第3話 食事
そんな朝の出来事を思い出しては、頬を緩ませる。その度にハッとなり、カウンターのPCに目を落とした。
顧客情報をカルテ形式にしてまとめる。そんな難しいことではないが、ここの職場は年齢層が高くてできる人が少ない。
田舎だと、老人客の方が割合として多そうだが、そんなこともなくて購入者は若い人も割といるのだ。
カタカタと音を立てて、PCを操作していく。ブラインドタッチだってお手のもの。ここの職場は、居心地も良くて私は気に入っている。
しかし今は、いち早く帰宅したい。待ってる彼は、なんと言っても私の好みの人。……
前髪を掻き分けで生えている大きなツノが、異世界感を醸し出している。普通ならば、顔がいくら良くてもそんな想いを抱かないだろう。
それでも、どこか惹き寄せられてしまうのだ。
ドキドキと高鳴る胸に、これは恋なのだと言われる。
その彼を思い出すと、簡単なPC操作でさえ難しくなってしまう。ぴたりとキーボードを叩く指が固まった。
なんだかんだと、上の空のまま1日を終えた。就業のチャイムが鳴って、急いで立ち上がって早々に帰宅をする。同僚の山本は、1日中おかしな私を呼び止めた。
「テレビで、不審人物がこの辺に出たって……」
「え! っと……そうなのですね! 気をつけますね!」
掴まれた腕をやんわりと解いて、手を振って山本に背を向けた。職場の扉が閉まる隙間から、私を案じる彼女の声が聞こえた。
「気をつけて帰ってね〜」
職場から徒歩10分という最短距離に住んでいる。それが今は、5分で着いたのではないかと思えるほど早く帰宅した。
扉でさえ、軽くて力を入れなくても開くように感じた。それほどに浮ついた心を隠しておくことはできず、表情にも行動にも出てしまっている。
「ただいま戻りました〜」
ガチャリと音を立てて扉を開けた。入り口にキッチンがあり、手前に冷蔵庫が配置されていた。その冷蔵庫を開いて、中を物色をする男と目が合う。
顎に手を置いて、何やら正体不明なものを見るように中をじっくりと見ていた。
私の声に、少し時間を置いてから顔をあげたのだ。
「何か欲しいのあります? あ、お腹空きました?」
「いや……」
ぐうぅうぅ〜
顔の表情が動かず、眉を寄せるしかしなかった男の腹が鳴った。悩むような仕草で顎に持ってきてた手のひらは、鳴る腹にあてて少し視線を泳がせる。
その行動が、異世界の人であることを忘れて人間らしく感じてしまう。
「ふふっ。簡単に何か作りましょう」
そう言って私は、部屋に入ってご飯の準備に取り掛かる。キッチンとワンルームを仕切る扉は、開けっぱなしになっていた。そのままリビングに入った。
カジュアルスーツのジャケットをハンガーにかけて、腕まくりをした。
薄い黄色の花柄のエプロンをさっと身につけて、開かれていた冷蔵庫を確認する。毎日見ているはずなのに、毎回確認をしてからしか作れないのだ。
冷蔵庫には、にんじん、玉ねぎ、それから卵。
――もはやこれは、オムライスしか思いつかない。
そう考え、にんじんと玉ねぎを取り出してトントンとリズムよく切っていく。まな板の上で、奏でられる音楽に出来上がる料理に想いを馳せる。
ワクワク感とテンポの良い音に、お腹がさらに返事を返す。
ご飯に馴染む大きさにカットをして、火を通してゆく。しんなりとしたところに、ご飯を投入をしてケチャップを入れた。慣れた手つきでサクッと作ってしまう。
皿に乗せられたケチャップライスに半熟の卵を飾りつけて、仕上げにケチャップで絵を描いた。何年も独り暮らしをしているのに、ここは変わらず顔を描いてしまうのだ。
卵の上に描かれたにっこりとした顔を、男の前に出した。暖かく湯気が立ち、男の鼻腔をバターとケチャップの香りでくすぐった。お腹を空かせた男は、目を大きく開いてじっとオムライスを見つめた。にこやかなオムライスが、男の視線を一身に受けている。
その目の輝きに、作り手の私は嬉しくなった。
彼の冷蔵庫を眺める目が、訝しんでいたのだ。こちらの食べ物は異世界とは違うのかも、と考えて敢えて料理名を口にしてみる。
「オムライスです〜。さあ、どうぞ」
私がそう促すと、彼は銀色のスプーンを手に取って綺麗に掬って食べ始めた。男は大柄で目だけの圧も強いのに、それとは反対にとても丁寧な所作で食事をとる。
そして咀嚼をして、嚥下した。その一連の動きを、私はじっとみてしまう。
美味しかったのか、何も言わずに黙々と食事を続けた。それを見て、私は嬉しくなり普段の数倍美味しく感じた。
バターの甘さが口に広がって、ケチャップの酸味を帯びたご飯が舌の上で解けていく。しんなりとしても玉ねぎとにんじんが、それぞれの味を主張をしていく。
(我ながら、なかなかうまく行ったのでは?)
私は、自画自賛をして味わうように頷いた。ここで、私は重要な事を思い出す。
「あの、貴方の名前を聞いても?」
「そういう時は、まず自分が名乗るんじゃ?」
(痛恨のミス!!)
私は、頭を軽く抑えて首を振った。もっと知りたいと思ったばかりに、普通ならしないことをしてしまっている。そもそも、知らない人に部屋の鍵を渡している時点での話だろうが。
「あ、私は、花川香澄です」
居た堪れなさから、声がややデクレッシェンドになってしまった。それでも、この男には伝わったようで握っていたスプーンを皿に置き私の方に真っ直ぐと向き合った。
「俺は、フロストだ。敬称も敬語もいらない」
「わかった! じゃあ、そうするね」
先ほどの失態など忘れ、けろっとした表情で笑った。私は嬉々とした笑みを咲かせたままフロストに質問をしていく。名前の他にも聞きたいことは山ほどある。
それに、フロストが害であるようには思えなかった。人々が怯え逃げていったのが、理解し難い。
ただ単な恋心だけではなく、直感的にそう感じたのだ。
だから自身の家にあげて、料理を振る舞っている。
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