第5章 終わりと始まり編
第29話 彼氏
そんなこんなで右往左往の中、なんとか自分の本心を確かめようと、俺がもがいていたある日のことだった。
部室に行くと、珍しく部長がいて、夏月と隣り合ってソファに座っていた。その部長が夏月の肩に腕を回し、抱き寄せながら好意を口にした。
「夏月。今そういう気分なんだ。いいだろ?」
部長の顔が夏月に近づく。だが、夏月はすっと顔をそらし、困惑した表情を浮かべていた。
「駄目。ここは探求の場所で、そういうことをする所じゃないから」
「俺は夏月の彼氏だという自負があるんだ。拒んで欲しくないな」
「それはそう。でも彼女だからっていつでもなんでもさせてあげるというのは違うという意見」
強引にキスをしようとする部長から、なんとか身を離そうとする夏月だが、腕力の違いは歴然だ。
このままだと、かなり嫌がっている様子の夏月の唇は部長に奪われる。気持ちがちりちりして、見ているのが無性に辛い。
止めに入ろうかと思ったが、表向きは部長が夏月の彼氏で、俺が止めに入る資格があるのだろうかと自問する。
夏月が言葉を絞り出した。
「冬也が見てるわ」
「別にいいだろ? 冬也君だって恋人の春葉ちゃんとこの部屋でしてることだ」
部長が顔を近づけ、夏月が声を上げた。
「やめて!」
その瞬間、どうしようもない感情に突き動かされ、俺は二人の間に割って入った。
「部長。恋人だからといって、無理やりはダメです。相手の気持ちを尊重しないのは暴力です」
部長はじっと俺を見据える。
「夏月は俺の彼女だ。君がどうこう言う資格があるのか? それに、俺たちはキスくらい何度もしている。それをこの部室でするかどうかの話だ。筋違いだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、頭がぐらりと揺れるような感覚に襲われた。
部長と夏月が何度もキスをしている関係――確かに部長が夏月の彼氏だとわかってはいたが、実際にそれを口にされると、衝撃が走る。
俺の知らない夏月がそこにいて、彼女の中に俺の知らない大人の関係が存在していた。もう、それ以上頭の中に何も入ってこなかった。
「まあ、白けたな。続きは俺の部屋かホテルでだな」
部長はそう言い残して席を立つ。残されたのは、曇った表情の夏月と、ただ呆然と立ち尽くす俺だけだった。
「みっともないところ、見せたわね」
その一言が耳に届いた瞬間、止まっていた思考が動き出した。
夏月は乱れた制服を整えながら、どこか淡々とした表情で俺を見ていた。
「怖い顔。荒い息。震えてる。深呼吸すると落ち着くわ」
柔らかく掛けられる声。だが、その端麗な声で部長に愛を囁き、その綺麗な顔で部長と口づけを交わしている――その事実が胸を締めつけた。
「あまり思い込まないで。噛んでいる唇と握りしめている手が痛むわ」
夏月の冷静な言葉が追い打ちをかける。俺に向けられたその態度からは、先ほどのやり取りを深く気にしている様子は感じられない。その無関心さに、俺は思わずカッとなった。
気がつけば夏月に駆け寄り、その唇を奪っていた。
「……っ!」
自分が何をしているのか分からない。ただ、たぎる感情が理性を押し流していく。
俺は部長の行為を「暴力だ」と非難したはずなのに、自分が同じことをしている矛盾に苛まれながらも、止めることができなかった。
夏月はなすがままになり、抵抗ひとつしない。彼女の口内を蹂躙するように唇を重ねたあと、俺はそのまま彼女をソファに押し倒した。
彼女の上に覆いかぶさり、ブラウスに手を掛けたその時――夏月がふふっと微笑む声が耳に届いた。
「そんなに私を独占したいの? 私が他の男に抱かれるのが我慢ならない? 嫉妬してるんだって自覚してくれる?」
その言葉に、思わず動きを止めて夏月の顔を見つめた。
夏月は甘い声でさらに誘いかける。
「そのイライラを発散してくれていいわ。私を好きにして。そして冬也の心の中に、私を深く刻み込んで」
ブラウスにかけていた手が動かなくなる。
気づけば、俺の中に渦巻いているのは怒りや衝動だけじゃなかった。最初は夏月をただの「気晴らし」として意識していたはずだ。それがいつしか、本気で惹かれていたことを思い知らされる。
夏月が部長といちゃついていたこと――その事実に嫉妬して、自分だけのものにしたいと思ってしまったのだ。
「どう? 私のこと、前よりずっと好きになってくれてるの、わかってくれた? 私が冬也の中に入り込むことができてるって、わかってくれた?」
夏月の問いに答えられず、春葉の顔が脳裏に浮かんだ。
夏月の助言で春葉と付き合い始めたのは自分だ。彼女が俺を本気で想ってくれていることも知っている。その春葉を裏切ることへの罪悪感が襲ってくる。
けれど、それでも――夏月を部長に取られることは、耐え難いほどの痛みだった。
夏月は、決定的な言葉を投げかけてきた。
「私を拓真から奪って。私を冬也のものにして」
その目には、一片の冗談も含まれていなかった。真剣そのものだ。
「冬也が選んでくれないと、私は本当に拓真のものになってしまうわ」
「それは……」
俺は息を詰め、喉の奥に溜まった唾を飲み込む。
「ねえ、想像してみて。私が拓真に激しく抱かれて声を上げているところを」
その言葉が頭に浮かんだ瞬間、吐き気を覚えた。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
「わかってくれた?」
「ああ……わかった。春葉の気持ちを軽んじるつもりはない。でも、俺は夏月をどうしても失いたくない……らしい」
夏月は目を細めて微笑んだ。
「素直に嬉しいわ。私、落ち着いて見せているけど、本当は飛び跳ねて狂喜したいくらいなの。私はこの瞬間のために恋愛研究会を作ったんだから」
熱のこもった目で見つめ合い、どちらともなく唇を重ねた。
二人の息遣いが重なり合う中、俺たちはそれぞれの想いを確認し合うように口づけを交わした。
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