第49話 ローレンの過去


「十年前、俺の家族は魔族に殺された」


 ローレンはどこか遠い目をしながら、自分の過去を話し始めた。


「その日は、家族全員で北部地方にある保養所に向かう予定だった。しかしその道中、魔族に出くわし、護衛を含めそのほとんどが殺された。俺は……当日体調を崩して、ひとり王城に残っていた。だから、俺だけが助かった」


 彼のその言葉には、自分だけが助かってしまった罪悪感のようなものが含まれている気がした。


「その場に居合わせた叔父上は、なんとか逃げ仰せた。そのせいか、叔父上が王位欲しさに魔族を仕向け自分だけ逃げたと噂する者もいるが、真相はわからない」

 

 ローレンのその言葉に、アイリスは以前アベルと会話した時のことを思い出した。


 確かアベルは、ローレンが王位を継ぐまでは兄弟のように仲が良かったが、今はローレンに嫌われていると言っていた。二人の仲に亀裂が入ったのは、この事件がきっかけだったのかもしれない。


 ここまでの話を聞いて、アイリスは疑問に思ったことを口にした。


「そんなことがあったのに、どうして魔族との共存を目指しておられるのですか……?」

「四年前、俺が暗殺されかけたことは話したな」

「はい。陛下が左肩に傷を負った事件ですよね?」

「ああ」


 離婚話をした日の夜、ローレンが見せてくれた傷。当時のことを忘れずにいられるからと、わざと残しているその傷痕。


「あの日俺は、魔物討伐の任務で、魔王オズウェルドが治める領地との国境付近まで出向いていた。しかし、魔物討伐が思ったより難航し、俺は部隊から一人はぐれてしまったんだ」


 ローレンは当時のことを振り返りながら、どこか自嘲気味に語る。


「魔物討伐で体力も使い果たし、ボロボロになって森を彷徨さまよっていた時、暗殺者の集団に囲まれた。どこからが暗殺の計画だったのかはわからないが、もしかしたら魔物討伐そのものが罠だったのかもしれない」


 その時アイリスは、彼の孤独の深さを思い知った。幼くして王位を継いだ彼は、誰が敵かもわからない中で、ひとりで必死に戦ってきたのだ。


「俺はなんとか暗殺者に対抗したが、その時にこの左肩の傷を負ってしまった。正直、あの時はもう助からないと思った」


 ローレンは、終始とても穏やかな表情で、生死を彷徨った日のことを語っている。アイリスはそんな彼を見つめながら、ただ静かに聞いていた。


「だがその時、一人の魔族が俺を助けてくれたんだ。その場にいた暗殺者を全て退け、傷の手当もしてくれた。その後も、その魔族は俺を暗殺者から守りながら、安全な場所まで送り届けてくれたんだ。初めて会ったばかりの俺に、何の義理もないのに」


 そこまで語ったローレンは、一度ゆっくりと目を閉じた。何かを思い出しているような、そんな気がした。

 そしてローレンは再び目を開くと、微笑みながらアイリスを見つめ、言葉を紡いだ。


「その時に気付いた。人族にも魔族にも、善良な者もいれば、悪しき者もいると」


 彼からこの言葉を聞くのは二度目だった。

 魔族に家族を殺され、魔族に命を助けられたローレン。憎むべきか許すべきか、彼は魔族という存在に相当複雑な思いを抱いたはずだ。その考えに至るのは、そう容易たやすいことではない。


「そして、そいつは言ったんだ。魔族と人族が笑いあって暮らせる世界を作ることが、自分の夢だと。そして、それを俺と叶えたいと」

「それが、陛下の夢の根源……」


 以前、ローレンに魔族との共存を目指した理由を聞いたときには、ただ人族と魔族との無益な争いを終わらせたいから、としか教えてもらえなかった。その裏に、こんな過去があったとは。


 普段自分のことを話さないローレンが、自らの過去や心の内を明かしてくれたことが、アイリスはなんだか言葉にできないほど嬉しかった。


 しかし、魔族との共存を望むローレンにとって、魔族の友人がいるというのは非常に心強いことではないだろうか。


「その魔族の方は、今どうなさっているんですか?」

「……俺を助ける代わりに、命を落とした。本当にお人好しで……俺なんかのために、馬鹿なやつだ」


 それを聞いて、アイリスは言葉が出てこなかった。

 家族を亡くし、信じられる者もいない中、やっと出来た大切な繋がり。しかしそれも、すぐに消えてしまった。彼はまた、孤独になってしまったのだ。


「アイリス、どうしてお前が泣く?」


 困ったような表情のローレンにそう言われ、アイリスは自分が泣いていることに気がついた。気づいた途端、涙が溢れて止まらなくなってしまう。


「だ、だって……悔しくて……」


 泣きたくないのに、どうしても涙が溢れ出てしまう。

 

(つらいのは、陛下の方なのに……)


 アイリスは嗚咽を漏らしながらも、なんとか言葉を紡いだ。


「陛下は誰よりも国のために頑張っているのに……どうして、陛下から全部奪っていくの……」


 涙を流すアイリスの頭を、ローレンは優しく撫で続けていた。その優しさに、ますます涙が溢れてくる。


「陛下に、心休まる場所があればいいのに……」

「俺にとっては、お前がそうだ」


 そう言うと、ローレンはアイリスの濡れた瞼にキスを落とした。


「さっきも言っただろう。お前は俺の孤独を癒やす、ただ一人の人間だと」


 アイリスを見つめるローレンの瞳は穏やかで、でもどこか儚げだった。


「だが安心しろ。離婚の約束は必ず守る。それまで隣にいてくれれば十分だ」


 その言葉に、アイリスはハッとした。


 何者にも縛られず、自由に生きる。それがアイリスの目標だった。そのために十六年間も母国で耐え忍び、そしてローレンに離婚を切り出したのだ。


 しかし自分は、彼を再び孤独にさせようとしている。


「少し話しすぎたな。もう寝よう」


 ローレンはそう言うと、気遣わし気にアイリスの涙を指で拭った。


 その後、彼が寝静まってからも、アイリスは自分の気持ちに整理がつかず、しばらく寝付けないのだった。

 

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