第97話 それぞれの動き 5

《side アイス・ディフェ・ミンティ》


 湿地帯の朝はいつも霧が濃い。草葉の露が靴を濡らし、地面から立ち上る湿気が肌にまとわりつく。この場所を拠点になったときは、守りが容易で喜んだ。


 だが、今はそれが裏目に出るとは思っていなかった。


「……まずいな」


 僕は地図を広げ、戦況を再度確認する。


 隣接するのはブライド皇子の領地。あの男の動きは計算外だ。獣人の陣地を手に入れたことで勢力は増し、次に攻め込む先を選ぶ余裕がある。


 彼がこちらに目を向ければ、この湿地帯は戦場として最悪だ。


 だが、それ以上に問題なのは……


「自由同盟が、フライ・エルトールに取られた……」


 僕はつぶやき、苛立ちを覚える。


 自由同盟のフリーダムは実力者であり、彼を取り込むことでブライドに対抗する戦力となるはずだった。だが、フライが動き、彼らを丸ごと受け入れてしまった。


 これでは僕が使える戦力が限られてしまう。


「竜人族か……」


 地図上の竜人族の陣地に目をやる。だが、竜人族は強さを何よりも重視する種族だ。彼らに頭を下げて同盟を持ちかけても、見返りを示さなければ何も得られないだろう。戦力を貸すどころか、こちらが試されるだけで終わる可能性が高い。


 残された選択肢は一つ。


 海人族だ。アクアリス・ネプチューナ。彼女は強力な魔法を操り、知性と義侠心を持つことで知られている。この状況を覆すには、彼女との同盟が必要だ。


 我は湿地帯を抜け、海人族の陣地へ向かう。広がる川辺と湖が静けさをたたえ、その奥に海人族の拠点が見えた。アクアリスの姿を確認すると、我は心の中で息を整えた。


「アイス・ディフェ・ミンティ王子、どういったご用件で?」


 アクアリスは湖畔に立ち、静かな微笑みを浮かべながら我に問いかけた。その落ち着いた態度は、こちらの焦りを見透かしているかのようだ。


「あなたと同盟を結びたい」


 僕は短く目的を伝えた。アクアリスは何も言わずにこちらを見つめ、その青い瞳が一瞬だけ鋭く光った。


「なるほど。同盟を、ですか」


 彼女は静かに笑みを浮かべたまま、湖の水面に目を移した。


 その態度に、我は少し苛立ちを覚える。時間がないのだ。ブライド皇子が動き出せば、こちらが優位に立つ機会はなくなる。


「あなたの力はこの場で必要だ。海人族の陣地を守るだけでは、ブライドに飲み込まれることになるだろう。それに、フライ・エルトールもすでに平民同盟に続いて、自由同盟を手に入れた。あなたの中立的な立場は、もはや不利にしか働かない」


 僕は言葉を続け、説得を試みた。しかし、アクアリスは微笑を崩さずに首を傾げた。


「なるほど。それで私たち海人族を、次の駒として選んだということですね」

「駒だと? 違う。僕は――」

「違う、ですか?」


 アクアリスが微笑みを消し、冷たい声を投げかける。その視線には明確な威圧感が宿っていた。


「アイス王子、あなたは知恵と策略を武器にしています。それは素晴らしいことです。しかし、私はその策略に乗るだけの価値をまだ見出していません」


 その言葉に、我は拳を握りしめた。彼女の冷静さは厄介だ。だが、それ以上に厄介なのは、彼女の判断力だ。こちらの焦りを完全に見抜いている。


「あなたの申し出はありがたいですが、今はその必要を感じていません。私たち海人族は、誰かに従うためにここにいるのではありませんから」


 アクアリスは静かにそう言い放ち、再び湖の方へと歩き出した。その背中に向かって、我は思わず声を上げる。


「アクアリス、あなたがこの場を守るだけでは、ブライド皇子に飲み込まれるだけだ!」

「そうかもしれませんね。でも、私はその時に考えることにします」


 彼女の声は静かでありながら、どこか重みがあった。その言葉に、僕は完全に拒絶されたことを悟った。


 湿地帯へ戻る道中、我は苛立ちを抑えきれなかった。焦燥感が胸を締め付ける。戦力を増やすどころか、他の選択肢を奪われたような感覚だ。


「フライ・エルトール……ブライド・スレイヤー・ハーケンス……どちらも、僕の邪魔をするか」


 だが、ここで諦めるわけにはいかない。まだ方法はあるはずだ。冷静さを取り戻し、次の一手を考える必要がある。


「僕がブライトに勝つためには、全てを支配しなければならない。そのためには……まだ動ける」


 静かに決意を新たにしながら、我は再び湿地帯へと歩みを進めた。焦りを振り払うように、竜人族がいる洞窟へ向かって歩みを進めた。


「愚鈍な人間が我々に何のようだ!」


 竜人は気位が高い。


 強さだけを全てと思っていて、バカな奴らだ。


「簡単だよ。君たちを僕の配下に加わってほしい」

「はっ!? ただの人間風情に我々が従うはずがないだろう!」

「ああ、だからこそ、君たちのところに来たんだ。君たちのクラウンと指揮官に決闘を挑む! 相手は僕一人だ。誇り高い竜人が受けない道理はないだろ?」


 ブライドが獣人を従えたなら、僕は竜人を取り込む。どんな手段を使ったとしても。


「バカな人間よ! いいだろう。その戦い、この将軍バッシュ様が受けてやる!」


 釣れた! 僕はためらうことなく切り札を切った。


「氷の世界!」


 ドラゴンは温度に敏感な種族だ。


 寒さに弱い! 僕が最も得意とする属性魔法は氷。


 相性が良いことは最初からわかっていた。


「貴様!」

「君たちを従えることなど容易い。だけど、知的にしたかったが仕方ないね。君たちの暴力的なまでの強さを利用させてもらう」


 僕は竜人族を取り込んだ。これでいい。


 ブライド皇子倒すためなら、どんなことでもしてやる。

 

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