潮風の奏でるプレリュード

まさじろ('ぅ')P

第1話 転入生がやってきた

「お先に失礼しま~す!」


 企画会議が終わるなり、私は音楽室を飛び出して階段を駆け下りた。17時半に部活が終わってからも、構成係の会議は続いた。相変わらず2年生の先輩の段取りが悪く、私たち1年生は苦労させられっぱなしだ。

 

 今日はこの後、駅前のファミレスでトランペットパートの懇親会が予定されている。事ある毎に「懇親会」と称してワイワイ騒ぎながらご飯を食べるのが、我らが村上光陽高校吹奏楽部トランペットパートの伝統だ。先月、3年生の先輩方が引退した後も、この伝統はしっかりと受け継がれている。

 ちなみに今日は私と同じ1年生の穂乃香ほのかの誕生日を祝う会である。穂乃香の誕生日は明日だけど、さすがに「彼氏持ち」を誕生日当日に引っ張り出すわけにはいかないという、パートの配慮で今日になった。

 

 廊下を早歩きで進んで行くと、昇降口の壁に背を預けて待つ誠也せいやの姿を認めた。


「おじょ~! ごめーん、遅くなった~」

 私が声を掛けると、誠也は手元のスマホからパッと視線を上げてほほ笑んだ。

「おぉ、お疲れ!」

 

 私はそのまま自分の下駄箱に向かう。

 

「穂乃香とひまりんは一緒じゃないのか?」

「うじ。穂乃香は担当が違うから、もう先に行ってるはずだよ。今日の主役だしね!」

「ひまりんは?」

 私は下駄箱の扉を開けてローファーを取り出すと、やや乱暴に床に置く。

「知~らない」

 そんな私に誠也は呆れ顔で言う。

「まだケンカしてんのか? いい加減仲直りしろよ」

「別に喧嘩なんかしてないし。私なんにも悪くないも~ん」

 そう言いながら脱いだ上履きを下駄箱に入れ、これまたやや乱暴に扉を閉めた。

「はいはい、そうですか」

 そう言いながら先に外へ出て行く誠也の後に、私も続いた。


「もう真っ暗だね~」

 街灯に照らされた歩道を、私たちはバス停に向かって歩き始める。

「10月に入ったからな」

 そう言いながら右側を歩く誠也の腕に、私はしがみついた。

「おいおい、学校の中ではイチャつかないって約束だろ?」

 そう言う誠也をよそに、私は誠也の制服にぴったりと頬を当てて、思いっきり息を吸い込む。

「誠也の匂い、好き~」

「冬服に替えたばかりだから、クリーニングの匂いだろ?」

 

 わかってる。誠也がこういう言い方をするときは、照れ隠しだって。


「ねぇ、誠也。今日って何の日か覚えてる?」

「え? 今日は……穂乃香のバースデーの前夜祭だろ?」

「うじゅ~。それはそうだけど、他には?」

 私はしがみついた誠也の腕にさらに力をこめる。

「え? 他にか?」


 わかってる。誠也がこういう言い方をするときは、本当に覚えてない時だって!!


「うにゃ~! 今日は2年前に、私と誠也が出会った記念日だよ!?」

 

 

 ♪  ♪  ♪

 

 

 今から2年前の10月。中学2年生だった私は、ごくごく平凡な毎日を送っていた。それが退屈でもなかったし、ましてや刺激を求めている訳でもなかった。むしろ何事もなく過ぎていく日常が、ありがたいとさえ感じていたくらいだ。

 だから、同じトランペットパートのゆいのクラスに転校生が来たと聞いたときも、どこか他人事だった。


 土曜日に体育祭があり、そのおかげで月曜日は代休。休み明けの今日10月5日火曜日から、私たち潮騒市立若葉中学校吹奏楽部のメンバーは、来月に予定されている海辺中学校との合同練習会に向け、本格的な練習が始まった。

 

 学指揮である石井葉音はのんちゃんの指揮に合わせ、全体で基礎練習を行っていると、顧問の小原先生が音楽室に入ってきた。今日はパート練習だけで合奏の予定はないのに珍しいな、などと思ていると、小原先生の後から見知らぬ男子生徒も音楽室に入った。


 あれ? もしかしたら噂の転入生?


 わたしと同様に皆、彼の存在が気になりつつも、演奏を途中で止めるわけにいかず、楽器を吹き続けた。


 一通りの基礎練習メニューが終わると、葉音ちゃんが終了を宣言する。

「これで基礎練習を終わります」

「ありがとうございました」

 全員が挨拶をし、葉音ちゃんが指揮台を降りると、代わって小原先生が中央に立った。


「えー、転入生の入部希望者を紹介する。2年A組の片岡誠也くんだ」

 小原先生に促され一歩前へ出た転入生は、自己紹介をする。

「札幌から転校してきました、片岡誠也です。前の中学校では吹奏楽部でトランペットを吹いていました。よろしくお願いします」

 そう言って彼は一礼をした。


「ふお~、トランペット!」

 私の驚きが思わず声となって漏れると、それに反応して隣に座っていた唯が肩をすくめた。


「というわけで、片岡くんにはそのままに入ってもらおうと思うので、唯、あとよろしくな」

 小原先生に託された我がトランペットパートのパートリーダー、唯が「わかりました」と返答すると、そのままいったん解散となり、各楽器に分かれてのパート練習となった。

 

 部員たちは転入生に興味を惹かれつつも、各パート練習会場に分かれていく。そんな中、私は若干の優越感を覚えつつ、唯と共に早速片岡くんの元へ歩み寄った。


「片岡くん、同じパートのえり子だよ」

 彼とは同じクラスで既に面識のあるらしかった唯が、私を紹介してくれる。

「小寺えり子です! よろしくね~」

 私が笑顔で挨拶をすると、彼もまた笑顔を返してくれた。

「小寺さんだね。よろしく!」


 軽く挨拶が済むと、早速私と唯は片岡くんをパート練習会場である教室へと案内をした。


 

 吹奏楽の中でも一番の花形楽器である(と私が思っている)トランペット。業界では「ペット」とか、「ラッパ」などと言われたりもする。そんなトランペットを私が希望したのは他でもない、ただ単にかっこいいと思ったからだった。

 そもそも吹奏楽部に入部したきっかけは、幼馴染で親友の「みかん」こと樋口美香みかに誘われたからである。みかんは小学校の頃から金管バンドクラブでトロンボーンを吹いており、身近な友達への憧れもあったのだと思う。

 

 音楽室の一つ下の階の教室に移動すると、既に1年生のメンバーが机をよけて練習スペースを作っていてくれた。

「準備ありがと~」

 私がお礼を言うと、代表して浅沼くんが「いえいえ」と笑顔を返してくれる。


 現在、若葉中吹奏楽部のトランペットパートは2年生が私と唯の2人、1年生が3人の計5人。それに片岡君を加えた6人が、半円状に並べられた椅子に座る。

 その円の中心には机が置かれているが、本来その上に置かれるべきメトロノームがない。実は部内のメトロノームは数が足りておらず、パート練習の際は争奪戦……もとい、譲りあって使うことになっている。

 今日は片岡君のオリエンテーションもあるので、唯の判断で積極的な入手には参加していなかった。

 

「まずは、自己紹介でもしますか」

 唯の進行により、まずはそれぞれ自己紹介。私と唯に続き、1年生の浅沼優斗ゆうとくん、松岡結奈ゆいなちゃん、そして栗林美優みゆうちゃんがそれぞれ簡単に挨拶をした。

 

 それぞれの挨拶が一通り終わると、自然と片岡くんへの質問タイムに流れて行った。

 

「楽器はいつからやってるの?」

「北海道ってやっぱ、寒い?」


 私たちの他愛もない興味本位の質問にも、片岡くんは丁寧に答えてくれた。


 先月まで片岡くんが通っていた中学校の吹奏楽部は、この夏のコンクールで札幌地区代表となり、北海道大会へ進出。金賞を受賞したそうだ。私たちの中学校は今年、県大会の予選どまりだったので、私たちよりも楽器のレベルが高く、期待できそうである。


 本来ならば、早速一緒に練習を開始するべきではあったが、片岡くんとの懇談に花が咲いてしまい、あっという間に部活終了時刻を迎えてしまった。


 ♪  ♪  ♪

 

 部活が終わると、私はいつも通り親友のみかんと一緒に家路に就いた。

 

「片岡くん、なかなかのイケメンだったね」

 みかんが目を輝かせて言う。

「うじゅ~、そだね。しかも、夏のコンクールは北海道大会で金賞だって」

「そうなんだ~! で、彼女いるって?」

 みかんの突然の問いに、私はズッコケそうになった。

 

「出逢って初日に、いきなりそんなこと聞けるわけないじゃん」

「まぁ、いたとしても相手は北海道だよね。遠距離か~」

 そう言って遠い目をするみかんに私は呆れ顔をした。

「みかん、妄想が過ぎるよ」

 

「えり子は興味ないの?」

「うにゃ? 何が?」

「何がって、片岡くんの事」

「いや、だって、まだどんな人かわからないし……」

 むしろなぜ、出会って間もない男子にそんなに興味を持てるのか、私には不思議だった。

 

「えり子って可愛くてモテるのに、今まで告ってきた男子、全滅させてるんでしょ?」

「全滅って、……2人だけだよ」

「恋愛に興味が無いの?」

「うーん、そういうわけじゃないけど、ただ2人とも、付き合った後の想像が出来なかっただけで……」

 

 口ではそう言ってみたものの、このころの私はみかんが言うように、全く恋愛に興味が持てないでいた。実際、去年の秋にクラスの男子から告白された時は、ちょうど母が大きな手術をするために入院中で、そのイライラもあって余計にしんどくなった経験があった。

 なぜ告られた側の私がこれほどまでに気を使わなくてはならないのか? そう考えた時、私にとって恋愛はむしろ不必要なものだという認識が強くなっていった。


 それ以来、私は自分の持つエネルギーの大部分を部活に注いできた。初心者だったトランペットも先輩や小学校からの経験者である唯に指導してもらって、どんどんと上達できた。

 去年のクリスマス。母が入院中に家事を一生懸命頑張ったり、2つ下の弟の啓太けいたの世話をしたりと、本当によく頑張ったと言って、父が買ってくれたトランペット。これは私の唯一無二の宝物である。

 

 

「なんだかね~。貴重な青春時代なのにもったいない」

 そう言うみかんに、私は笑って答える。

「私の青春は、トランペットだよ~」


 そう。私の今の興味関心は、もっともっとトランペットがうまくなることだけ。それには恋愛なんて邪魔でしかない。


「ってゆうことはさ、ある意味えり子にとって、強力なパートナーが現れたってことじゃない?」

「ほえ?」


 みかんのその一言に、私は一瞬思考が止まった。


「はにゃ~、確かにね~!」

 

 まだ片岡くんの奏でる音は聞いたことがないが、前の中学校でもレギュラーメンバーとしてコンクールで金賞を受賞している経歴から、恐らくそのスキルは私よりもかなり上であることが予想された。

 

「そっか! これって、私がトランペットのスキルアップを図るのに、絶好のチャンスかも!」

「ちょっと、えり子?」

 私の態度が突然に変わり、みかんは驚きを隠せない様子だった。

 

「なんか俄然、片岡くんが魅力的に思えてきた」

「えり子、その言い方は失礼過ぎだよ!」

 

「よ~し、明日からの練習、頑張っちゃお~」

 そう言って拳を突き上げる私の見て、みかんは笑いながら言った。


「まったく、えり子ったら~!」

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