第11話 その1


 桀が蹄の跡を追って一心に馬を走らせている間に、散っていた家臣たちが一人二人と集結してきた。

 桑畑が見えてきた。

 桀はおのれの予想の確かさに、また、笑い声を周囲にこだまさせた。

 はたして、桑畑に馬に乗った一軍があったからである。

「天乙!」

 愛馬を止め、桀はおのれの従者である商の公子の名を呼ばわった。

 多くの諸侯を従えている夏后氏は、慣例として、それぞれ氏から太子や、それに准ずる地位の公子を嗣子に仕えさせていた。

 人質としての意味あいもあるし、後々、王位を継いだ嗣子を君主として崇めやすい土台作りの為でもある。

 諸侯がこれに順従したのには、夏后氏を恐れた事も理由の一つであるが、古くからどこの国でもお家騒動が勃発するのが日常風景だからである。

 内紛時、王の庇護下にて後継ぎが確実に担保されるという事実は、無視できない。

 それが為に商の公子であり貞人として立つ人物と目されている天乙が、嗣子である桀王子に仕えているのは自然な成り行きであった。

 が、皆が一様に不思議だと首を傾げる事があった。

 手前勝手で苛烈な性格で知られる桀王子が、天乙だけは、側に置いて離さないという態度で一貫している。

 詰めが甘いという次元の話しではなく、べろべろに甘い。

 つまり、異常と言える程のお気に入りなのだ。

 常に感情が山頂と谷底の如くに起伏する桀の事であるから、天乙に対しても感情を爆発させることは多々ある。

 難題を吹っかけては怒りを滾らせ、殺してやるからそこに直れだの、刑に処してやるから覚悟しろだの、いや追放してやる二度とその面を見せるなだの、と容赦なく暴れて喚き散らす。

 だが次の瞬間、罵声を浴びせた同じ口でもって、何処に行くのだ、呼んだら直ぐに来られる所におれ、なんじはわれの側に居らねばならぬ、なんじはわれのもの・・だ、どこにも行ってはならぬ、なんじはわれと共にあらねばならんのだ、と地団駄を踏みながら涙目で言い募るのである。

 そう、例え天乙に怒りを抱いたとしても、直ぐに許しを与える。

 天乙を前にした桀は、殆ど駄々っ子だった。

 例え遠くに放り投げたとしても、一瞬の後には、そんなおのれの態度などころりと忘れ、懐近くに置いて慈しむのである。

 桀の態度は、夏后氏の宮中における最大の謎であった。

 だが、その天乙への謎の愛情も今日を最後として枯れるだろう、と家臣たちは見ていた。

「天乙、厨師が一門を寄こせ!」

「……」

 馬上で命じた桀は、眉尻を釣り上げた。

 何故なら、天乙からの返答がなかったからである。

 いつもであれば、ここは彼お得意の、なりません、が炸裂する所である。

 背中に弓を背負っている天乙を睨み据えながら、桀は馬から下りた。

「聞こえなんだか、答えよ、天乙!」

「嗣君、お静かになされませ」

 ようやく口を開いたかと思いきや、振り返りもせずに咎める言葉を吐いた天乙に、桀はまたもや怒髪天を衝く面構えとなった。

「厨師が一門はどこだ! 庇いだてするのであれば、なんじとて容赦はせぬ!」

 大股に歩みより、天乙の肩を掴んだ。

 しかし肩越しに、鋭い矢のような眼光でにらみ返された桀は鼻白んだ。

「お静かに」

「……」

 気圧された桀は、意に反して口を噤んでしまった。

 そして、そんなおのれに腹を立てつつ天乙の視線を追った。

「おおっ!?」

 天乙が見詰めていたのは、桑の木々に埋もれるようにある粗末な小屋であり、そこに小さくなって収まっている年端も行かぬ少年だった。

 少年の周囲には、天乙の家臣だけでなく地元民と覚しき人々が続々と集結し、泣きじゃくっていた。

「あの小僧は誰だ」

 桀の声は本気の不思議に満ちていた。

 彼の記憶には、羊を巡って天乙とやり取りした際に片隅で縮こまっていた子供の姿はない。

 そもそも、眼中に入っていなかったので記憶に留まる筈もなかった。

「伊風が長子、摯と申します」

 長子、という言葉に桀は反応した。桀はせせら笑った。

「厨師如きの長子とやらが、何をしておるのか」

「父を亡くしたのですから、服忌しております」

「何っ!?」

 言われてみれば成る程、あれはほったて小屋ではなく、服喪の最中に住まう倚廬いろである。

「遺体が失われてしまっておりますので葬儀の順をふめず、すぐに服忌する運びと相成りましたが、天帝には許して頂けましょう」

 桀は目をひん剥いた。

 眦から血が溢れ出てこないのが不思議である。

「三年と定められている服喪の期間を厭い、一年どころか一ヶ月も待たずに喪を開ける者が居る中、若輩者といえど見上げた孝心にございます」

 改めて、桀は少年を睨んだ。

 少年は確かに、斬衰を纏っていた。

 集ってきた人々は伊風を悼み惜しみ、そして魂の安らぎを願い哭しているのである。

「は、はは、うはは、ぬははは、ふははははは!」

 次の瞬間、桀は仰け反って哄笑した。

 そして、天乙の胸倉を掴み締め上げる。

 服忌の最中は、喪主は世の全ての交わりを全て断たねばならない。

 愉しみを遠ざけ、ありとあらゆる慶事を避け、一心に嘆き悲しんで暮らさねばならない。

 この間は俗世から隔離された存在となる、そう、伊風の息子は誰にも手出しができない存在となったのである。

 帝王の子である桀であろうとも、だ。

 もしも、それと知った上でこの少年に手出しをするというのであれば、その者は天の怒りを買い、わが身と魂を焼かれるだろう。

 つまり、服忌するということは少年を護る唯一無二の手だてなのであるが、よもや少年にかような知恵があるとは到底思われない。

 誰かが入れ知恵した考えるのが妥当であり、その『誰か』とは、この場合、一人しかいない。

 桀は沸き起こる怒りの為、瘧のように打ち震えた。

「天乙! なんじの入れ知恵か!」

「嗣君、それは違います」

 息の根を止める勢いで首を捻じ上げられながらも、天乙の呼吸に乱れはない。

「あの者は、自ら父を弔いたいと願ったのです。子としての当然の務めとして」

「子として当然、だと?」

 桀の声が裏返る。涙に濡れたようにも聞こえた。

 彼にとって最も突かれたくない場所を、天乙と少年は素手でもって無造作に開き、押し入ってきたからだ。

 が、それを知るのは、当の本人である桀と天乙のみである。

「そうか、子ならば当然であるか、そうか」

 手を離した桀は、家臣たちに手をふった。

 心得ている家臣たちは、少年に群がって泣き叫んでいる者たちを、蹴り飛ばしながら追い払っていく。

 天乙はその様子に眉をひそめたが、何も言わなかった。

 桀がこういう破壊的かつ衝動的、そして反倫理的な行為に没頭している時に下手に口を出すと、更に良くない、有り体に言ってしまえば、碌でもないことを仕出かすからだ。

 その瞬間に備えるかのように、天乙は視線を彷徨わせた。

「よし、よし、われはようく分かったぞ」

 桀は天乙を手招く。

「嗣君?」

「天乙、弓矢を寄こせ」

 返事を待たず、天乙が背負っていた弓を奪い取る。

「何を為さるおつもりか」

「われはかの孝行者に褒美をとらせてやろうと思うのだ」

「褒美?」

 訝しみ、戸惑いつつも、天乙は抜かりなく桀と摯の間に入る。

「天乙、弓を構え、矢をつがえよ」

「……嗣君?」

「そして、目を閉じて立て。われが狙いを定めるゆえ、合図をしたら、なんじは矢を放つのだ。よいな?」

「嗣君、それは――」

「なりません、は、聞かぬぞ、天乙」

 桀が何を企んでいるのかを悟った天乙は青ざめた。

 天乙に肆を射かけさせようとしているのだ。

「なんじらが言葉、無妄であるやいなや。われがうらなってやろう。あやつを助けんが為の方便としてであるのならば、なんじらは死をもって償え。しかして、まこと孝心からの丁憂であるのならば、天帝がなんじらを救うであろう」

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