第7話 その1

 城の門が開く時刻が来た。

 待ってましたとばかりに、門をくぐり抜ける。というよりも、つむじ風さながらに駆け抜けた。

 笑い声を背中で聞きながら厨房に飛び込むと、既に新たな戦場となっていた。

 小さな摯の事など誰も気にもとめていない。目にすら入っていなさそうである。

 大きく息を吸い、摯はあらん限りの大声で挨拶をした。

「おはようございます」

「おう」

「お、摯かね」

「来たかい」

 二番手の方丹や数人が手を挙げたり、ぺこ、と会釈したりしてくれたが、殆どは、おのれの仕事で手がいっぱいで様子で返事はない。

 ――あれ?

 父の、伊風がいない。

 ――どこに行ってしまったのだろう?

 辺りを見回してみたが、見当たらない。

 何となく悪さをしているような気分になりながら、こそこそと厨房を動き回ったが、やはり伊風の姿はどこにもない。

遂に肆は、意を決して方丹の裾を引っ張った。

「方丹さま、あの、父さまは」

「ああ、厨師さまなら宴に出ておられるぞ」

「えっ、も、もう?」

「今日は一番早くて一番長い宴だからな」

 大きな宴は、食時の正刻から始められるのだという。

「それでは、昨日の約束は?」

 完成した料理の味をみられるのだと、張り切って来たというのに。

 腰砕けになりそうな摯に、方丹は、来い来い、と手招きした。

「厨師さまから、ぬしが食いたい、と言うたら用意してやってくれと頼まれておってな」

 男が指した先には、宴に供される料理が用意されていた。

 最も、案は、かなり小さい。まるで子供の玩具である。

「何か、小さいような……」

「宴が始まる前に、宴の主人となる方が祖霊に祀るために取り分けたものだ」

 宴を開けるという事は、権力者としての証であるが、それも平和だからである。

 平和に土地を治めて居られるのは、今ここに生かしてくれた先祖のお陰である。

 感謝の意を示すのは後裔の務めであり、それが、この小さな案なのである。

 一つ一つの料理を食べる順に捧げ、酒を祀り、祈る。滞りなく務めてやっと、主人は賓客を持てなす事を許されるのだ。

 宴には、身分の上下により、さらに細やかな作法があるのだが、ともあれ、摯の目の前にある料理は宴に出された料理と全く同じ品である。

「下げられた料理は、祓いを行った後、わしらの口に入る。だが今日は、ぬしに全部食べさせてやってくれ、と厨師さまに頼まれておるのさ」

「全部!?」

 目を見開いて、摯は飛びあがった。

 小さな案を、まじまじと見つめる。

 ――なんて、美味しそうなのだろう。

 摯は感動していた。

 今朝、あれだけしっかり食べてきたというのに、腹の虫は食いたい食いたいと大合唱を始めた位だ。

 父と共に作り上げた鯉の膾の焼き物には、摯が初めて炒りつけた卵がまぶされており、同じ鯉の骨を焼いてからとった汁に浸して食べるようになっていた。

 隣には、味を変えつつ楽しむ為に炙った鱗がある。

 丸ごと蒸し上げられた鶏は丁寧に解されて、中に詰めた蔬菜が散りばめられており、皿の底に溜まった鶏の肉汁は粟の麺の漬け汁にされていた。

 麺の上には、擂り潰した松の実がとろりとかけてある。

 酒醸と黍との合わせ物からは、発酵臭が芳しく漂っている。上には摺り下ろした生姜が少々と、見た目にも味的にも、実に憎い演出である。

 潰して練り煮状の泥にした杏と茹でた赤小豆も、色の対比が美しい。

 蓮根の葉で包んで蒸した豚肉と蓮根は互いの旨みを吸っており、皿の上で、ほろほろと崩れんばかりである。恐らく口に入れた途端に、大蒜の風味が豚肉を力強く後押ししながら蕩けて消えてしまうに違いない。

 蕩けると言えば、豚の足からとった汁で仕上げられた粥は、豚の油から出た甘みととろ味とが、粥の表面で輝いているではないか。

 川の海老と蟹と葵との炒め合わせには、味に深みを加える為か松の実が散らされており、大豆の汁と酢と穀醤の元とを合わせた物には、胡麻の油が数滴、垂らされている。

 伊風があらん限りの力を出し尽くして作り上げたこれら全ての料理は、究極至高の美味と呼ぶに相応しい面構えであった。

 食べたくてたまらない。

「どうした? 食べないのか?」

 部下たちは、不思議そうだった。

 あんなに騒いでいたのだから一気に食らいつくものとばかり思っていたのだが、肆は匕を持ったまま固まってしまい、ぴくりとも動かない。

 長い沈黙が続き、方丹たちもいよいよどうか、と心配になりかけた頃、摯の手が動いた。

 先ず摯が選んだのは、父と共に調理した鯉料理である。

 あくまでも滋養の食材である卵を、堂々と饗応料理としている伊風の腕とは如何なるものなのか。

 ――どんな味なのだろう。

 鯉の実を崩して汁と混ぜながら、匕で口に運ぶ。

「あっ」

 口に入れた瞬間、摯は体の内側から、まろやかで温かな甘みが広がっていくのを感じた。

 ――これが父さまの味なのか。

 なんという滋味に溢れた優しさなのか。

 それでいて、生命力に満ちた味なのだ。

 この砂粒ほどの一つが、十年もすれば、あの巨大な鯉となる。それを思えば納得の味であり、伊風が出産で体力を消耗した夫人を気遣っての事だと理解できた。

 ――これは、君夫人さまに是非とも食べて頂かねばならぬ。きっと良い乳が出て、公女さま方もお健やかにお育ちになられる筈だ。

 次に摯が口にしたのは、鶏の丸ごと蒸しである。

 叉を指すと、肉は砕け崩れた。蔬菜と共に食べてみる。

「おっ」

 ――肉のえぐみと臭みを、全く感じさせない。

 茹でていないので、肉が縮んでおらず弾力がある。湯の中に味が逃げていないので、肉本来の持ち味が口中に優雅にたなびくのだ。

 箸に持ち替え、溢れた肉汁と擂り潰した松の実に粟の麺を浸し絡めて食べてみると、粟の甘みと松の実の濃厚さと豊かな肉汁とが重なり合って、啜る手が止まらない。

 一気に麺を啜ってしまった肆は、蓮根と豚肉に手をつけた。

「むっ」

 ――肉特有の獣臭さがない。

 豚肉臭さを、大蒜が打ち消していた。こんな作用があろうとは、と目を見張る。

 そのくせ、獣臭の元でもある猛々しい野性味が大蒜のこくと共に暴れまわり、咆哮を放っている。

 ――穀醤の搾り汁と大蒜が、豚肉の野性味を引き出しているんだ。

 穀醤の塩気と香ばしさと芳しさが、鼻孔をくすぐってくる。

 それらを、蓮根が慈愛のある穏やかさで包み、まとめてあげている。

 本当に、全てが一歩間違えば成り立たない、ぎりぎりの味の采配である。

 可能性を見いだす眼力と想像力、実際に活かそうとした決断力、それを生かせる技術に惚れ惚れとするばかりである。

「うわっ」

 川の海老と蟹と葵の炒め物は、各々、強引さのある味であるのに、更に香気の強い松の実を利用する事で逆にそれらを勝ち気さで一つにしていた。

 海老、蟹、葵を一度に口にしても、各々の味が分かる。なのに、一品の料理として全体の一部の味としても理解出来るのである。

「おおっ」

 ふわふわとした雲のような大豆汁の味はみているが、胡麻の油と穀醤の粒とを合わせるように混ぜながら食すると、濃密な大豆の味の中に錐を突き立てたように胡麻の油の風味が現れて、何とも愉快だ。

 それを穀醤が抱きこみ、大豆汁に艶やかさを醸し出させていた。

 穀醤の中に、大豆が加えられているからだろうが、完璧に下支えする、この力強さはどうだ。

 ――たった一つ、味が加えられるだけなのに。何という美味しさなのだろう。

 感動に目眩を覚えつつ、粥に手を伸ばした。

 米のみで出来た贅沢極まりない粥である。

 米の白さもさることながら、豚の足から取った汁の白さも加わっている。

 濃厚かつ芳醇な香りを放つ波が、食欲を際限なく刺激してくる。

 一匙口にした摯は、脳天を殴られたような衝撃を受けた。

 ――豚の足から、こんなにも上品な味わいの汁が出来上がるのか。

 あくまでも、米の味を楽しむ為の汁の味なのだが、だが決して、脇役の味などではない。

「……」

 とうとう、最後の一品となった。

 黍と酒醸を温めた品に手を伸ばす。

 煮詰めた杏の泥と生姜を崩しすぎないようにしながら混ぜ、赤小豆も共にを匕で掬う。

 発酵した酒、爽やか香りと酸味が際だつ杏、ほくほくとした赤小豆、それぞれ違いのある甘さを生姜の苦味と辛味が纏め、引きしめていた。

「ああ……」

 もっとゆっくり味わって食べるつもりであったのに、我を忘れて一気に食べ尽くしてしまった。

 ――こんな味の世界があるのか。

 感動に震えが止まらない。

 涙まで出てくる。

 動と静。

 熱さと涼やかさ。

 甘さと力強さ。

 ともすれば、主張が強すぎて混濁してしまうそれらを、一体とする。

 この世界の創世主は、他ならぬ伊風である。

 ――父さまに、もっともっと学びたい。

 学んで、そして、傍らに立ち、料理をしたい。

 言葉なく涙する摯を前に、厨房にいる者たちもまた、涙を流した。

 彼らもまた、遠い昔、伊風の下で働き始めた頃、今の摯のような感激に涙を流した者たちであったからだ。

「良かったな、明日からは、こんなことはしておられぬ。ぬしは運が良い」

「どうしてですか?」

 器を片づけながら、摯は聞いた。

「宴を始める直前にな、夏后の嗣子さまからの遣いがあってな。明日にも、こちらに祝いの品々を携えてお訪ねになられる、という話しでな」

「夏后氏の、嗣君さま、の、つかい」

「ここだけの話しだが、嗣子さまご本人がお訪ね下さるらしい。公におかれてはあまりの誉に心ここにあらずといった状態だそうだ」

 肆は、あの、この世のありとあらゆる事象に対して、恨みと嫉みと怒りを含んだ、淀んだ目を向ける夏后の桀王子の姿を思い浮かべた。

 涼やかさと爽やかさと穏やかさとを合わせ持つ、商の公子の姿も。

 ――お二人がおいでになる。

 桀王子には、もう二度と再び会いたくはない。

 有莘氏にやって来てくれるな、と切に願ってしまう。

 しかし、商の公子には少しでも早くお会いたい。

 今すぐに、明日になれば良いのにと心がはやる。

 怖気と浮かれ気分とが同時にたち、どちらの気持ちに従えば良いのか。

摯は戸惑った。

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