろ姿を何か考えながら六鎖の魔神は眺めたが、すぐに切り替えて窓の方に向かう。
「では店長、私は窓を塞いでおきましょう」
「おぉ、悪いな。任せるぜ。破片には気を付けろよ」
「はい」
彼は古新聞とテープを持ち、手際よく割られた箇所を塞いでしまう。そこにガラスを片付けた店主が近付いてきた。
「……面倒な事に巻き込んじまって悪かったな……」
「店長が謝られることは何もありませんよ。悪いのはこんな事を行う輩です」
六鎖の魔神はそう言い切り、割れた窓に向かって手を合わせ深々とお辞儀をした。どうやら祈りを捧げているらしい。そして顔を上げると穏やかそうな笑顔で店主に言う。
「……別に本気で神を信じて祈っているわけではありませんがね、こういう悪い事をしでかすような者共は天罰が下るようにできているんですよ」
―この祈りを聞いてくれた神が容赦ない方だといいですね―
普段から見慣れている人当たりがいい穏やかな表情に、この時はスッと不穏な影がさしかかったのを店主は見逃していなかった。それに何とも言えない不安を感じ、くれぐれも変な気を起こすなよ、と店主が心配すると彼はいつものように、ご心配には及びませんよ、と笑った。
それからは特にこれといった変化もなく、順調に毎日を過ごしている。時折、耳に届く妨害工作のような出来事を除けば。
10年前の全面戦争の生き残りを狙っているのかと思えばそうでもないらしく、無差別に手当たり次第に行っている印象を受ける。そのどれも共通して、魔族に対する敵対心を煽ってくるものだった。人間に向けて魔族に対する嫌悪感を増大させ、再び争わせたいのではないかと思ってしまう。
(……そんな事をして、人間側に何のメリットが……?)
六鎖の魔神は木彫りの置き物を作りながら思考を巡らせた。また全面戦争でぶつかり合えば失うものしかないというのに。
しかし戦争になるかならないかを考える時は今ではない。むしろ、何者かが行っている妨害工作への対処が先だ。
この日を境に、六鎖の魔神は店主には内緒で材木店で寝泊まりすることにした。些細な異変にも気が付けるように。
そしてそれは思いの外、早くやってきた。
店の外で何者かが魔力を用いた気配がする。良かろう、受けて立つぞ、と彼は笑った。それはいつもの穏やかな表情とは程遠く、見る者がいれば萎縮しそうな迫力を伴っていたからだ。
躊躇いなく裏口の戸を開けると、店の裏側で壁に魔法陣を描き魔力を発動させたであろう男がいた。突然、裏口の戸が開いたことに驚き固まっている。そして六鎖の魔神と目が合ったことで我に返り逃げ出そうとしたが、それを彼が許すわけもない。
男の肩を掴むと魔法陣の描かれた壁に叩きつけるよう押し付けた。衝撃に息が詰まりながらも、男は六鎖の魔神の手を外そうと試みる。しかしそれは人の力では到底叶わなかった。彼は男と魔法陣を見比べ、なるほど、としきりに頷いてる。
「…爆発系で、尚且つ、スキルで遅延までさせられるとは、人間も器用な事ができるのだな。立ち去った後で起動できるなら、現行犯として見つかるリスクも少ない…」
「……な、何を……」
「…さて、何を企んでこんな事をして回っているのか、洗いざらい話してもらおう。……背中の魔法陣が起動するまでの間にな」
彼は肩を握った手に力を篭める。逆に男は握り潰されては敵わないと暴れるが、まるで外れなかった。男は焦っている。このまま魔法陣が起動したらきっと自分の命は無い。そして目の前の男もただでは済まないのに、何故ここまで落ち着いていられるのだろうか。
「……知らねぇ……!俺は、ただ……金を渡されて、言われた通りに……!」
「誰に?」
「だから、知らねぇんだ……! 確かに誰かに依頼されて金も受け取ってる……。でも、何も思い出せねぇ!」
「……」
それを聞いて六鎖の魔神は考える。おそらくは魔力をもって記憶をいじられているのだろう。これは厄介だな、と彼は思った。人の記憶に介入できる程の力の持ち主なら、そうそう尻尾も出さないに違いない。これは長期戦になることを示唆している。
「……なるほど、ただの捨て駒であったか……。ならば思い残す事なく散るがいい、己の仕掛けた魔法陣でな」
「! ……助け」
自分の背中の壁が熱を持つ。男は、もうダメだ、と悟ったところで気を失った。彼の意識が失われたところで魔力も維持できなくなり、魔法陣は起動せず光を失っていく。六鎖の魔神は、おや、と軽く目を見開いた。
「……起爆の前に意識を失ったか。まぁ、直前で解除するつもりではあったが」
結果オーライというやつだな、と呟いた彼はここで男の肩を掴んでいる手を離した。路上に力なく崩れ落ちる男を見下ろし、その衣服を一枚剥がすと紐状に裂き、男の身体を拘束して路上に転がせておく。
「……明日、衛兵か誰かに見つけてもらうといい」
大事にならなくて良かった、と軽く首を回して六鎖の魔神は店内に戻った。
翌朝。
如何にも早めに出勤して開店準備をしている、という体で六鎖の魔神は店内で動いていた。そこに店主が、店の横は何だ、と裏口から入ってくるなり彼に言う。
「あぁ、なんだかよくわかりませんが不審物だったので通報しておきました。そろそろ衛兵が片付けに来てくれましょう」
そう言った頃に、裏口に衛兵が駆けつけてきたらしく、転がっている男を連れて行く。目を覚ました男が何やら騒いでいるようだったが、その騒音もすぐ遠くなっていった。
六鎖の魔神は作りかけの木彫りを完成させると棚に置く。それは牙を剥いて今にも飛びかかろうとしている姿勢のサーベルタイガーだった。
「……では、店長。私は裏の落書きを消してきますね」
掃除用具を持ち、彼はそう言うと裏口から外へ出ていく。その背中を店主と商品棚のサーベルタイガーの木彫りが見送った。
描かれた魔法陣を消しながら、六鎖の魔神は思う。これからも何やら、事が起きそうな気がする、と。
せっかく新天地で楽しく生きる事を知ったというのに、邪魔されてはたまらない。今回のこれもそうだ、と少々苛立っていた。しかしそれもすぐに考えを改める。だったらこういう輩を捕まえるのも仕事の一環ではなかろうか。己の平穏を守るためだ、仕方ない、と一人で納得する。
すっかり壁の魔法陣を消し、彼は満足そうに頷いて手を止める。
(……この際、人間だろうが魔族だろうが構わない。私の平穏を脅かそうとするなら仕留めるまで)
そう思い、浮かべた笑顔は鬼気迫る迫力を伴っていたが、店内に戻った頃にはいつもの穏やかそうな笑顔に戻っていた。
魔王ですが魔界の統治に飽きたので、人間界で就職しました とりのめ @milvus1530
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