第9話『ままならないものだな。人生という物は』

話が長くなりそうだからと、私は美月さんの家に案内され居間に通された。


見知らぬ男を家に入れるのはどうかと思うが、村ではそんなものなのかもしれない。


「粗茶ですが、どうぞ」


「これは丁寧にどうも」


「それで、天野っていう人の話でしたっけ」


「そう。天使だと言っていた」


「天使、ですか。一つ、いえ。二つほど心当たりがある話がありますね」


「本当かい!?」


私は思わずテーブルに乗り出しながら話を聞こうとしたが、その瞬間居間の扉が勢いよく開き、私は口をつぐんでしまった。


そしてそんな私を、その扉を開けた主はギロリと睨みつけると、部屋の中へずかずかと入ってきて、溜息を吐いている美月さんのすぐ横に座るのだった。


「美月ちゃん! 駄目だよ! 怪しい人を家の中に入れちゃあ!」


「雪子。失礼だから」


「ユキちゃんって呼んで!」


「雪子。真壁さんは叔母さんとお付き合いされていた方で、私も手紙でよく知っている方だから。怪しい人じゃないの」


「むー! 分からないじゃない! それに、明美さんと美月ちゃんってすっごくよく似てるし、この人が本当に明美さんと恋人だったなら、思わず美月ちゃんに手を出しちゃうかも!」


「あり得ませんよ」


私は、思わず口を挟んでいた。


それは、その言葉は例え子供の戯言だとしても許せる事では無いから。


明美さんと、美月さんは別の人間だ。例え似ていようとも、私の愛情は明美さんだけに向いている。


似ているから。なんて理由で代替品にしようだなんて、あり得ないのだ。


「ごめんなさい。雪子はちょっと頭の足りない所がありまして」


「美月ちゃん!?」


「そうか。では仕方ないね」


「はぁ!?!?」


「あぁ、それで先ほど話していた天使の話ですが、その子によく関係しているのがこの雪子ですよ。何せ、彼女の妹ですから」


「なになに? ましろお姉ちゃんの話を聞きに来たの? しょうがないなぁ。お姉ちゃんは本当に天使だったんだってことを教えてあげるよ!」


「はいはい。話すのは良いけど。あんまり色々な場所で言いふらさないでね」


「言いふらしてなんか無いよっ! 私はましろお姉ちゃんの凄さを布教してるだけで」


「それが言いふらすって事なんだって」


「そのましろさんという方は、女の子かな?」


「女の子だと、関係ない話ですか?」


「そうだね。うん。その話は関係ないかな」


「分かりました。ではもう一つの方の話をしますね」


私は静かにお茶を飲み、湯飲みを見つめながらどこか遠い目で話を始める美月さんをジッと見つめる。


「私はかつて、アイドルという物をやっていました。まぁかつてという程昔の話でもありませんが」


「……」


「その時に、奇跡を起こすという男の噂を聞いた事があります。ちょうど真壁さんの仰っていた天野という男の話です」


「……っ」


「天野は欲深き人間の所へ現れては、命を代償に願いを叶えると聞いています。そしておそらくはその天野と接触したと思われる人間とも、私は話したことがあります」


「本当なのか?」


「はい。二人ほど。一人はお人好しで、バカで、臆病者な癖に変な所で強くて、どんな危険にも人の為なら向かっていける子でした」


「その子は」


「おそらくはその天野という男に未来を視る力を与えられたようです。その力で余計な事をして、今もなお勝手に傷ついています」


「生きては、いるのか?」


「はい。おそらく一度だけしか接触していないからでしょうね。呑気に間抜け面をして生きていますよ」


「そうか」


私はかつての友を思い浮かべながら、同じような力を手にしてしまったという少女を想った。


友は自分の利益の為に動いてしまったから、命を限界まで削ってしまった。


しかし美月さんの友人は一度しか使わなかったから助かったという事か。


ならば、何故だという想いが募る。


何故、明美さんは死ななければいけなかったのかと。


「もう一人の話を聞いても良いかい?」


「はい。もう一人は、おそらく天野に強い憎しみを抱いています」


私は美月さんのその言葉を聞いて、ドクンと心臓が跳ねるのを感じた。


「これは私の想像ですが、その人は天野に恋人の命を奪われた様です」


強く心臓が高鳴ってゆく。


「その人は交通事故に遭い、命の危機に瀕した。しかし、天野が恋人の願いを叶え、その命と引き換えにその人を」


私は思わず、テーブルを叩き、美月さんの話を途中で止めていた。


嫌な予感があった。


ずっと胸の底にあった考えだ。


でも、それを認める訳にはいかなかった。きっと何か別の物をと考えていた筈だ。


「真壁さん」


「違う。そんな訳がない。だって、理由が無いだろう。知る事だって出来ない! 私は遥か海の向こう側に居たんだ。どうやって知る? どうやって願う。おかしいじゃないか!!」


「あぁ、思い出した」


ずっと黙って話を聞いていた乱入者の少女の声に、私は思わずそちらに視線を向ける。


そして、何でもない事の様に私を見て呟いた言葉に私は言葉を、失くしてしまった。


「真壁さんね。覚えてるよ。明美さんがテレビを見てびっくりしてたもん。確か病気で倒れたって言ってたよね」


「あー、確かその後、奇跡的な回復がどうのって言ってたけど、あの時は明美さんが急変しちゃって大変だったからずっと忘れてたや」


「うそだ」


だって、そんなの意味が無いじゃないか。


私はずっと明美さんと共にある為に今日まで戦ってきたというのに。


明美さんが幸せであったならそれで良かったのに。


何故天野は私の所ではなく、明美さんの所へ現れたんだ。天野は。


「……真壁さん」


「ままならないものだな。人生という物は」


「私、なんて言ったら良いか」


「良いんだ。美月さん。それが彼女の意思だった。そういう事だろう。分かっている」


私は右手を握り締めながらも、どうしようもない怒りを感じながらも、それを美月さんに向ける無意味さを感じて噛み殺す。


誰も居ない場所であったなら叫んでいたかもしれない様な絶望と怒りを、身の内に秘めていった。


「でも、一つだけ良かった事もあるよ」


「良かった事……?」


「実はね。この国に来たのは明美さんの事だけじゃないんだ」


「はぁ」


「私はね。君に会いに来たんだよ」


「む!! やっぱり、怪しい……!」


「雪子さん。ステイ」


「きゃいん」


「それで、私に会いに来たというのは、どの様な理由でしょうか?」


「あぁ。私の財産をね。君に託そうと考えているんだ。それを君に了承してもらいたくてね」


「財産……?」


「うん。詳細は資料に書いているから、目を通してくれ。後は私の死後弁護士が上手くやってくれる」


そう言いながら私はまとめた資料を美月さんに手渡した。


私は美月さんが資料を確認しているのを見ながら、帰る準備をする。


もはやここに用は無かった。


後は……。


「あぁ、そうだ。出来れば……なんだがね。私が死んだら、彼女と同じ墓に入りたいのだが、可能だろうか」


「えぇ。明美さんも喜ぶと思います」


「それはありがたい」


私は最後に心残りも消えたと、美月さんの家を後にした。


いっそ、天野が彼女の命をただ奪った悪であったなら、恨む事も出来たというのに。


真実はおそらく違う。彼女の願いなのだ。彼女が私の命を救うために自らの命を差し出した。


ただ、それだけなのだ。


「虚しいな」


私は荷物を持ちながらこれからどうしようかと考える。


会社に戻る気は無いし。これからやりたい事も何もない。


いくら金があっても一人では紙切れ同然であった。


私はそんな事を考えながら、また山を登り、彼女の元へと向かっていた。


彼女に話をしながら、今後の事について考えようと思っていたのだ。


そして再び彼女の前に立った私は、手を合わせようとして、視界の端に入った姿に目を見開いた。


「お前は!!」


「ハジメマシテ、か? 真壁勇作」


「お前が、天野、か」


「いかにも。俺が天野孝だ」


「そうか。お前が」


私はここまで隠し持っていた銃を懐から取り出すと、それを天野に向ける。


世界中に散らばる話を聞いた。その上で天野が悪意ある存在でない事は分かっている。


分かっているが、それでも明美さんの命を奪った事を許すわけにはいかなかった。


「何故だ!! 何故彼女の命を奪わねばならなかった!!」


「それが運命だったからだよ。真壁勇作」


「運命だと」


「貴様の友が力を使い未来を求めて死んだ事も、森下明美がその命を対価として、お前を死の淵から救った事も、お前がその残り少ない命でもって、母国へ帰り俺に銃を向けている事も。全ては運命。定められた事なんだよ」


「誰がそんな運命を決めたというんだ!!」


「お前たちさ。一人一人の願いが、この運命を今日まで導いた。お前が、残された命の中で俺への復讐を願いここへ来た様に、な」


「……っ、だが、見くびるなよ。天野。私がこの村へ来たのはお前だけが目的じゃない。私は憎しみだけで今日まで生きてきた訳じゃない。彼女と同じ瞳をしたあの子に。私は未来への希望を託しに来たんだ」


「……そうだな。それだけは俺にも読めなかったよ。真壁勇作」


酷く穏やかな顔で笑う天野に私は微かに動揺してしまった。


だからだろうか。瞬きの間に私の視界から消えた天野に、私は動揺して銃を奪われてしまう。


「さて。俺がここに来たのはなんて事も無い。お前の願いを叶える為だ。あるだろう? お前の中に、奥底に! 秘められた願いが!!」


「私に……願いなど。お前に願うものなど!」


「何もないというのならそれでも良いさ。意地を張るのだって悪くはない。だが、まぁ俺としては礼くらいしたいもんさ。お前のお陰で確かに未来への希望は繋がったからな」


天野の視線が私の後ろにある彼女の墓へと向かう。


その視線の意味を理解し、私は胸が痛みを発するのを感じた。


発作だ。


ずっと抑えられていたというのに、今になって……。


「どうやらもう時間は無いな。さぁ、願いを口にしろ。真壁勇作。どんな願いであろうと叶えてやろう」


「おまえ、などに……」


「そうか。残念だよ。ならば仕方ない。俺は行くとしよう」


胸を押さえ苦しむ私をそのまま放置し、天野は背を向けて去っていった。


それでいい。


私は最期に彼女の傍で果てる事の出来る喜びを感じながら、目を閉じた。


「……こんどこそ、君と」


あぁ。確かにそれは私の心からの願いであった。


その言葉を口にした瞬間、私の体から痛みが消え、体が軽くなる。


そして……。


『勇作さん』


胸を突き刺すような懐かしさと愛しさに、私は勢いよく振り返った。


忘れる事など絶対にない。


いつもはどこか険しい表情をしている彼女が、親しい人にだけ見せる微笑みを。


『明美さん……!』


『もっと長く病気を抑えられると思っていたんですけど、私の命じゃちょっと足りなかったみたいです』


『そんな事はない! そんな事は、無いんだ。貴女の願いで、私は何一つ後悔など残さずに人生を全う出来た。全て、貴女の優しさが起こした奇跡だ』


『……勇作さん』


『それに、これからは共に居てくれるのだろう?』


『えぇ』


『なら、良いさ。これ以上私が望むものは無い』


私は強く、もう二度と離さないとばかりに明美さんを抱きしめた。


ここにあるのはただ、彼女が居るという喜びだけだ。


永遠だけがここにある。


私はただそれだけで幸せだった。

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