むしゃくしゃ

夏原 秋

第1話 地図の思い出

「地図が追いかけてくる」

 供述調書を読んでいると、そう解釈できる発言が散見された。複数の人間が地図の怪物を目撃したということを意味している。真っ向から否定するつもりはないが、本当だろうかと疑う気持ちも確かにある。地図が追いかけてくる、とは? 単純な疑問だ。数週間前に起きた事件のあまりの異様さに、集中力を削がれていた。


 メモ紙を掴んだ拍子に縁で指先を切った。皺に紛れた傷口は、あるかどうかすら怪しいが、眺めていればごく細く朱色が滲んでくる。紙の地図を愛用していた頃を思い出させる痛みだった。紙という素材の煩わしささえも、俺の脳内では「懐かしいもの」として美化されている。路肩に車を停め、狭い運転席で、がさがさと地図を広げたものだ。握った手の甲で押し鳴らしてしまったクラクションに驚き慌て、地図の端で指を切る――。


 カーナビや地図アプリの性能が進化するにつれ、使用する機会もなくなってしまったあの地図は、確か、車のドアポケットに入れたままだ。妻と離婚してその車は譲ったから、回収するのを忘れてしまいそれきりだった。そして別れた妻と娘が車ごと海に落ちたのも十年ほど前の話になる。

 遺体が一部しか見つからなかったことから事件性が疑われた。スリップ痕からはブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故であるとも推察された。ブレーキを踏むという判断すら忘れさせるような、突飛な出来事があったはずだが、証拠は一切見つからないし、真相は未だにわからない。未解決事件の扱いで進展が無く、時間だけが過ぎ去り今に至る。

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