第5話 氷の鏡

「そういえば」


 私は、何かを思い出して立ち上がり本棚の前で一冊取り出した。辞典のような分厚さのその本は、ファンタジーのようなイラストが表紙を飾っている。

 少し日焼けをした紙から、長い年月大切にされていたことがうかがえた。



 

 丁寧に表紙を開いて、自分の記憶と思い出をめくるように1ページずつ進めていく。

 ペラペラとめくり、とあるページを開いた。そして、ローテーブルのところに来てクッションの上に座る。

 



「あった! これのはなしかなぁ?」



 私は、フロストに開いたページを見せる。膝立ちになってローテーブルを挟む形で、本を渡してみせた。宝物を見つけたように、嬉々とした声をあげてしまう。

 彼は、切れ長の瞳を開き驚きを隠せないようだ。



『モリの中心で、に満月の月をウツス。すると、トビラが浮かび上がル』


 

 左ページには説明書きがされ、右ページには白黒のイラストが添えられていた。

 私は、懐かしさでいっぱいになった。そんな私を見たフロストは、この本を大切なものを扱うように撫でてくれる。紙と指が擦れる音が静か空間に消えていく。



 私にとって大切にしてきた本。それを丁寧に扱うフロストに、じわりと熱いものが胸中で広がっていくのを感じた。その熱が顔に集まり、すこし頬を染め上げる。

 

 それは、自分でもわかるほどだ。すこしと思っていても、他人から見るとかなり赤いのかもしれない。



 その本は、神話をまとめられたものだった。ひらがな、漢字、カタカナが混じる不思議な雰囲気を醸し出していた。



「満月の光をかぁ……フロストが言ってた通りだね」

「あぁ。というかこれは?」

 


 フロストは、本から視線を外して切長の瞳を開いて私を見る。彼が自分のことに関心を持ってくれて嬉しくなり、ローテーブルに手をついて身を乗り出した。身を乗り出した私に合わせて、栗色の長い髪が肩を滑って落ちた。


 

 その本は、香澄が5歳のときにクリスマスプレゼントとして贈られた大切な幼い頃からの宝物。それに、意図は違えども興味を持ってくれたことが私を舞い上がらせた。



「私の大切な宝物なの。おばあちゃんが、私に買ってくれてね。きっとのなかの――」

「神話?」



 私の言葉をかき消して、上書きをするように被せられる。こちらの世界では、神話として語られている話だったが、異世界から来たフロストにとったら神話として見ていないようだ。



 怪訝そうな表情をしつつも、大切にしている本へ目線を落とした。もう一度見て理解をしようとしているのだろう。


 

 そんな彼をそっとしておこう、を思った。私は、食べ終えた皿をシンクに持って行き素早く洗い流す。静かな部屋に水が流れる音だけが響いた。

 


 静かな空間に居ながらも、普段はひとりきりのこの部屋に誰かがいるというだけで気分がふわつく。

 さらには、初めて会ったが一目惚れをした相手なのだ。



 つい鼻歌を歌って、上機嫌さを隠しきれなくなった。水の音と香澄の鼻歌が混ざり、穏やかな空間を彩る。




「何かわかった?」

「いや、読めない文字もあって」

「そういえば! 異世界とこっちの言葉や文字は同じ?」

「こっちにくるにあたって、勉強をしてきた」


 

 にこやかに笑って、スッと白い指を本の上を滑らせた。その笑顔は、努力した自分を誇りに思うような、そんな気持ちを感じさせた。


 

 私は、昔から本読みが好きだった。その主人公が作るご飯が、美味しそうで自分も作りたい。そう思ったのだ。

 今までやったことのない料理を、イチから学び努力をして大抵のものはできるようになったものだ。

 


 そのフロストの努力の賜物を誇れる気持ちが、手に取るようによくわかる。



「これは、神々のはなしが書かれた本なの」

「神の?」

「そう! おばあちゃんが買ってくれたんだけど、不思議な世界に引き込まれるんだよ」

 


 そう言いつつも、香澄は白い指が止まった部分を読みあげる。

 


『神々がを封印。それを守ル、妖精たち』



 どれだけ勉強をしたとしても、流暢に話をできていたとしても、他国語は難しいのだろう。私の声に、何かを思案するように首を縦に動かして光のない黒目を上に向けた。



「妖精は、なにかを守ってるのか」

「そういうことだね?」


 

 ふたりで首を傾げながら、その本に書かれていることを考えた。しかし、何度読み上げたとしても『満月の夜に鏡で映し出される扉』ということ『神々が封印した力と妖精が関係する』ということだけしか分からなかった。


 

 それにしてもフロストは、なぜ魔王の力を保持するためにこんな大変な事をしてまで探すのか。そんな考えがふと頭をよぎった。

 背筋をスラリと伸ばされ、本のページを丁寧に捲る彼をじっと見つめて質問するタイミングを伺う。



 質問ならきっとどんなことでも答えてくれるだろうし、タイミングも何もないだろう。しかし、質問攻めを先程してしまって何となく聞くに聞きにくい。



 それに、あまり人には言いにくい事情かもしれない。そう思うと、聞かない方がいいのかもしれない。


 

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