愚鈍で無能な氷姫ですが、国取りを開始します 〜さっさと陛下と離婚したいので、隠してた「魔法の力」使いますね?〜

雨野 雫

第1話 結婚して早々ですが、離婚を申し出ます


「陛下、申し訳ありませんが、私と離婚していただけませんか」


 アイリス・アトラス、今は結婚しアイリス・バーネットとなった少女は、夫であるこの国の王、ローレン・バーネットの双眸を見据えはっきりとそう告げた。


 艶やかな長い黒髪に、燃えるような緋色の瞳をしたアイリスは、無表情で無愛想のような、それでいて凛とした面持ちで、姿勢よくソファに腰掛けている。


 そして、テーブルを挟んだ向かいには、気難しい顔をした美しい青年が肘をついて座っていた。


(――やっとこの時が来たわ。自由の身まであと少しよ)

 

 待ちに待った交渉の場に、アイリスは高揚と緊張で自然と体に力が入った。

 

 一日でも早く離婚交渉の場につきたかったのだが、二週間前に婚姻の儀を終えた後は、滞っていた公務を片付けるためローレンが休む間もなく、私的に話す時間が取れなかった。


 最近ようやく忙しさも落ち着いてきたので、公務終わりのローレンをやっとの思いで捕まえ、この部屋――それぞれの居室に挟まれた夫婦の寝室――に呼び出し、話し合いに持ち込んだのである。


 ローレンはシャツにスラックスという格好で、まだ寝衣には着替えておらず、公務から戻ってさほど時間が経っていないようだった。


 アイリスは、ふぅ、と小さく息を吐き、はやる気持ちを抑えながら続けた。


「私の二つ名はご存知でしょう? "愚鈍で無能な氷姫"。この大国バーネットの妃には相応しくないかと。陛下としても、望んだ相手ではないでしょう?」


 "愚鈍で無能な氷姫"――。王家の人間でありながら、このあまりにも不名誉な二つ名は、他国にも知れわたるほどに有名だった。


 魔法の聖地アトラス王国の王女であり、アトラス王家のみに発現する強大な魔力の証『黒髪緋眼』を生まれ持ちながら、ろくに魔法も使えず要領も悪い、感情が乏しく無愛想な姫――。それがアイリスの評判だった。


 すると、向かいに腰掛ける青年は、眉をひそめながらよく通る声でアイリスに言葉を放った。


「いきなり呼び出してなんの話かと思えば。つい先日婚姻の儀が終わったばかりというのに、離婚を申し込むとは随分と度胸があるな」


 金色に輝く髪、切長の碧い瞳、すっと伸びた鼻筋、形の良い唇――。整いすぎたその容貌は、どこか作り物のようにさえ見える。鋭い眼光がなければ人形と見紛うほどだ。


 そしてローレンは、フッと自嘲の笑みを浮かべながら続けた。


「……まあ、嫁ぎ先がこの俺では逃げたくなるのもわかるが」

「いえ、決してそういうつもりでは……」


 アイリスは少しバツが悪くなり、言葉を濁した。


 バーネット王国におけるローレンの立場は、はっきり言って『微妙』である。


 ローレンは実父である先王が早逝し、八歳の若さで王位を継いだ。しかし、当時はまだ政治を行う能力がなかったため、実際は先王弟でありローレンの叔父に当たるアベル・バーネットが実権を握ることになったのだ。


 当時十八歳だったアベルの手腕は相当なものだったらしく、民や貴族諸侯からの支持も厚いと聞く。決してローレンが政治手腕で劣っているわけではないにも関わらず、十年経った今でも国を動かす力はアベルに傾いている。

 

 ローレンはアイリスを、実権もろくに持たない王に嫁がされた哀れな少女だと思っているのかもしれない。

 

 アイリスはその事にはあえて言及せず、引き続き自分の要求を伝える。


「もちろん、すぐにとは言いません。民衆の熱がおさまった頃にでもと。私は王妃になるための教育もまともに受けていませんし、アトラス王家の人間であるにも関わらず、魔法も碌に使えませんから」


 そう告げたとき、ローレンの眉がピクリと動いた。彼の眼光に鋭さが増す。

 何かまずいことでも言っただろうかと、胸の内に不安が広がった。


「……お前、魔法が使えないというのは嘘か?」


 その言葉に、アイリスの心臓はドクンと跳ね上がった。心拍数が一気に上昇し、緊張と焦りで手先が異様に冷たくなる。


(大丈夫、この人が知るはずがない)


 冷静を保て、動揺を表情に出すな、と自分に言い聞かせながら、アイリスはもう一度、民衆がよく知る "愚鈍で無能な氷姫" について語る。


「いえ、陛下も私の評判はご存知でしょう? 私はこの『黒髪緋眼』を持ちながら、ほとんどと言っていいほど魔法が使えません」

 

 アイリスが緋色の瞳で真っ直ぐにローレンを見据えながらそう言い切ると、彼の眉間に深い皺が寄せられた。


「……くどい。俺に嘘は通じない」


 苛立ちを帯びた射抜くような瞳に、思わず怯みそうになる。しかし、アイリスもここで引くわけにはいかなかった。

 生まれてから十六年間待ち望んだ自由の身が、もう少しで手に入るのだ。


(ここで焦ってはだめ。平静を装うのよ、アイリス)


 自らにそう言い聞かせ、アイリスは無表情のまま再び反論する。


「陛下がどこからそのような話を耳にされたのか存じませんが、私が魔法を使えないというのは紛れもない事実で――」

「くどい!」

 

 その言葉とともにローレンがおもむろに立ち上がったかと思うと、次の瞬間、


 キンッ!!!


 という甲高い金属音が鳴り響いた。そして、互いに今起きたことに驚きを隠せず、二人とも目を見開いた。


 先ほどローレンは、立ち上がったあと腰に挿してあった剣を抜き、あろう事かそれをアイリスに向けたのだ。

 アイリスはアイリスで、『魔法』でその剣を弾いた。

 先ほどの金属音は、剣が魔法で弾かれた音だったのだ。


(しまった、魔法を――)


 永遠とも思える刹那の後、状況を理解した頭からサッと血の気が引いていく。


(バレた…………。バレた、バレた、バレた…………! 反射的に防御魔法を使ってしまった! いいえ、まだ誤魔化しようも……でもなんて言い訳をすれば……)

 

 混乱する頭で必死に取り繕う言葉を探すも、ローレンの一言にあえなく屈する。


「ほう……まさか俺の剣を止めるとは。それも無詠唱魔法ときたか」


 面白い獲物を見つけたと言わんばかりの好奇の目。薄く口角の上がったローレンの鋭い眼光が、アイリスを射抜く。


 一方のアイリスは、呆然とし言葉を失った。

 十六年間、誰にも知られずに隠し通してきた秘密――。『使』という秘密が暴かれるのは、ほんの一瞬の出来事だった。

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2024年12月5日 07:07
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2024年12月7日 07:12

愚鈍で無能な氷姫ですが、国取りを開始します 〜さっさと陛下と離婚したいので、隠してた「魔法の力」使いますね?〜 雨野 雫 @shizuku_ameno

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