閑話 春葉と夏月

 冬也との『お試しのお付き合い』を始める前のある日、春葉は義妹の葵に呼び出されていた。二人しかいないその校舎裏で、葵が春葉に確認してくる。


「義姉さん。高持先輩に告白されたそうね」


 唐突な言葉に、春葉の胸が一瞬締め付けられる。だが、どうにかその思いを飲み込んで、静かに答えた。


「……断ったわ」


 その声は小さく、震えていた。


「そう。それでいいの。私たちは山名家の養子だから。拾ってもらったのに勝手に男子と付き合ったら捨てられる」

「…………」


 春葉が、ぎゅっと唇を噛む。葵の言葉を耐え忍んで。


「義姉さんが住む場所もなくなって不幸になるのは見たくない。だから義姉さんの気持ちはわかってるつもりだけど、でも付き合っちゃダメ。それだけ言っておきたかったの」

「……分かってるわ」


 春葉は拳を握りしめた。何かを口にしたい気持ちを抑え込むしかなかった。


「それだけ言いたかったの。じゃあ、私はもう行くから」


 言い終わると、葵はくるりと踵を返し、足早に去っていった。春葉はその場に立ち尽くし、ただうつむくしかなかった。


「冬也君……ごめんね……」


 ポツリとつぶやいた声は、誰にも届かない。彼女はただ一人、肩を震わせていたのだが……。


「辛そうね、本当に」


 声が聞こえて、春葉は驚いて振り返った。幼馴染の久遠夏月が、いつの間にか後ろに立っていたのだった。


「母子家庭でネグレクト状態だったのを今の家の養子になれたのは、春葉にとって僥倖ぎょうこうだってむかし言ったけど。でも家の都合で恋愛禁止なのは……。正直よかったのかって今なら思うわ。同情はしないけど」

「はっきり言うね、夏月は」


 春葉は、固まっていた顔を少しだけ和らげた。


「でも私は容赦しない。春葉とは親友だと思ってるけど、同時に敵同士だということには変わりはないから」

「そう……ね」


 夏月の強い言葉に、春葉は下を向く。


「その冬也が、『恋愛研究会のキューピッド』である私に春葉との仲介をお願いしてきたわ」

「!」


 春葉は、再び驚いて顔を上げた。春葉には、夏月が嘘を言っているようには思えない。


「そう……。そうなんだ、冬也君。私のこと、本気で想ってくれてるんだ……」


 春葉は、誰にともなく、夏月に言うのでもなく、強いて言えば自分に言い聞かすようにつぶやく。そんな春葉に、夏月は容赦することもなく続けてくる。


「別にどうしろとは言わない。言ったところで、頑固なあなたは私の言うことなんて聞かないだろうし。私は冬也に、春葉には話をすると言ったからそうしているだけ」

「ありがと。正直に話してくれて」

「決めるのは春葉。好きにすればいいわ。私も春葉の気持ちを知った上で、自分の好きにするから」

「わかった。私も好きにする。今決めた」


 春葉の顔に、決意が浮かぶ。


「表立って恋愛するの、出来ないけど、でも冬也君をきっぱりあきらめるのはムリ。ムリだって今わかった」


 春葉が唇をキュッと結んで手を握り締める。その身体に力を込める。


「じゃあ私には私のやるべきこと、計画があるから」


 夏月はそういって、背を向けるのであった。地面にしっかりと両足で立つ春葉を残して。

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