失踪者<4>

−−警視庁本部庁舎


弘也は呼び出した係長の伊吹の前に立ち、緊張した空気を感じ取っていた。伊吹は手元の書類を乱雑に扱いながら、重い口調で話を切り出した。


「お前、新都署の捜索届の件を勝手に進めているらしいな」


「はい。それが何か?」


伊吹は溜め息混じりに椅子に深く座り直し、弘也をじっと見据えた。


「上からのお達しだ。この件には関わるなってな」


「なんでですか?!」


弘也は驚きと怒りを隠せず、思わず声を上げた。


「理由は俺も知らん。別にお前のやり方が問題視されたわけじゃないが、この件に関わるなと言われた以上、従わざるを得ないだろ」


「親族から捜索届が出されてるんですよ!」


弘也は机に手をつき、強い口調で食い下がる。


「お前が何を知っていようが上がそう言ってるんだ。これ以上動けば面倒な事になる」


弘也は拳を固く握りしめ、言葉を飲み込んだ。心の中では怒りと困惑が渦巻いている。


「・・・分かりました。では係長。自分は本日から有給休暇をいただきます」


「有給休暇だと?」


見え透いた真似をする。伊吹は大きく息を吐きながらしばらく黙り込んでいたが、やがて渋々と口を開いた。


「三日だ。三日だけ許可する。それ以上はダメだ」


「十分です」


「いいか、春日」


伊吹は厳しい視線を弘也に向けた。


「その三日で何をしようと勝手だが、うちに影響を与える様な真似はするなよ」


「承知しております」


伊吹はイラ立たしげに机を指で叩き、肩をすくめた。


「全く、お前の頑固さには頭が痛い。とにかく三日経ったら戻って来い」


「ありがとうございます」


は廊下を歩きながら、心の奥底に渦巻く疑念を振り払えずにいた。


「・・・分からない」


失踪した人間一人を捜索しているだけだ。行方不明者の捜索は警察の通常業務の一環であり、これまで何度も扱ってきた案件に過ぎない。それなのに、今回に限ってなぜ上からわざわざストップがかかったのか。誰がストップをかけた?


「たかが一人の失踪に、こんなに神経質になる理由があるのか・・・?」


彼の心の中で、自問自答が繰り返される。


思い返せば、真帆との調査で浮かび上がった「スマートブレインシステムズ株式会社」という謎の企業。そして、行方不明者・佐藤美咲の口座に今も振り込まれ続ける定期的な給与。全てが通常の失踪事件の枠を超えていた。


「何かがある。いや、何かが隠されている・・・」


弘也は拳を握りしめた。


「これだけの事を隠蔽しようとしている時点でただの失踪じゃない」


上層部が動いた理由を考えるほど、背後にある物の大きさを感じざるを得なかった。それが何なのか、まだ確証はない。しかし、その理由を知る為にはこの三日間で突破口を見つけるしかない。


弘也は胸に広がる疑念を振り払えないまま重い足取りでエレベーターホールへと向かった。そこに真帆が腕を組んで彼を待っていた。その表情は冷静だが、どこか覚悟を決めた様な鋭い目つきだった。


「どうしてここに?」


弘也は歩みを止め、少し困惑したように尋ねる。


「私もこの件でストップがかかりました」


真帆は声を落としながらも、はっきりとした口調で続けた。


「でも、この状況で捜索を止めるなんておかしいです。何か隠されている・・・そう思いませんか?」


「俺も同じ事を考えてた。普通の失踪ならこのタイミングでストップがかかるはずがない」


「私も一緒に調べます。このまま引き下がるつもりはありません。私も有給を四日もらいましたから」


俺より有給が一日長いじゃないか。


「春日さん一人で背負わせるつもりはありません。ですが、これは明らかに異常な案件です。それに、私自身も真実を知りたい」


その声には迷いがなかった。弘也は一瞬黙り込んだが、やがて小さく笑みを浮かべた。


「頼もしいな。でも、無理はするなよ」


「当然です」


じゃあまずどこへ行くべきか。弘也の頭の中でワークフローが思い描かれる。


「あそこだな」




弘也はSSBC捜査支援分析センターの扉を押し開けた。中には無数のモニターが並び、その前に座る分析官達が忙しく手を動かしていた。その一角にいる村上 隆一を見つけると、弘也は迷わず声をかけた。


「村上、頼みがある」


隆一は一瞬だけ顔を上げたが、弘也を見ると軽く手を振った。


「春日さん、どうしたんです?珍しいですね、こっちに来るなんて」


弘也は無駄話をせずに本題を切り出した。


「新都区南桜町13番地にあるフォレストヒルズ新都周辺の防犯カメラ映像を見せてほしい。特に半年前の映像が見たい」


「半年前・・・結構前ですね。その期間の映像、保存されているか確認します。何か事件に関係しているんですか?」


「ああ、失踪者が絡んでいる」


隆一はマウスを動かしながら考え込む様に答えた。


「周辺のカメラは地域の監視ネットワークに繋がっていますが、半年前となると保存期間が過ぎている場合もあります。バックアップを探してみますね」


「頼む」


弘也は隆一の肩越しにモニターを見つめた。彼は数分間データベースを操作した後、画面にいくつかの映像ファイルを表示した。


「ありました。該当エリアのカメラ映像、一部だけですが残っています」


「出してくれ」


弘也の声にはあせりと期待が入り混じっていた。


隆一が再生ボタンを押すと、フォレストヒルズ新都周辺の街並みがモニターに映し出された。半年前の夜、通りを歩く人々や車の往来が映像の中で静かに流れていく。


「時間帯を絞りますか?」


隆一が尋ねると、弘也は記憶を掘り起こすように考えた。


「深夜帯を重点的に見せてくれ」


隆一は映像のタイムラインを調整し、指定された期間に映像を絞り込んだ。


「これがその時間帯です」


再生した防犯カメラ映像を凝視していた弘也は画面の隅に映り込んだ車両に目を留めた。


「エントランスに救急車が停車していますね」


「けど赤色灯が光っていない。普通、緊急搬送なら点滅してるはずだ。それがないという事は緊急性が低い状況か、あるいは意図的に静かにしているか・・・」


隆一が映像を一時停止し、車両のナンバーや動きを確認し始めた。


「そして・・・誰かを運び出している様です」


画面にはストレッチャーが救急車の後部から降ろされる様子がぼんやりと映し出されていた。だが、その動きはどこか不自然に見える。


「誰が運ばれているか、映像から分かるか?」


弘也が隆一に問いかけると村上は首を振った。


「カメラの角度が悪くて、人物ははっきり映っていません。ただ・・・この動きは確かに不自然です」


「救急車の動きを追えないか?」


弘也が指示を出すと隆一は別のカメラ映像を呼び出し、救急車の進路を辿り始めた。


「この救急車、フォレストヒルズ新都を出た後、南側に進んでいますね」


モニターには救急車が街の暗い通りをゆっくりと進んでいく様子が映し出されている。


「次のカメラに繋げられるか?」


「はい、切り替えます」


隆一はタイムラインを操作し、救急車が映り込む別のカメラ映像を表示した。救急車が進む先を追う様にカメラ映像へと切り替えていくと、救急車の進路がさらに明らかになった。


「ここです。救急車が入ったのは・・・国立新都メンタルケアセンターですね」


「国立新都メンタルケアセンター・・・?」


真帆は画面を凝視しながら、低い声で繰り返した。


「なぜそんな場所に?」


モニターには救急車が門を通り抜け、広い敷地内の建物へと向かう様子が映し出されている。建物は古めかしく、周囲に人気はほとんどない。


「ただこの病院、変な話があるんですよ」


「どんな話だよ?」


「なんでも42号線の炎上事故やレインボーラインの脱線事故での重症患者も一部受け入れてるんです」


「重症患者って、普通は救命センターや総合病院に運ばれるんじゃないのか?」


「その通りなんですが、どうもこの病院が例外的に受け入れているという話があるんです」


「他の病院が満床だからじゃないんですか?」


「それも可能性としてはあります。ただ、入院設備があるとはいえ、精神病院がそういう患者を受け入れるのはあまり例がないと思います」


「つまり・・・その患者達は何か特別な理由でここに運ばれた可能性があるという事ですか」


「42号線の炎上事故も、レインボーラインの脱線事故も、単独の事故とは思えなくなってきた。直接行って確かめるぞ」


「場所が分かりました。新都区緑ケ丘3丁目17番地です」


弘也と真帆はすぐに準備を整え、病院に向かう為に駐車場へと向かった。冷たい風が駐車場を吹き荒れていたが、二人の決意を押し流す事はなかった。その眼差しには真実を暴く覚悟が宿っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る