第二章
第35話 解析が終わりました
その日アイリスは、いつものように夫婦の寝室でローレンが来るのを待っていた。
彼の自室の結界にまつわる暗殺未遂事件が解決したため、別にこの部屋で一緒に寝る必要もないのだが、なんとなくそのままになっている。
そしてアイリスは今、眠い目をこすりながらなんとか起きていた。今日はどうしてもローレンに報告しなければならないことがあったからだ。
眠ってしまわないように枕元で魔法書を読み漁っていると、しばらくしてローレンが寝室に入ってきた。
「陛下、お疲れ様です」
「すまない、今日は遅くなった。いつも言っているが、先に寝てくれて構わないんだぞ?」
ローレンはそう言って、定位置である自分の枕元に座った。アイリスは彼の気遣いをありがたいと思いつつ、微笑みながら返事をする。
「私、陛下とゆっくりお話できるこの時間が、結構好きなんです」
「そうか。ならいい」
アイリスの言葉に、ローレンも微笑を浮かべた。こちらに向けられた碧い瞳は、とても穏やかで優しい色をしていた。
アイリスが多忙なローレンと会話ができるのは、この夜の時間と、最近一緒に食べるようになった朝食の時間くらいだ。朝食の際は、給仕の人たちも居てあまり込み入った話が出来ないため、アイリスはこの就寝前の二人の時間を大切にしていた。
そしてアイリスは、その場で少し姿勢を正すと、早速今日の本題へと移った。
「今日は、王都の結界のことでご報告があります」
その言葉に、ローレンの表情が真剣なものに変わる。
二ヶ月ほど前、アイリスが城下街に出現したレッドウルフを討伐した際、ここ最近王都での魔物の出現が急増していることをローレンから聞かされた。それを受けアイリスは、王都の結界に綻びが生じていないか、少しずつ解析を進めていたのだ。
そして、その解析が今日完了した。
「何かわかったか?」
「はい。解析の結果、以前レッドウルフが現れた城下街の中央広場と、ヴァーリア魔法学校からさらに北西にある西の森付近の二箇所に、結界の綻びが生じていました。ここ最近、魔物がよく転移してくるのは、その綻びが原因のようです」
アイリスの説明に、ローレンは眉根を寄せた。彼の美しい碧眼に鋭さが宿る。そして彼は、険しい声でアイリスに質問を投げかけた。
「それは、人為的なものか?」
「その可能性が高いかと。経年劣化にしては不自然な印象でした」
アイリスの回答に、ローレンは少し考え込む仕草を見せた後、すぐにまた口を開いた。
「わかった。王都の結界を全て張り直すには、かなりの時間を要してしまう。明日から早急に、その二箇所に絞って補修作業を行わせよう」
王都全域の守護を司るほどの結界を構築するには、かなりの魔力が必要だ。少なく見積もっても、上級魔法師十数人分の魔力は必要になるため、ローレンの判断は正しいと言えるだろう。
アイリスの本来の魔力なら一人でも結界を張り直すことは可能だが、そんな事をすれば一体誰の仕業かと城内に混乱を招きかねない。ここは大人しく、綻びの箇所だけ修復するのがいいだろう。
アイリスはローレンの判断に頷きながら、一つ提案を持ちかけた。
「その件なのですが、私が結界の修復を行ってもよろしいでしょうか? 既にその二箇所は解析済みなので、言うなれば前準備が済んでいる状態です。二日もあれば作業も終えられるかと」
「それは助かるが……無理はしていないか?」
ローレンは少し眉を顰めながら、アイリスにそう尋ねた。彼の心配性は相変わらずのようだ。
そんな彼に、アイリスはなんてことないように笑みを浮かべながら言葉を返した。
「はい、問題ありません。では、ちょうど明日から二日ほど王妃としての仕事もありませんし、明日の朝食後から作業を開始しますね。しばらく自室に籠りきりになると思いますので、その点だけあらかじめご了承ください」
「ああ、わかった」
(そうと決まれば、今日はもう寝て、明日はたくさん朝ご飯を食べてから作業を開始しないと!)
久々にローレンの役に立てるのがなんだか嬉しくて、アイリスは意気揚々と寝台に潜り込んだ。
「では、明日に備えて今日は早めに寝ますね。おやすみなさい、陛下」
「ああ、おやすみ、アイリス」
アイリスはローレンに就寝の挨拶を告げると、その日は早々に眠りについたのだった。
***
「おはよう、アイリス」
「ううん……おはようございます……陛下」
翌朝アイリスが目を覚ますと、すぐにローレンの聞き心地の良い声が聞こえてきた。ぼやぼやとした頭がだんだん冴えてくると、彼がこちらを向いているのがわかった。起きてすぐにローレンの美しい顔が目に飛び込んでくるのは、なんとも心臓に悪い。
アイリスは、朝食をローレンと一緒に取るようになってから、彼と同じ時間に起きるようにしている。以前は、アイリスが起きる頃にはローレンは既に公務に出かけていたので、こうして朝の挨拶を交わせるようになったのも最近の変化の一つだ。
二人はそれぞれの自室に一旦戻り身支度を済ませると、食堂に集い一緒に朝食を取った。
王城の食事は非常に美味しく、この城にやってきてすぐの頃よりもだいぶ肉がついてきたような気がする。母国にいた頃はろくな食事ももらえなかったので、ありがたい限りだ。
そして、この後の作業に備えアイリスがモリモリと朝食を食べていると、ローレンはその光景を不思議そうに見つめていた。
「今日は、いつもよりよく食べているな?」
「はい。このあと自室に籠りますので、たくさん食べて英気を養っておこうかと」
ローレンの疑問に笑顔でそう答えると、アイリスはパンをもう一つおかわりした。
「そうか。あまり無理はするなよ」
「わかりました」
その時はあまり深く考えずにローレンにそう答えたが、アイリスは後々そのことを深く後悔することになるのだった。
朝食をたらふく食べたアイリスは、公務に向かうローレンを見送ると、いそいそと自室に戻った。
これから早速、王都の結界の修復作業だ。
侍女のハリエットと護衛騎士のレオンには、『しばらく自室に籠るから、私が出てくるまで部屋に入らないように』と伝えてあるので、邪魔が入ることはないだろう。
作業にはそれなりの時間を要するため、アイリスは一度ゆったりしたナイトドレスに着替えてから、自室のベッドの上に座った。
そして、アイリスは目を閉じると、まずは集中を深めるところから始めた。
鼻から大きく息を吸い、ゆっくりと吐いて、自分の内に巡る魔力に意識を向けていく。数回深呼吸を繰り返し、集中力が十分に高まったところで、アイリスはゆっくりと意識を外に向けていった。
(――まずは一箇所目、城下街の中央広場から)
そして、王都に張られた結界に意識を集中させながら、アイリスは修復作業を開始した。
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