第19話 ナユハ・デーリンという少女


 ――夢を見ていた。

 朱色に染まる空。

 紅色に染まる大地。

 積み重なった瓦礫の山。

 せわしなく。懸命に。無数の迷彩服が揺れ動いている。


 あぁ、これは私の記憶じゃない。

 私(リリア)じゃないけど、私(わたし)の記憶だ。


 妖精さんのイタズラですべてを思い出したつもりだったけど。

 どうやら、前世の私はとんでもない爆弾を隠していたみたい。


 昨日、崩れる岩肌を見たせいで思い出してしまったかな?





 嫌な夢を見たせいで朝の目覚めは最悪だった。

 しかし起こしに来てくれたナユハの顔を見たらそんな感情も吹き飛んだ。うんうん、朝から黒髪美少女と遊べるとか天国だよね。


 え? 私も人を外見で判断しているって? いやいや何をおっしゃる兎さん。可愛い子を可愛いと褒めて何が悪いのさ。大切なのは髪色とか肌の色とかで差別をしないこと。その意味で言えば私と血統主義者の間には富士山より高い壁があるのだ。


 もちろんこの世界に富士山はない。私も前世の記憶にあるだけなのでいつか本物を見てみたいね。あんなに整った山はこの世界にも中々ないだろう。


 閑話休題。

 朝食はお爺さまと一緒に食べることになった。おばあ様は所用でどこかに出かけたらしく、ナユハは『庶民の私が貴族の方々と――』とかいろいろな理由を並べ立てて逃げてしまった。


 ここでゲームのヒロインなら身分差を気にせず一緒に食事をするのだろう。でも、そんな善意の押しつけみたいな真似はしたくない。


 前世の世界は身分制度がほとんどなかったけど、この世界には確固として存在する。もしも私が許しても、他の人間からは『貴族の食卓に庶民が――』という目で見られてしまい、その批難の矛先は貴族である私ではなく庶民であるナユハに向かう。


 人間、自分より強い存在には中々拳を振り上げられないからね。


(……って、なんともヒロインらしくない思考だよね。たしかゲーム本編の私はクールながらも理不尽な身分制度は絶対に許さないってキャラだったはずだし)


 そんな私がルートによっては身分制度の頂点に近い王妃となるのだから笑えない。

 ちなみにファンディスクだと差別主義的な意味で庶民との同席など許さないキャラだった。

 やっぱりこの世界はゲームとは違う。少なくとも私は異なる道を歩んでいる。


(なら、ゲームと違ってスローライフを送っても問題ないよね!)


 結論づけた私である。だって本編みたく王妃になったり上位貴族の嫁をやったりするのは面倒だし、聖女扱いも絶対に嫌。かといってファンディスクのようにギロチンされるのもまっぴらゴメン。ならお金を稼いでスローライフをやるのが一番平和というものだ。


 9歳らしくない将来設計をした私。そんな私にお爺さまが優しく声をかけてきた。


「リリア。ナユハとの仲はどうだい?」


「……良好だと思いますわ」


 たぶん。

 きっと。

 おそらくは。


 過ごしたのはまだ一日だけだけど、私としてはナユハと一緒にいるのが楽しい。なんというか、すとんとハマった感じ? たとえ会話が途切れても気まずくないというか……うん、そう。隣にいても気疲れしないのだ。


 でもナユハがどう思っているかは分からない。


 嫌われてはいないと思うけど、さっそく色々やらかしたのでかなり呆れられてしまったかもしれない。昨日の昼間、カメラを作っていた頃は私の行動に慌てふためいていたのに、夕方には完全に慣れていたみたいだし。


「お爺さま、ナユハから何か言われましたか? 具体的には付き合いきれないとか、お世話係を辞めさせてほしいとか」


「ない。リリアは前科があるので私からも尋ねたが、問題はないらしい」


「前科とは失礼な。ただ専属候補のメイドさんが五人連続で根を上げてしまっただけですわ」


「六人だよ。……まぁ、リリアが帰るまでの話だから我慢しているだけかもしれないね」


「あれ、お世話係って期間限定なのですか?」


 てっきり長期雇用だと思っていたし、私としてもナユハみたいな美少女がお付きのメイドさんになってくれるのはウェルカムなのだけど。


「ナユハはこの鉱山で働いているからね。たとえ侍女になる選択肢を与えても拒否するだろう」


 さらっととんでもないこと口走ったよこの悪魔。


「……お爺さま。年端もいかない少女を鉱山で働かせるとか、我がレナード家はそこまで墜ちたのですか?」


 てっきり領地で雇ったナユハを鉱山で紹介しただけと思っていたよ。少女が鉱山で労働させられているなんて普通考えないし。


 鉱山は力仕事であるし、肺にも悪く、いつ落盤が起きて命を落としてもおかしくはない。命を削って平均以上の生涯賃金を稼ぐ場所……。いいや、そんな好待遇な・・・・鉱山はレナード領だけ。他の領地であれば鉱夫の命など低賃金で使い捨てるものとして扱われている。


 そんな過酷な場所で少女を働かせるなんて前代未聞だ。少なくともレナード家においては。


 じと……、っと。私が絶対零度の眼差しで見下していると鬼畜ジジイは慌てた様子で弁明してきた。


「鉱山で働いているのはナユハの強い希望によるものだよ。私としても断りたかったが、そうすると別の領地の鉱山で働きかねない勢いだったからね。保護の意味も込めてうちで働かせているんだ。幸いにして魔法を使えば大人に負けない作業ができることだし」


「……まぁ、他の領地なら子供だろうが容赦なく使い潰すでしょうし、ナユハの美貌であれば好事家に売り飛ばされる可能性もあります。他のところに行くくらいなら――というお考えは理解しますが、そもそもなぜナユハはそこまで鉱山にこだわっているのですか?」


「あぁ、ナユハは頑固者だからね」


「がんこもの?」


「何でも、伯爵家の人間である自分は罰を受けなければならない。それが被害者へのせめてもの報いである、だそうだ。おそらく犯罪者が鉱山で奴隷のように働かされているという話をどこかで耳にしたのだろう」


「…………」


 この国に奴隷はいない。でも、奴隷に近い存在はいる。強盗殺人とか、強姦致死とかの重犯罪者。死刑にするくらいなら少しでも役立てようという考えで鉱夫や戦場での盾として使い潰されている。


 それは『犯罪奴隷』という存在なのではないか? という疑問はとりあえず置いておくとして。


「……伯爵家というと、ナユハが自己紹介の時に口走っていたデーリン伯爵家ですか?」


「そう。幼女誘拐と人身売買未遂の罪で領地没収、お家取りつぶし、当主が斬首されたあのデーリン家だ」


 懲役刑でも実質的な奴隷落ちではなく処刑。一人も死んでおらず、被害者も全員保護され、そもそも人身売買は(実行直前だったとはいえ)未遂だったにもかかわらずだ。人身売買がこの国においてどれほど重い罪なのか察せられるというもの。


「罰を受けなければ、とのことですが、まさかナユハが関わっていたのですか?」


「いいや。王都から派遣された騎士団の連中が徹底的に調べたが、ナユハは一切の犯罪行為に手を染めてはいなかった」


 この国では重大事件の取り調べを騎士団が行う。前世的に言えば軍警察みたいなものだろうか?


「ナユハに罪はない、と。ならばなぜ罰を?」


「……ふむ、そうだね」


 顎に手を当てて悩み始めるお爺さま。たぶんどう説明したものかと考えているのだろう。

 つまり、それだけナユハの件は常識で説明しにくいということなのだと思う。


 ふと料理に視線を落としたお爺さまはフォークで乱雑にスクランブルエッグを突き刺し、私の眼前に差し出してきた。


「今リリアが食べている食事はレナード子爵家が用意したものだ。さらに言うなら今までリリアが食べてきたもののほとんどが子爵家の準備したもので、リリアの血肉はレナード家が育てたものとなる」


「はぁ、まぁ、そうなりますね」


 その理屈に前世云々は関係ないだろう。あくまで現世の肉体の話なのだから。


「そこでナユハは考えた。自分は許されぬ罪を犯したデーリン伯爵家に育てられた。自分の血肉は罪にまみれているのだから、死ぬまで罰を受けなければならないと」


「騎士団が調べ、裁判が行われ、死刑も執行されたのでしょう? 逆に言えば何の罪にも問われなかったナユハの無実は国が保証してくれたことになります。そもそも誘拐事件の期間は一年もなかったはず。血肉が育つ以前の問題では?」


 私も事件のことはうわさ程度でしか知らないけれど。最初の誘拐から伯爵の拘束まで一、二ヶ月のスピード解決だったはずだ。それで血肉が罪まみれというのは少し無理がある。


 ナユハが生まれたときからずっと誘拐と人身売買で生計を立てていたというのならまだ話は分かるものの……。


 お爺さまも同感なのか首を何度か横に振る。


「理屈で考えればそうなのだが、ナユハは納得していない。何度もうちの養子になりなさいと話を持って行ったのに、頑なに首を縦に振ろうとはしないんだ」


「……頑固者ですね」


「だからこそリリアを紹介したんだ。“ちゃらんぽらん”なリリアを相手にすればナユハも肩の力の抜き方を覚えると思ってね」


「ちゃらんぽらんとは失礼な。否定はしませんがお爺さまだけには言われたくありません。……しかし、なるほど。つまりは私の素晴らしくも心温まる言葉によってナユハを救えばいいのですね?」


 そうすれば黒髪美少女がずっと側にいる! 天国だね!

 前世でたくさん乙女ゲームをプレイした私ならかなり『いい言葉』をかけられると思うよ!


「……はっ」


 うわ鼻で笑ったよこのジジイ。


「リリア。いいことを教えてあげよう。言葉だけで人は変わらない。確かにいい言葉を見聞きすれば変わったと勘違いするが、人の記憶は薄れるものだ。その時はどんなに感動してもすぐ頭の端っこに追いやられて忘れられてしまう。――真に人を変えるのは行動と経験のみだよ」


「至極名言。ですが、9歳児にずいぶんと難しい話をするものですね?」


「前世の記憶があるならもはや9歳児ではないだろう?」


「……ひでぇ理屈だ」


 思わず乱雑な口調になってしまう私。『どうしてこうなった!?』と心の底から叫びたい。まったく、こんなにもプリティーでお肌もぴちぴちな私を捕まえてひどい言いぐさなものである。



『プリティーだってー』

『ぴちぴちだってー』

『やっぱり言葉のチョイスが古いよねー』

『まー中身がオバサンだからしょうがないかー』



「うっさいわ!」


 いつの間にやら現れた悪魔(ようせい)どもにフォークを投げつける私。すこーん、と一体の額に突き刺さったけどこの程度で死んでくれたら苦労しない。

 あと私は前世でもオバサンじゃねぇ。結婚適齢期じゃー。


 と、そんな私を見てお爺さまは目を見開いていた。お爺さまは妖精さんが見えないからさもありなん。


「妖精様かな? ……リリア。他の人の目がある場所ではなるべく妖精様とは戯れないことだ」


「合点承知ですわお爺さま」


 今の私は急に叫びだしてフォークを投げる変人だものね。妖精さんに刺さったフォークが(妖精が見えない人からすれば)空中で静止しているように見えるのがせめてもの救いかな。目視できなくても『何かに刺さっている』とは分かるものね。


 ……あ、そうか。妖精さんにペンキでもぶちまければ他の人にも見えるようになるのか。実体はあるのだし。


 皮膚呼吸? 窒息? 上級魔法が直撃しても死なない存在を心配してもしょうがないだろう。


 私の思考を読み取ったのか妖精さんは蜘蛛の子散らすように逃げ出してしまった。残念無念。



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