第75話 敗北と暴力の果てに

《side ノクス》


 重い……体が動かない。目を開けようとしても、瞼が鉛のように重たくて、開かない。肩に鋭い痛みが走り、胸にこみ上げるのは、自分が敗北したという確信。


 最後に見たのは、貴族によって剣で貫かれる際の奴の顔だ。


 剣の切っ先が俺の肩を貫き、全身の力が抜け落ちる感覚。俺の身体は地面に崩れ落ち、そのまま意識を手放した……。


 ゆっくりと目を開ける。ぼやけた視界が徐々に焦点を合わせていくと、そこには見慣れない天井が広がっていた。


 寝たこともない高級なベッドだ。柔らかなベッドの上に横たわっている。肩の痛みは和らいでおり、包帯でしっかりと処置されているのが見えた。


「治療を受けられたのか? それにここは……どこだ?」


 起き上がろうとすると、身体が予想以上に軽いことに気づいた。傷が癒えかけている証拠だ。だが、それ以上に困惑したのは、自分がこんな快適な部屋で休んでいるという事実。


「目が覚めたみたいだね」


 その声に反応して顔を上げると、部屋の扉の向こうから俺を倒した貴族が入ってきた。奴は相変わらずの穏やかな表情で、俺の方を見て微笑んでいる。


「お前……なんで……?」


 言葉が出ない。俺が奴に牙を向けたのは間違いない。それどころか、奴の命を奪おうとした。だが、奴はそんなことは気にしていない様子だった。


「まずは、自己紹介だ。私はフライ・エルトール。帝国のエルトール公爵家の次男だ。君が嫌う貴族として生まれた」


 拳を握りしめて、奥歯を噛み締める。貴族と聞くだけで拒否反応が体に起こる。


「君の名は?」

「……」

「言わないか、まぁグラディエーター・アリーナの決勝に残っていたから知っているよ。ノクス」


 沈黙など意味はないことはわかっている。だが貴族と会話などしたくない。


「君たちの計画は失敗した。そして、君があまりにも無防備で倒れていたからね。放っておくのも忍びなかった。敵意を持たれているのは分かっているけど、怪我人を見捨てるのは性に合わないんだ」


 俺は奴の言葉に苛立ちを覚えた。貴族のくせに、偽善的なことを言いやがって……。


「何が性に合わないだ。貴族のお前が平民を助けるなんて、裏があるに決まってるだろ」

「裏か……裏があったのは君だと思うよ。リベルタス・オルビス」

「!!!」


 どうしてこいつがその名を知っているのか!? 秘密裏に行動していて、構成員も不明なはずだ。


「反応したね。それなら、君は僕にどうしてほしい? 僕が今ここで君をもう一度倒すべきだと言うなら、そうするけど」


 フライの言葉は冷静そのものだった。それが逆に俺の神経を逆撫でする。


「ふざけるな! 俺を見下してるのか!? お前みたいな貴族は、俺たち平民を虫けらみたいに扱ってきたんだ……!」


 俺は声を荒げるが、フライは動じることなく、近くの椅子に腰掛けた。そして、真剣な目で俺を見つめる。


「確かに、貴族の中には君が言うような人間もいるよ。でも、それが全てじゃない。少なくとも僕は、そんな風には思っていない」


「嘘をつけ!」

「それを証明することはできないから、代わりに君のことを指摘させてもらうよ。リベルタス・オルビスは爆弾を設置してアリーナ会場を爆破しようとした。他にもいくつか似たような装置を鼠人族が見つけてくれてね」


 爆破? 計画は混乱を招くことだとは聞いていたが、そんなことをしようとしていたのか?


「君は貴族が平民を虫けらのようと言ったが、君たちがしていることはもっとひどいんじゃない? 貴族を標的にするのではなく、無差別に罪無き人も巻き込んで混乱だけを生み出す行為だ」


 フライ・エルトールの言葉に胸に剣が突き刺さるような痛みが走る。


「君は暴力で全てを解決しようとした。僕のことを嫌うのは分かるけど、それが本当に正しいと思っているのかい?」


 フライの言葉に俺は一瞬言葉を失った。


 確かに、俺は力を振るうことでしか自分を証明できなかった。リベルタス・オルビスに加わったのも、力で平民の地位を変えられると思ったからだ。


 だが、フライの指摘に、俺の中で何かが揺らいでいる。


 罪無き者を巻き込んで混乱を生む。


 一瞬、鳴き声を上げる妹の姿。村を襲撃されて、殺される村人たちや、燃える村の様子が浮かび上がってきた。


「……だとしても、俺たちはそうやって生きるしかないんだ。力がなければ、平民なんてどこに行っても踏みつけられるだけだ」


 嘘だ。俺は自分への言い訳を考えている。


「そうだね。力があるに越したことはない。でも、力を使う理由はもっと慎重に選ぶべきじゃないかな。力も使う人によって意味は変わってきてしまう」


 フライの言葉は、俺にとって耳障りだった。だが、同時に、その言葉には妙な説得力があった。


「お前は……どうしてそんなことを言えるんだ? 貴族のくせに、どうして?」

「貴族だとか、平民だとか、関係ないと思うけどね。僕はエルトール領に住む人たち全員を家族だと思っているよ。それに君は、目の前で大勢の人たちが死ぬ光景を見たいのかい?」


 ズキッと、胸に痛みが走る。


 それは過去の自分たちと同じことを自分がしようとしていたということだ。


「僕はね。ただ争いを止めたいだけなんだよ。貴族も平民も、どちらかが一方的に悪いなんてことはない。だからこそ、話し合う道を探したいんだ」

「……そんなの、綺麗事だ」

「君がそう思うならそれでいい。でも、僕が君を助けたのは事実だ。それだけは覚えておいてほしい」


 俺はベッドの上で黙り込んだ。フライの言葉にどう反応すればいいのか分からなかった。だが、奴が俺を見下していないことだけは確かだった。


「……お前のことを完全に信じたわけじゃない。でも……」


 俺は言葉を選びながら、続けた。


「お前は、少しだけマシかもしれない。貴族の中では、な」


 フライは微笑みながら立ち上がった。


「それだけでも嬉しいよ。ノクス、君がもっと広い世界を見られることを願っている」


 その言葉を残して、奴は部屋を出て行った。


 俺は深く息を吐きながら、フカフカのベッドに身を沈めた。


「……やっぱり、貴族は嫌いだ。でも、お前は……そうでもないのかもな」


 俺は肩の痛みを感じながら、フライの言葉を反芻した。彼の言葉が心の中で何度も繰り返される。


「俺は本当に馬鹿だな」


 自然に涙が流れていた。

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