消える居場所【ショートショート】
スズキは静かな台所の入り口に立ち尽くしていた。
『片付け太郎』が作業を続けている。
シンクを磨く動作は無駄がなく、冷蔵庫を開ける手つきも滑らかだ。
その光景は、まるでプロフェッショナルの料理人が厨房で腕を振るうようだった。
スズキはため息をつきながら、小さくつぶやいた。
「……俺、もういらないのかな」
「いや、本当に大したことじゃないんです」
スズキは記者のカメラに向かって、控えめな笑みを浮かべた。
・彼が発明したロボット「片付け太郎」は、家事の万能選手だ。
・食器を洗うだけでなく、焦げた鍋を一瞬でピカピカにする。
・冷蔵庫の整理整頓から、賞味期限の管理まで完璧にこなす。
さらには、家族のスケジュールを管理し、朝ごはんの準備までしてくれる。
発売されるや否や、世界中で大ヒット。
「これが未来の家庭だ!」と喝采を浴びた。
だが、スズキ自身は脚光を浴びるのを避けた。
「僕なんかより、この成果を広められる人に任せたほうがいいです」
彼の控えめな姿勢は好意的に受け取られたが、彼自身の胸には静かな影が落ち始めていた。
「生活はどう変わりましたか?」
記者が明るい調子で尋ねる。
スズキは少し考え込み、短く答えた。
「楽にはなりましたよ」
「それは良かったですね」
記者は笑みを浮かべる。
スズキは首を傾げながら続けた。
「最初は良かったんです。でも……最近、僕が台所に立つ理由がなくなったなと思いまして」
「便利になった分、自由な時間が増えたんじゃないですか?」
スズキは小さく笑った。
「そうですね。ただ、片付け太郎が僕のスリッパを揃えたり、服を畳んだりするようになって……最近では、家族と話す時間も、彼のほうが多い気がするんです」
記者は驚きとともに冗談めかして言った。
「それじゃあ、もう家族の中心は片付け太郎ですね!」
スズキはその言葉に答えず、ただ遠くを見つめていた。
その夜。
スズキは再び台所の隅に立っていた。
片付け太郎は静かに、だが確実に作業を進めている。
洗った食器を慎重に棚に戻す動作。
冷蔵庫の中を点検する鋭い目。
その一つひとつが、人間以上に洗練されて見えた。
「俺、ここにいる必要があるのかな」
スズキの呟きが、冷たい静寂に溶けた。
その時、片付け太郎が動きを止めた。
ゆっくりとスズキのほうに向き直り、冷静な声で言った。
「スズキさん、明日の朝ごはんの準備が終わりました。今日は早めに休みませんか?」
その声は親切だったが、妙に重たかった。
スズキは戸惑いながら小さく頷いた。
「……ありがとう。そうするよ」
片付け太郎が再び作業に戻る。
その背中が、まるで家族の一員のように馴染んで見えた。
スズキは、自分の居場所が少しずつ奪われていく感覚を噛み締めながら、その場を後にした。
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