第32話 失踪 その1

 春葉は学園に到着すると、クラスの席に鞄を置き、スマホを手に取った。そして『黒田拓真部長』へメッセージを送り、校舎裏に呼び出す。


 静まり返ったホームルームの時間帯。誰もいない校舎裏で、春葉は拓真を前にいきなり切り出した。


「拓真君」

「……拓真、君?」


 突然の呼び出しに訳も分からない様子の拓真。加えて、いきなりの“君”呼ばわりに戸惑いの色を浮かべる。


「春葉ちゃん、何の用事かわからないけど、もうクラスが始まってる。戻らないと……」

「夏月、冬也君と浮気してますよ」


 春葉は遮るように、鋭く言い放った。その言葉に、拓真の表情が固まる。しかし、驚きの色は薄い。


「でも、あまり驚いてませんよね。当たり前ですね。拓真君は夏月の彼氏のフリをしているだけなので」


 春葉の追撃に、今度は拓真がのけぞるように驚きの声を上げた。春葉はふっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑顔には、自分でも気づかないほどの鋭さが滲んでいた。


「隠し立てしなくてもいいんですよ。全部お見通しなんですから」

「…………」


 拓真は無言で唇を引き結び、うなるような声を漏らした。


「夏月に頼まれたんですよね。あるいは脅されたのかも。冬也君を嫉妬させるために、夏月といちゃついて見せていただけ。実際、セックスどころかキスもしていない」

「なぜ……そんなことが言える?」


 拓真が反論しようとするが、言葉に力がない。


「夏月を庇うつもりですか? でも無理です。拓真君、夏月と部室での様子、不自然すぎます。触れもしないし、キスもしないし、夏月にかける声には感情がない。それで彼氏彼女だなんて、到底信じられません」


 拓真は反論を飲み込むように黙り込む。春葉は構わず、さらに畳みかけた。


「それに、実は夏月じゃなくて私のことが好きなんですよね?」


 その言葉に、拓真の表情が一瞬で凍りついた。


「夏月の彼氏だと言いながら、実際に視線で追っているのは私。夏月と会話しながらも、私の反応を気にしてる」

「それは……」


 口ごもり始めた拓真に、春葉は最後の一押しをする。


「夏月の彼氏になる前に、私にラブレターを送ってくれたの、覚えてますよ。探すの、大変だったんですけどね」


 その言葉に、拓真は視線をそらし、小さくため息をつく。


「……そうか。参ったな」


 そして、観念したように拓真はぽつりと呟いた。


「夏月に脅されてたわけじゃない。頼まれたわけでもない。ただ、夏月と冬也君が上手くいけば、春葉ちゃんがフリーになる。それで俺にもチャンスが来るかもしれないって……そんな浅はかな考えだった」


 拓真は申し訳なさそうに視線を落とし、続ける。


「浅はかだったよ。春葉ちゃんが冬也君をどれだけ好きか、分かってなかった。ごめん。本当に申し訳ない」


 そう言って、拓真は真摯に頭を下げた。春葉はそんな拓真を見下ろし、にっこりと微笑む。


 胸の奥にあった罪悪感を押しつぶして、彼女はその感情に蓋をした。止まるつもりも、振り返るつもりもない。


「本気で私のこと、好きだったんですね」

「ああ、本気だった。もう無理だが……今でも好きだ」


 真っ直ぐに向けられる拓真の視線。その誠実さを感じながら、春葉は小さく微笑んだ。


「ねえ、拓真君。耳よりな話をしてあげます。夏月のことを裏切って私に協力してくれるなら、セフレになってあげる」


 その言葉に、拓真は目を見開き、本当に驚いたような顔をした。


「……セフレって、どういう意味で?」

「セフレはセフレです。それ以上でも以下でもありません。気持ちを棚に置いて、カラダとカラダを重ね合う関係って言えばいいですか?」


 拓真は戸惑い、口を開きかけて閉じる。その視線は揺れ動き、混乱を隠せない。


「春葉……ちゃん、それは……」


 言葉を紡ごうとするが、続かない。春葉はかすかに目を細め、冷静に言葉を重ねる。


「私がこんなで幻滅しました? でも私、冬也君のこと、本気で命をかけるって決めたから。だから拓真君に心はあげられないんだけど、拓真君が私についてくれるなら……」


 そこで言葉を切り、春葉は意味深な余韻を漂わせた。そして、スカートの裾を軽く指でつまみ、少しだけたくし上げる。わずかに見える肌が妙に艶めかしい。


 拓真の視線が自然とそこに吸い寄せられた。彼の呼吸が乱れ、理性が揺らいでいく様子がはっきりとわかる。


「拓真君の事は嫌いじゃないから、セフレの関係ならぜんぜんオッケーです。私が冬也君と結ばれたあと、遊びで楽しませてくれれば嬉しいかな。どうですか?」


 春葉はふふっと蠱惑的な笑みを浮かべ、目の前の拓真を誘った。その仕草が、彼の理性を揺さぶり、抗うことを困難にすることはわかっている。


 拓真が自分を好いている気持ち、そして彼の思春期の揺れる衝動。それらを手玉に取るような振る舞いをしながらも、実際のところ、春葉には拓真に身を許すつもりなど毛頭なかった。


 春葉の初めてを捧げる相手は冬也――それは彼女の中で絶対に譲れない一線であり、未来において身体を重ねる相手もまた冬也だけだと決めている。


 つまり、春葉は今、目の前の拓真に対して真っ赤な嘘をついているのだ。だが、冬也と行けるところまで突き進むためなら、どんな犠牲を払っても構わないという覚悟は、既に心の中で固まっていた。


 たとえそれが、悪魔に魂を売る行為だとしても――。

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