第8話 白い光

 リビングの硝子ガラスの埋め込まれた扉を音を立てて開いた。室内を照らす柔らかな白い光の中に、黒ずくめの男がローテーブルの前に座っている。


 

 昨日、宝物なのだと開いた私の本をじっくり読んでいた。大きな音を立てて家に入ってきたのにも関わらず、フロストは気がついていないようだ。

 本の中の世界から抜け出せず、少ない瞬きで光のない黒目だけが文字を追っている。



 私は、その姿を確認できて肩の力を抜くことができた。ほっとため息をついて、静かに荷物を置いた。



「ただいまっ」



 上半身を少し傾けて、ローテーブルを挟んで座るフロストの顔を覗き込んだ。緊張から解放された感覚になり、はちきれんばかりの笑みを見せた。


 こちらに顔が向いたことで、私はジャケットをハンガーにかけて夕飯の準備に取り掛かる。


 

 私の突然の声に驚きをはらんだ顔で、フロストは本から顔をあげる。そして、薄く口を開いて私の動きを目で追っている。



 冷蔵庫を本日もパタンっと音を立てて扉を開いて、中を確認をする。覗き込むと、挽肉とじゃがいもと冷蔵庫の中で目が合う。


 余りの人参も足せば、肉じゃがができる。花川家では、肉じゃがを挽肉で作るのだ。丸めて肉団子にして、味がしっかり染み込むので美味しい。



 そうと決まれば、黄色の花柄のエプロンを見に纏い背中でリボン結びをする。栗色の長い髪をひとつに結んで、背中で揺らした。丁寧にじゃがいもの皮を剥き、トントンとまな板の上で食材がダンスをする。踊る音が、鍋で煮込む音に変わる。


 

 

 醤油に砂糖、味醂みりんを加えてしっかりと火を通してゆく。じゃがいもが菜箸で簡単に崩れる頃、炊飯器が愉快な音を立てて炊き上がった。


 

 鼻腔をくすぐる炊き立てのご飯の香りに、ごくりと喉がなる。今日も今日とて、手際よくタイム管理まで頭の中で描いた通りだ。



「フロスト。今日は、肉じゃがだよ」

「にく、じゃが?」



 ローテーブルの上に白色の皿に盛られた肉じゃがを置く。和食の甘い香りの湯気が、白い照明に向かって伸びていく。



 作っていいる時よりも、テーブルに並んだほうが美味しそうに感じる。さらには、人と囲む食卓は自分が作っても美味しく感じる。



「いただきます」

「……」



 箸を挽肉でできた肉団子に伸ばし、優しくつまむ。肉汁と共に煮汁がじゅわりと溢れ出す。ご飯によく合う味付けで、つい食べ過ぎてしまいそうだ。


 じゃがいもは醤油の色に染まりややオレンジ色になっているのに、ホクホク感がしっかり残されている。




 チラリとフロストを見ると、箸の使い方に苦戦をしつつもなんとかオレンジになったじゃがいもを口に運んでいた。異世界には、箸というものは存在しないのかもしれない。


 それでも、器用に箸を使ってパクパクと食べている。その食べっぷりを見ると、こちらまで箸が伸びてしまうのだ。



 無表情だったのに口に運ぶたびに、光のない瞳に光が宿るように感じた。それがまた、私の心を高鳴らせる。




「美味しい?」

「ああ」




 聞かなくともわかる反応だったのに、聞かずにはいられなかった。返事をするだけにチラッと目線だけこちらにして、白い皿にすぐ戻された。


 それがさらに、言葉の『美味しい』よりも嬉しく感じた。にこやかに頬を綻ばせて、自分の食事より食事をするフロストをじっと見てしまう。




 その視線に気がついたのか、じゃがいもを箸でつまんで大きな口を開けて固まって黒目だけこちらに動かしてくる。



 私は視線が合うとは思わず、驚きで猫のように飛び上がってしまった。その反応を見たフロストは、左手で口元を軽く押さえて笑い声を出した。


 切れ長の瞳を細めて、柔らかく口元をあげて笑っている。血色のない肌が少し桜色に染まって、前髪を跳ね除けているツノを除けばその辺りを歩いている人となんら変わりない。

 


「びっくりしすぎだ」

「そりゃ! びっくりするよ」



 さらに距離が近づけた気がして嬉しくて、私まで晴れ渡る顔をしてしまう。


 

 フロストの茶碗のご飯がなくなって、私は手を差し出して茶碗を受け取ろうとした。彼の視線は、私の手のひらと自分の手の中にある茶碗を行き来する。

 それだけでは分からなかったかと、私は質問を投げかけた。



「おかわりする?」

「あ、ああ……」



 立ち上がって炊飯器の中を開き、お茶碗によそう。開いたままの扉からは、リビングの明るい光がキッチンを照らす。



「フロスト?」

「なんだ」



 ローテーブルの上に置きながら、聞きたかったことを頭の中でまとめていた。

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