第二章 1-2 登校する戦乙女

 顔を洗って鏡を見ると、頬にまだくっきりと手形が残っていた。


「うぐぐ……」

 しばらく切ってなくて、目まで隠している前髪やシャツの襟まで届いてる後ろ髪を整えるのが面倒で諦め、俺はエルの平手打ちでズレた感触の残っている顎を左右に動かしながらダイニングへと入る。


「おー。この不埒者。やっと起きてきたか」


 味噌汁とご飯が並ぶダイニングテーブルの上に、厚切りベーコンを添えた目玉焼きの皿を置くお袋が、俺の姿を見て早速そんなことを言ってくる。


「二次元にしか興味がないオタクかと思っていたら、まさか変態だったとは情けない。育て方間違えたかしらねぇ、ワタシ」

 意地悪な笑みを浮かべているお袋の言葉が冗談なのはわかっているが、育て方を間違ったという発言については否定する気も起きない。

 立派なオタクに育った自分がまともな人間でないことは、充分に自覚している。


「でもね、和輝。そういうことはちゃんと本人の気持ちを考えて、ちゃんと了解を得てからじゃないとダメなのよ?」

「いや、さっきは寝ぼけてて――」

「ワタシもその気がないときにあの人が迫ってきたときは、アレを再起不能にするつもりで蹴りつけるからね」

「自分の親の性生活の話なんて聞きたくねぇよ……」


 親父は年の半分くらいは海外にいて、お袋も仕事で飛び回っているときが多いからそんなに一緒にいる時間は多くないが、結婚してもう二〇年弱が経つというのに、相変わらずラブラブらしい。


 喉の奥から忍び笑いを漏らしているお袋のことは気にせず、いつも自分が座っている椅子に座る。

 斜め向かいに座っているのは、エル。

 あからさまにそっぽを向く彼女だったが、俺はそんなことよりも彼女の着ている服に注目していた。


 折り返しの襟の部分が緑のチェック模様になっている茶系の落ち着いた色のブレザーは、俺が通っている高校の制服だ。


「なんでエルがうちの制服着てるんだ?」

「あぁ。それ、ワタシがデザインに関わってるから、サンプルでもらったのよ。結局使う機会はなかったから仕舞いっぱなしだったけど」


 四十手前なのにいまだに二十代に間違われることがあるとは言えさすがに無理がないかとか、何に使うつもりだったんだとか思い浮かんではいるが、俺の前に座ってニヤリと笑うお袋に突っ込みを入れたらたぶん負けなので黙っておく。


 改めて見たエルの姿は、俺が描いたことがある鎧姿でも、鎧を外した普段着スタイルでも、アンダーウェアでもなく、落ち着いた色合いの制服と相まって、いままでの彼女と印象が違って、何となく可愛らしく思えた。

 先ほどとは違って瞳に籠もった怒りは少し収まっているようだが、それでも俺を睨みつけてくるエルに、制服姿の感想でも言えば怒りを緩和できるかも知れないが、どうにも上手く口に出すことができない。


「エルちゃんに見惚れるのもいいけど、まぁとにかく学校に連れて行って上げて。この世界のことをもっと知りたいそうだから」

「……いや、無理だから。バレるから。金髪に碧眼って、違和感ありまくりだから」

「でもエルちゃん、目の前にいても認識出来なくなるくらいの気配消しの能力? 隠形の術? 持ってるでしょ。だったら大丈夫よ」


 人間ではなく、戦乙女である彼女は必要な場所に気づかれずに入り込めるよう、気配を消す能力を付加していたことを思い出す。大きな声を出したり激しく動いたりするとバレてしまうが、おとなしくしている分にはたぶん大丈夫だろう。

 というか、渡してあるとは言え、お袋もよくよく放浪の戦乙女を読み込んでるものだと関心する他ない。


「いや、まぁ、いいけども……」

「んっ。今日一日、エルちゃんのことはよろしくね、和輝。エルちゃんも和輝にお願いしないとね」

「ぐっ……。よろしく、頼む」

 悔しそうに唇の端を歪めながらも、頭を下げてくるエル。


「まぁ話がまとまったところで、食事にしましょ。そろそろ登校の時間だし、千夜ちゃん待たせちゃ悪いでしょー。いただきます」

「いただきます」


 お袋の号令で朝食を食べ始める。

 ベーコンや卵は作中世界でもあるはずだが、それでもひと口食べるごとに目を輝かせているエルは可愛らしい。痛くご飯が気に入ったらしく、茶碗が空になると挙動不審になって、それに気づいたお袋によって二度もお代わりをしていた。


「気づかれないようにしてくれよ……」

「努力する」

「ま、大丈夫でしょ。行ってらっしゃい」


 朝食の片付けをお袋に任せ、お気楽な声に送られて向かった玄関では、女の子としては大きめのエルに合うサイズの学校指定のローファーまであって、それを履いた彼女は何が入っているのか不明な校名がプリントされた鞄を肩に担いで玄関から家を出た。


「おはよー」

「――+*$%」

「うっ」


 家を出るといつものように気合いを入れて結っているツーサイドアップの髪を揺らして振り返ったのは、千夜。

 そして彼女の隣には、相変わらずきっちりとしたメイド服姿のレディモード・ソフィア。


「……なんでソフィアまで」

「昨日のこともあったし、知識としてはこの世界のことはある程度知ってるけど、自分の目で見たいんだって。インビジブルモードがあるから大丈夫だよ」

「レディモードでもあれ、使えるのか……」


「エルちゃんはどうして制服着てるの?」

「わたしも、この世界のことを知るために、と思って」

「あー。まぁ、ソフィアみたいにネットで高速検索とかできないんじゃ、自分で体験するしかないもんねぇ」


 何が起こるかわからないからできれば止めてほしかったが、唇に人差し指を当てて少し考えてから、納得したような返事をしてくる千夜。

 諦めた俺は、ため息を吐きつつ学校へと歩き出す。


 晴れ渡った空は清々しいほどだが、本格的とまではいかないものの、冬に足を突っ込んでいる十一月中旬は、その晴れが仇となって寒々しい。

 寒さが苦手な俺はブレザーの上に羽織ったコートの前をかき合わせつつ、人々の視線に気づかない振りをして歩き続ける。


 アパレル系雑誌の臨時モデルとしてお袋経由で声がかかることがある千夜だけでもけっこう注目されると言うのに、金髪碧眼の美少女であるエルと、手袋をして機械とわかる手は隠していても、突き出た耳のセンサーはそのままだし、メイド服姿のソフィアは目立って仕方がない。

 すれ違うサラリーマンやOL、走る車から奇異の目を向けられているのはわかっていたが、うつむき加減で無視することに決めていた。


「昨晩のような怪物は、度々出現するものなのか?」

 ソフィアと並んで後ろを歩くエルから、そんな声が掛けられる。


「いや、俺も初めて見たし、話にも聞いたことないよ」

「なんて言えばいいのかな? 都市伝説とか怪談話とか、つくり話なんかだとあったりするけど、真っ二つにされても死なないし血も流さない怪物なんていないよね、普通」

「しかし、昨日はいたのだし……」


 そうエルに突っ込まれるが、俺は千夜と顔を見合わせて小首を傾げるしかない。

 実際あの巨大サンショウウオのような怪物が何だったのかなんて、俺にだってわからない。どこかで似たようなものを読んだ憶えはあるが、思い出すこともできない。


 ――都市伝説だったかなぁ。

 何かの本だったのは確かだが、本のタイトルやいつ読んだかまでは思い出すことができず、俺は空を仰ぎながら考え込んでしまっていた。


「……だとしたら、この世界には我が勇者となれるものがいないやも知れぬのか」

「どういうこと?」

 軽く振り向くと、昨日の昼間と同じで暗い顔をして少し俯いているエルに、彼女に並んだ千夜が問うていた。


「いや、例え戦乙女の責務ではなくとも、この世界で勇者と認められる者を探してみようかと考えたのだが、戦うべき怪物がほとんど出現しないこの世界では、見つかる望みは薄いのだな、とな」


 言いながら俺のことを睨みつけてくるエルから視線を逸らして前を向く。

 この世界にリアライズした俺のことを恨んでいるんだろうとは思っていたが、かなり根は深いらしい。


「まぁ、この世界には昨日の怪物が例外だとしたら、神様も巨人もいないし、戦いっても人間同士の戦争くらいしかないからねぇ。あとは、武道の選手とかはいるけど」

「ブドー?」

「えぇっと、剣術とか、格闘技の、試合をする人とか、そういうの。ルールに則ったスポーツ、かな」

「ほぉ。この世界のことは、これからもっと知らなければならないな」


 まだ突き刺さるような視線を背中に感じるが、千夜と話している間に少し穏やかになったらしいエル。


「――*+%&」

 ソフィアの声に辺りを見ると、俺の通う学校の制服を着た人が前方に現れ始めていた。


「そろそろ姿を隠してくれ」

「わかった」

「――&%」


 空気ににじむようにして消えていったソフィアに対して、エルの姿は見えているが、視線を外すとそこにいると意識しないといることを忘れてしまいそうになる。隠形の術の効果だ。


 ――今日もいろいろありそうだな。

 そう思いながら、俺は何故か楽しそうに笑っている千夜と並んで、見えてきた校門に向かって歩き続けていた。

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