第三章 祭りの中、運命の外 Across Fates 4

 少女は身を固くする。以前街を歩いていて突然髪の毛を引きちぎられた体験がフラッシュバックし、少女の白い肌は血の気を失い血管が透けて見えるかと思えるほど青ざめた。

 だがその誰かさんは動かない。少女も動けない。通行人たちは露骨に舌打ちして二人を避けて通っていく。

 一分ほど、まるでだるまさんがころんだで遊んでいる時のようにそうやって固まっていた。

 どっと歓声が上がり少女は思わずそちらを見やる。筋肉ダルマの男の人がお化けみたいな女の人に右ストレートを顎に叩き込まれて倒れこむところだった。

「立てるか」

 嗄れた声が振ってきて、少女はそちらを見上げる。誰かさんは、少年だった。年は少女より多分4つか5つ上。声からすると、ひょっとしたらもっと年上かも知れない。晴空を写したかのような灰色の髪の毛。少女より薄いけれどやっぱり他人とは違う、血の色の眼。祭りの浮かれた空気とは不釣り合いな、黒くてタイトなまるで軍人さんが着るような服。

 不釣合いなのは服だけでなく雰囲気もだった。なんだか怒っているような――もしくは今にも泣き出しそうな。

「立てるかと訊いているんだ」

 物凄くぶっきらぼうに、少年――護留は再度尋ねた。


      †


 ――なぜ僕はこの少女を、放っておかなかったのだろう。

 後悔にも似た思考が護留の頭の中を早くも過ぎっていた。

 悠理の行幸を見ようと集まっていた人々を掻き分けながら歩く。この街の人間全員がここに集まっているのではないかと思うくらいの黒山の人集り。新しい天宮の主は即位時の公約として再整備区域の開発再会を掲げていたため、低級市民ロウアーを中心とした住人の支持はかなり篤いようだった。

 手を離したらすぐ離ればなれになる。しっかりついてきているか呼びかけようとし、その時になって護留は己の間抜けっぷりに気付いた。

「――そういえば君、名前はなんていうんだ」

「おなまえ?」

 今更? というような顔をする少女に、渋い顔で頷く。涙の痕はもう乾き、口の周りは屋台の食品の滓がついている。更に少女の手にはりんご飴。それも二本も。

 護留に助け起こされた少女は気が緩み、同時に一気に悲しみが押し寄せて泣きに泣いた。まさか声をかけただけで泣かれるとは思っていなかった護留は慌てに慌てた。これから要人を誘拐しようという人間がこんな場所で目立つのはまずすぎる。

「あー……泣きやまないか、いや、泣きやみなさい? ……泣くな。泣くなって。……泣くのをやめたらそこの焼きそばを買ってやる」

 ピタッと泣き声が止まった。

「本当? 二つたのんでもいい?」

 ――こいつ……。

 いきなり屋台に走り出す少女を見て、護留は自分から声をかけたにも関わらず釈然としないまま後を追った。

 その小さく細い身体のどこに入るのか、その後も少女は大いに飲み食いした。

「お! 嬢ちゃん、兄ちゃんと一緒にご行幸を見にきたのかい? 優しい兄ちゃんで良かったねえ! これはオマケだよ」

 自分はこの子の兄ではないとよほど口を挟もうかと思ったが、満面の笑みで屋台の売人から二本のりんご飴を受け取る少女を見ると溜息を吐いて肩を落とした。先程から少女はどの屋台でも二人前を頼むが、護留には渡そうとしない。支払いはもちろん護留である。

「あたし、お姫さまを見にきたんだあ。お兄ちゃんもそうでしょ? その眼と髪どうしたの? あたしはお母さんのお腹の中にいる時の病気でこうなったんだけど。あ、あっちでおもちゃ配ってるよ行かないの?」

 少女は、よく喋った。話題はころころ変わり、ただでさえ自分より年下の人間との会話に不慣れな護留を辟易とさせた。

「そうか。違う。どうもしてない、勝手にこうなった。行かない」

 おざなりな返事を返しても少女はあまり気にせずに屋台を見つけては護留を伴い駆けていく。

 時間と共に周りの人混みは更に増えていっているが、護留に手を引かれて安心しきっているのか、風船を配るピエロによそ見をしながら少女は歩いていた。

 少女は護留に名前を訊ねられると、ちょっと考えこみ、そしてにこっと笑うとこう言った。

「知らない人に名前を教えたらだめですよって、お母さんが言ってた」

 ――……こいつ。

 もう本当に置いていこうか。

 というか、自分は何をしているのだろうか。これから間違いなく警備兵たちと血生臭いやり取りをすることになるというのに。作戦決行まで時間があるとはいえ、さっさと別れたほうがいいのは間違いない。

「知らない人に着いていって、奢ってもらってもいいとは言っていたのか、君の母親は……」

 護留の渋面を見て少女はぷっと吹き出す。

「そんなわけないよー。ただ、こういうときは男の子が先におしえるんだよとは言ってたかな」

「いや、あのな……まあいいや」

「よくないよう。あーなたのおーなまーえなんでーすかー?」

 歌うような妙な抑揚をつけて、無邪気に訊ね返してきた。護留は一瞬迷った。もし、彼女が〝負死者〟を知っていたら?

「ふふっ」

 だが結局じっと返事を期待する少女に負けて答える。

「……護留。引瀬護留だ」

「へえ、まもるくん、かあ。なんだか、ぴったりな名前だね!」

 幸い少女は護留の通称は知らなかったようだ。だが、

「――ぴったりって、どういう意味だ?」

 そんなことを言われたのは初めてだった。ぴったりどころか、未だにこの名は自分の物ではないという違和感が離れないのに。

「だって、あたしのことをまもって、助けてくれたから」

 虚を突かれ、つんのめりそうになった。少女もそれに引っ張られて傾き、楽しそうにきゃははと笑う。

 ――護る。

 護り、留める。

 この名の由来。そんなもの、考えたこともなかった。なんの意味もない、ただの仮符号のようなものだと思っていた。

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