崩壊する関係<3>
−−夜
正樹はキッチンに立ち、テーブルに山積みになったバナナを見つめた。毎日の様に届く大量のバナナをさすがに無視し続けるわけにはいかない。誰が送ってきているのか、という疑問も頭をよぎるが、ひとまず目の前の現実的な問題、このバナナをどう消費するか、に集中する事にした。そこで作戦の一つとして、以前SNSで見かけたバナナのレシピを参考に料理を始めた。半年前の投稿だが、その発想に驚かされて思わずブックマークしていたのだ。そのSNSは今では炎上動画ばかり投稿されているが、当時はフォロワーが数万人にも上るくらい面白い投稿が多かった。
「ペースト状にしたバナナ、クリームチーズ、ココナッツミルクを合わせて鍋で煮る・・・っと」
投稿者の写真には上にミックスベリーとミントの葉が乗せられているが、見た目の為だけにわざわざ用意するわけにもいかない。そこはカットだ。
鍋が煮立ち、全体がとろりとしたクリーム状になったところで火を止める。正樹はスプーンを突っ込み、少しすくって味見をしてみた。
「・・・いけるな」
クリームチーズのコクがバナナの甘さを引き立てている。その上、ココナッツミルクが全体に爽やかな風味を加えていて、甘いのにしつこくない。口の中に広がるまろやかな甘さに思わず顔がほころんだ。
「冷やして食った方が美味いか?」
正樹がタッパーに鍋の中身を移し、冷蔵庫にしまい終えたところでスマホが小さな振動音を立てた。何やら新しい通知が届いた様だ。特に警戒する理由もなく画面をスワイプしてメッセージを確認した瞬間、正樹の手が止まった。
【おいしい?】
その短い文が目に飛び込んできた瞬間、全身がぞわりとする感覚を覚えた。まるで自分の行動を見ているかの様なその一文。スマホの画面に映る文字を正樹はしばらく凝視していた。
「・・・誰だ?」
自分が誰かに料理を作っている事を話した覚えはない。ましてや、バナナをどう処理しているかなんて誰も知るはずがない。それなのにこのタイミングで届いたこのメッセージ・・・。偶然だとは到底思えなかった。
正樹は指先に汗がにじむのを感じながら返信するか迷った。だが、何かを確認したくなる衝動に駆られ、慎重に画面に指を走らせた。
【お前は誰だ?】
数秒間の沈黙がスマホ越しに続く。返事はすぐには来なかった。その間、正樹の心臓の鼓動がやけに大きく感じられる。部屋の中は静まり返っており、冷蔵庫の稼働音だけが耳に響く。
【私だよ】
その一文に正樹は冷たい何かが背筋を這い上がるのを感じた。
まるで自分が知っている存在が確実に近くにいると訴えかけてくるかの様な言葉だった。
−−翌朝
正樹は目覚ましの音で起き、いつものように仕事部屋へ向かった。パソコンの電源を入れ、今日のスケジュールを確認する。9時からはプロジェクト進捗を共有する為のオンラインミーティングが予定されていた。
「さて、気合を入れないとな」
正樹は顔を洗い、コーヒーを用意して椅子に座るとヘッドセットを装着した。数分後、ミーティングツールが起動し、画面にはプロジェクトメンバー達の顔が表示された。
「おはようございます。今日は進捗報告と今週の課題整理を進めていきます。まず、宮中さんからお願いします」
正樹は画面越しに軽く頭を下げ、話し始めた。
「おはようございます。現在の進捗ですが、APIの統合テストを昨日終えました。一部のエンドポイントで想定外のレスポンスが発生していたので、修正対応を進めています。全体としては予定通り進行しています」
「了解しました。レスポンスの件、詳しく教えていただけますか?何かシステム全体に影響を与えそうな部分はありますか?」
正樹はタブを切り替え、デバッグ時のログを画面共有しながら説明を続けた。
「このエンドポイントですが、特定の条件下で意図しないエラーコードを返していました。原因はデータ型の不一致による物だったので型変換処理を追加して解決済みです。これが修正後のログです」
画面には修正後のスムーズな動作結果が映し出された。リーダーが満足そうにうなづく。
「引き続き、全体の安定性を重視しながら進めてください。他のメンバーで何か質問はありますか?」
画面に沈黙が広がる中、ふと正樹のディスプレイが一瞬ちらついた。彼は気に留めずにミーティングを続けようとしたが、画面のチャットに見慣れないメッセージが表示されているのに気付いた。
Don't leave me
正樹の呼吸が一瞬止まる。画面に表示されたその言葉は昨日の奇妙なメッセージと酷似していた。どうしてミーティングルームのチャットにこれが表示されたんだ。正樹はミーティングの進行に集中しようと努力していたが、画面越しに現れた【Don't leave me】という文字列が頭から離れなかった。心臓がざわつくような感覚の中、チームメンバーが次々と話を続けていく。
その時突然、ミーティングルームの参加者リストに新たな名前が表示された。
<unknown user>
正樹は眉をひそめ、視線をその名前に固定する。リーダーや他のメンバーは全くその存在に触れずに話を進めている。新しく追加されたビデオフィードには黒い影の様な姿が映し出されているが、顔や姿ははっきりしない。
「あの・・・リーダー、新しい参加者がいるんですが、誰か招待しました?」
リーダーは一瞬眉をひそめ、参加者リストを確認する様に視線を動かした。
「新しい参加者?誰の事ですか?リストにはいつものメンバーしかいませんよ」
正樹は慌てて画面をもう一度確認したが、確かにunknown userはリストに存在している。そしてそのビデオフィードの影がわずかに揺れていた。
【聞こえてる?】
突然、正樹のヘッドセットから低く歪んだ声が響いた。それはミーティングアプリからではなく、直接彼の耳元で囁かれているような感覚だった。
「・・・誰だ?」
声を出してしまった瞬間、周囲のメンバーが彼に視線を向ける。
「宮中さん?何か問題でも?」
正樹は動揺を隠そうと必死に笑顔を作り、首を振った。
「あ、いえ、すみません。ただ、少しノイズが入ったみたいで・・・。続けてください」
しかしその間にもビデオフィードに映っているunknown userの影はじわじわと迫ってくる。誰もその存在に気付いていない?いや、もしかすると自分のモニターにしか映ってないのかもしれない。
【どうして無視するの?】
再び耳元で囁かれる声。正樹は冷や汗をかきながらこれが現実なのか、それとも何かの幻覚なのかを判断する余裕すら失っていた。
そして次の瞬間、unknown userの画面が拡大され、そこに映されている影がじっと正樹を見つめている様に感じられた。その「何か」が、まるで自分の心の奥底を覗き込む様に問いかけてくる。
「宮中さん、大丈夫ですか?」
「すみません、PCが固まったみたいです。再起動するので一旦抜けます」
正樹は慌ててミーティングルームから退出してPCを再起動すると椅子にもたれかかり、大きく息を吐いた。静寂に包まれた部屋で彼はもう一度画面を見つめるが、そこにはいつものログイン画面が映っているだけだった。
「unknown userって一体誰だったんだ・・・」
正樹の耳にはまだあの低い声が残響の様に響いている気がしてならなかった。
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