銀血姫ブリュンヒルド~処刑執行人の恋~
さとう
第一章
プロローグ
血の付いた剣を洗うのが、始まりだった。
聖水を棺桶に注ぎ、罪人の首を刎ねた剣を洗い清める。それが、たった六歳の少女ブリュンヒルドに任された、処刑執行人としての最初の仕事だった。
「…………」
不思議なことに……ブリュンヒルドは、恐れなかった。
真っ赤な血が付いた剣。重いと感じたが、血を見ても特に何かを感じることはなかった。
棺桶の聖水が赤く染まり、わずかな鉄の香りが鼻孔をくすぐる。
「……血の匂いって、鉄の匂いなのね」
六歳の少女が発する、『初めて血の付いた剣を洗う感想』ではなかった。
ブリュンヒルドは剣を洗い終え、苦労して台座に立てかける。
そして、聖骸布で剣を磨き、神殿に奉納した油を剣に塗る。
その作業工程を終え、ようやく鞘に納め、次なる処刑の出番が来るまで神殿に安置する。
全てを終え、ブリュンヒルドは父の元へ。
「終わりました」
「……そうか」
漆黒の、イクシア帝国の紋章が刻まれた『執行人の礼服』を着た父が言う。
灰がかった銀髪、赤い瞳。
イクシア帝国で代々、処刑執行人としての役割を命じられた、アルストロメリア家の証。
ブリュンヒルドも同じ銀髪、赤目だった。だがその輝きは月の光を浴びた銀であり、赤い瞳は血のように深紅。
アルストロメリア家の特徴を色濃く受け継いだ証であり、処刑執行人の後継者としての証だった。
父、アルストロメリア家現当主ライオスは言う。
「恐れは、なかったか」
「はい」
ブリュンヒルドは即答した。
血。身体を流れる液体。ブリュンヒルドにとって血は、ただの液体だ。
ライオスは小さく笑みを浮かべる。
「ふ……お前には素養がある。良きことか、悪きことか……女の身にありながら、な」
「素養、ですか」
「ああ。ブリュンヒルド……お前はいずれ、このアルストロメリア家の当主となり、処刑執行人としての役目を授かるのだ」
「……父上の、後継ということですか?」
「そうだ。その髪、瞳こそ、その証」
「……」
ブリュンヒルドには兄、妹がいる。
だが、二人は母親と同じ金髪碧眼だ。父の髪色、瞳を受け継いだのはブリュンヒルドだけだった。
「ブリュンヒルド。これからお前の人生は、イクシア帝国の処刑人として、そのためだけに存在する。拒否は許されん。お前は、普通の貴族令嬢とは違う生き方をすることになる」
「…………」
ぬいぐるみも、かわいい服も、いずれ出ることになる社交界、貴族の男性とのダンス。
それらはこの瞬間より、はるか遠き世界の物になる。
ブリュンヒルドは頷いた。
「私は、イクシア帝国アルストロメリア家の長女、ブリュンヒルド。帝国の処刑執行人として、その人生を捧げます」
「……さすが、私の娘だ」
ライオスは微笑み、そっとブリュンヒルドの頭を撫でた。
そしてブリュンヒルドが見た、父の最後の笑顔、そして手のひらのぬくもりだった。
◇◇◇◇◇◇
処刑執行の場は、イクシア帝国の中央にある『断罪の場』という建物にあった。
中央広場には処刑台があり、民衆が観戦できるように周囲には囲いがある。
公開処刑を行う場合にのみ、広場の処刑台は使われる。それ以外では主に、断罪の場内にある地下処刑場で行うのが通例だった。
そして、地下処刑場から伸びる長い地下通路を通り、ブリュンヒルドはアルストロメリア家の敷地に戻って来た。
「処刑場と、我が家が地下で通じてるなんて、はじめて知りました」
「我が家は処刑執行人の一族。このことを知るのは、我々公爵家と、王家だけ。いいかい、誰にも話すんじゃないぞ」
「はい、父上」
アルストロメリア家は、イクシア帝国内でも最高位の貴族。
表向きは公爵として、アルストロメリア領地を運営し、国内では政務に関わる。
だが裏の顔は……処刑執行人。罪人を処断する役目。
「さて、私は公務に戻る。今日は自由にして構わない」
「わかりました」
「ああそれと……明日、ヘルメス王国から使者が来る。我が家に数日滞在する予定だ」
「使者、ですか」
「ああ。当然だが、我が家のことに関しては何も知らない」
それだけ言い、父は屋敷へ。
ブリュンヒルドは屋敷周りを散歩してから戻ろうとした。
そして、庭先で。
「あ、おねえさま」
「ブリュンヒルド。父上との用事は済んだのかい?」
「はい、エイル兄様、シグルーン」
三つ年上の兄、エイル。
そして一つ年下の妹、シグルーンだった。
二人とも、母と同じ金髪碧眼で、どう見ても兄妹。
花を摘んでいたのか、シグルーンの手は泥だらけ。そして、摘んだ花をブリュンヒルドに差しだす。
「はい、おねえさま」
「あら、ありがとう」
ブリュンヒルドは、汚れるのも構わずに、妹から花を受け取った。
エイルは苦笑し、ハンカチを出す。
「シグルーン。手を洗って着替えをしないと。ブリュンヒルド、きみも」
「はーい!! えへへ、今度はおにいさまにもお花あげるね」
「はいはい」
近くにいたメイドを呼び、シグルーンはニコニコしながら浴場へ。
エイルは、ブリュンヒルドに言う。
「ブリュンヒルド。父上とはどのような用事で?」
「えっと……」
エイルは、まだ知らない。
父も、「まだ早い」と言っていた。成長し、折を見てから説明するとのこと。
まだ九歳……アルストロメリア家が、代々『処刑執行人』を請け負っているなど、知らない。
「その、王城にある図書館に連れて行ってくれたんです。私が、物語を読むのが好きと知っているので……」
「そうなのか。羨ましいな、ぼくも行きたかったよ」
エイルは、次期公爵としてアルストロメリアを継ぐ……表向きの公爵として。
妹のシグルーンも嫁に行き、幸せな結婚をするだろう。
そこに、ブリュンヒルドはいない。
生涯、処刑執行人として生きる。
そして、エイルかシグルーンの子に銀髪赤目が必ず生まれる。その子を新たな処刑執行人として、ブリュンヒルドが導く役目もある。
「さ、ブリュンヒルド。手を洗って、きみも浴場へ」
「はい、お兄様」
「……それにしても、我が妹ながら本当に、六歳とは思えないほど大人びてるね」
「え?」
「いや、なんでもない。さあ」
大人びている。
ブリュンヒルドには、まだよくわからないことだった。
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