第15話 スベスベもちもちの私と手を繋ぐ権利を上げましょう。

◆◆◆◆


 温泉から上がり浴衣に袖を通した。浴衣の肌触りが心地よく、これだけで旅行に来たという感覚が一層強まる。

 

 俺はお爺さんの話していたことが気になり、脱衣所の前で灯里さんを待っている間スマホでここの温泉の効能について調べた。


 「精力促進」「疲労回復」「冷え性」「美肌効果」……など、どうやら、ここの温泉は血流を促進する効果が他の温泉に比べて高いらしく、それによって精力が増強し、子宝の湯として重宝されることとなったようだ。


 疲労回復で検索し、リーズナブルな温泉を選んだ結果ここの温泉にたどり着いたのだが……灯里さんに対して間違いだけは起こしてはいけない……。


 灯里さんは俺の恩人だ。幼い俺のことを救い、ここまで育ててくれた。この先、灯里さんの幸せのためなら俺はどうなっても構わないと思っているし、灯里さんが今以上に幸せになる方法があるのなら、どんな事でも行う覚悟がある。


 そんな事を考えていると、「やっほー」という呑気な声と共に肩を叩かれた。浴衣姿の灯里さんが俺の前に回り顔を覗き込む。


「どうしたの? 考え事?」

「いや別に……。そういう灯里さんはご機嫌だね。」

「うん。さっき、大浴場で一緒になったご年配の方に『肌がとっても綺麗、とても30代には見えないわ』って褒められちゃった。」


 灯里さんは両手を頬に当てながらくるくると回る。流石元アイドル、切れのある良い動きだ。


 そして、ピタッと止まったかと思うと腕まくりをして、もう一方の手で俺の手首を掴み自らの腕を触らせる。


「どう? 私の肌、まだまだピチピチでしょ?」


 ピチピチという表現はどうかと思うが、確かに彼女の肌はスベスベにも関わらずモッチリとしていて肌に吸い付いてくる。シミやシワも一切なく、まるでシルクのようだ。


「温泉の効果かな? インターネットに『美肌効果』って書いていたし……。」


 と少し意地悪を言うと灯里さんは頬を膨らませる。

 

「……他に言うことは?」

「ごめんなさい。灯里さんの肌はスベスベもちもちで最高でした。」


 灯里さんはいつもと変わらない笑顔に戻る。


「よろしい。じゃあ手をパーにして前に出して。」


 言われた通り右手を開き前に出すと、灯里さんも手を開いて俺の手のひらと合わせた。そしてゆっくりと、人差し指から中指、薬指と順番に指と指を絡める。


「素直に褒めることが出来た大地くんに、スベスベもちもちの私と手を繋ぐ権利を上げましょう。」


 そう言うと、灯里さんは俺と恋人繋ぎのまま歩き始める。俺はまるでリードを付けられた犬のように灯里さんに引っ張られながら、灯里さんの後ろをついて行った。


◆◆◆◆


「ずっと、ここに来たかったの。」


 灯里さんはそう言うと、独創的な八角形屋根を黒い円柱形の柱で支えた建物へと、俺の手を引きながら走り出した。これは国内で随一の大きさを誇る美術館の入口。灯里さんは以前から、ここの美術館へと行ってみたいと話していたのだ。


 今日の予定は、この美術館の中にあるレストランで昼食を済ませてから一日かけて芸術作品を満喫する事となっている。美術館を巡るのに一日もかかるのか疑問だったが、灯里さんの話によると一日かけても全ての展示物を堪能するのは難しいくらい広いらしい。


 灯里さんは美術館が好きで、時々、休みの日に美術館へと行くことがある。俺も何度か灯里さんと一緒に美術館へと行ったことがあるが、俺には芸術を見る目や感性が無いようで、芸術作品の良さはイマイチ良くわからない。ただ、美術館から出た後、楽しそうに語る灯里さんの姿が好きなので、結果的に俺も美術館が好き……ということになるのだろうか?


 俺は灯里さんに手を引かれるまま、吸い込まれるように美術館の中へと足を踏み入れた。


◆◆◆◆


 以前、俺は灯里さんが美術館を好きになったきっかけを聞いたことがある。その際、灯里さんは困ったような表情を浮かべながら「面白い話じゃないわよ。」と前置きをしてバツが悪そうに話してくれた。


「私って昔アイドルをやっていたでしょ。その時はね、私にもファンの人達が沢山いたの。でも、私のアンチもいて……アンチの人達はファンに比べれば少数であることは理解していたんだけれど、声の大きなアンチの人達がSNSで私の悪口を書きまくっていたの。正直、あの頃の私はアンチのことしか見えていなくて、世の中が憎くて仕方なくて……そんな時に戦争画や貧困を題材にした作品を見て『いつの時代も人間は愚かだなぁ……』って思ったのがきっかけ。」


 その後、目を丸くして、顔の前で両手を振りながら付け加えた。


「あ、でも、大地と出会って、一緒に暮らすようになってからはルノワールの作品みたいな幸福な瞬間を描く作品が好きになったわ。人間って不思議よね、見るときの心境によって好きな作品が変わってくるなんて。」

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