第三章 祭りの中、運命の外 Across Fates 2

 西暦2199年7月1日午前10時00分

 澄崎市極南ブロック第2都市再開発区域、19番街D3號通り


 街が、祭りの空気に浮ついていた。

 明るい表情でそぞろ歩く家族。朝から既に酒精アルコールが入っているのか、赤い顔をして公道で殴り合う男達。それを囃す連中。何を食わせるのかすら定かでない怪しげな屋台が並び、その隙間を縫って子供達が嬌声を上げながら走り抜ける。全ての屋台には天宮家の家紋が印刷されたタペストリーが誇らしげにかけられていた。

 イルミネーションのために電送用のマイクロ波を違法に受信している奴もいれば、巨大な青黒い胃袋様の大型有機発電機に燃料ペレットを給餌している者もいる。

 サイレンの音。車のブレーキ。犬の吼え声。人の悲鳴。

 護留は足早にその熱気の中を通り抜ける。生々しい。全てが確かな実在としていることに喜びを見出している。

 共感など、毛ほどにもできなかった。

 自分は、彼らにはどう見えているのだろか――いや、『見えて』いるのだろうか?

 計画当日だというのに、護留は苛立っていた。3日前、己條への依頼の品を指定の場所に取りに行った時に起こった出来事が理由だ。


 鍵を開け、ビルの屋上に足を踏み入れた護留を待っていたのは、武器道具一式ではなく、暗灰色のスーツの男だった。

「おや、奇遇ですね。引瀬さん」

 思わず、固まった。ドアを開けるまで気配を察知出来なかった。

 一箇所しかない廃ビルの入り口に仕掛けたトラップやセンサー類は、ここ一週間でこのビルに出入りしたのは己條だけであると主張している。壁を登ってきたか空から飛んできたか――いやそれ以前にどうやってここを嗅ぎつけたのか。己條が漏らしたとは思えないが、その協力者たちから辿られた可能性はあり得る。

「屑代――だったか。依頼を達成するまで姿を見せるなと言ったはずだ」

 疑問を押し殺し、まずは探りを入れる。

「もちろん覚えております。これにも私は一応反対したのですよ。ですが助力は惜しまないと申し上げた手前、誠意をお見せしろと〝上〟からの通告がありまして。後ろを御覧ください」

 注意は屑代に向けたまま、半身になり視線を背後にやる。今しがた開けたドアに、鍵がぶら下がっていた。

「あれほどまでに大量の武器、さすがの己條さんの手にも余るようでしたのでね。微力ながらお手伝いをさせていただきました」

 鍵には、血がべったりと付着していた。

「貴様……何をした」

 一番高いビルを選んだのはこうなる事態も想定してのことだ。依頼を受けた時のような狙撃の恐れはない。護留の掌から白銀の流体が滴り、ナイフを形成する。距離を目測。凡そ5メートル。1秒もかからずに詰められる。

 屑代は意に介さず喋り続ける。

「私はなにも。別の部署がやったことですので詳しくは存じ上げません。ただその鍵は己條さんの事務所の物、とだけ申し上げておきます」

「……殺したのか」

 ナイフを構える。前に刺した時の手応えから身体構造は大体把握出来ている。今度はしくじらずにやれるだろう。

 屑代は少し眉根を寄せた。

「荒っぽい人たちですので、その蓋然性は低くはないでしょうね。とにかくここには己條さんが用意した武器はありませんので事務所の方に行ってもらえるでしょうか? 手間を取らせてすみま――」

 狙ったのは上腕。前も避けなかった相手だ。案の定屑代は動かない。身体改造者なら腕を切り落とされても平気だろうから、高を括っているのか。

 否、一拍遅れて反応する。護留の踏み込みに対応できていないのだ。以前は一度死んで、〝声〟が身体を動かした直後だったので、速度だけは人間の限界を越えていたが、機械的で直線的な体捌きしかできていなかった。今回の動きが護留本来の物。五年間、路地裏で何度も惨めに殺され復活し、肉体と精神にヤスリがけをして無理やり形作られた、生を捨てた者だけが出来る、死を従えた運足。相手の攻撃を躱すだとか、急所を守るなど、ただ攻めるためには〝無駄〟となる要素を削ぎ落とした死者のみが刻むステップ。

 緩急をつけ、左側の死角に周りこむように移動する。一足ごとに加速、水溜りが爆発したように飛沫を跳ね上げ、0.5秒で相手の横に。同時にナイフを無呼吸で振り抜く。

 キィィン!

 ナイフが屑代の上腕の肉を裂くというよりは刳り飛ばし、強化骨格に衝突し激しい音を立てる。E2M3混合溶液はその分子配列上、硬い物を斬り裂くのには向いていない。よって、腕を落とせるなどとはもちろん考えていなかった。上半身で攻撃の当てやすい場所を狙っただけのこと。護留の全体重と速度を乗せた斬撃は屑代の体勢を崩すどころか、140Kgは優に越す重度改造された身体を半ば浮かしていた。

 そのまま体位を入れ替え、背後を取った。急停止。過大な負荷に足の腱や筋肉が断裂する音を聞きながら、屑代の膝裏を思い切り蹴りつける。

 だが屑代のふくらはぎから返しのついたブレードが唐突に飛び出し、安全靴の底をも貫いて護留の足裏を縫い止めた。

「ちっ!」

 とっさに引き抜けない。再生能力が仇となって、肉とブレードが癒着してしまっている。前のめりに倒れる屑代に引き込まれ護留もバランスを崩す。

 どうっ、と鈍い振動。転ける前に護留が左腕を極めたため、屑代は受け身を取れず顔面からコンクリート打ち放しの床に衝突した。常人なら脳震盪でしばらく行動不能だ。だがもちろん屑代は常人ではなかった。

「なっ、くそっ」

 背中に馬乗りになって掴んだ腕の部分から激しい電撃が放たれた。あまりの熱量により、空気が瞬間的にプラズマ化して膨張し、まるで落雷のごとき破裂音を響かせる。いや――それは実際に霹靂へきれきだ。空中に浮遊する数も知れぬナノマシン。それらは電気的に中性を保っているが、どうしても摩擦などの要因で帯電してしまい、〝ダマ〟になって落下する。それを防ぐためにALICEネットのエネルギー送信回線を用いて電気を除去するのだが――屑代の腕から放たれるのは送信先を変更されたその雷霆そのものだった。

 掌が炭化し、煙が立ち上る。二回、三回、四回。視界に極彩色の光が飛び散り、脳が灼け、体液は沸き立ち、筋肉はでたらめな収縮を繰り返す。激痛、目眩、吐き気。

 ――こんなもので『負死者ふししゃ』が死ぬかよ。

 即座に治癒した護留は、放電を続ける腕を離さずナイフを何度も延髄に突き立てた。激しい火花が散る。さすがに急所は守りが硬い。だが再生力に任せた、自らの身体すら壊す護留の異常な膂力と、E2M3混合溶液製のナイフは確実に穴を穿ちつつあった。

 護留の顔の穴という穴から、沸騰し黒色になった血液がどろりと溢れてくるが、それらはすぐに意志持つように鮮やかさを取り戻しざわめきながら体内に格納されていく。

 ナイフの柄が護留の握力で砕ける。渾身の一撃を振り下ろす直前、屑代は骨が剥き出しになっている腕を人間の関節の可動範囲を越えた動きで背後に閃かせ、ナイフの刃を正確に掴んで止めた。

「――釈明させていただけませんかね?」

「黙れ」

 護留は掴まれたナイフをE2M3混合溶液に戻し体内に吸収、循環させ右手に集め、そこに刃を改めて形成する。そしてそのまま屑代の喉笛を掻き切った。ビクンと大きな痙攣を最期に、屑代は動かなくなった。エネルギー供給ラインの中で一番太い物を切ったのだ。予備に切り替わるまでタイムラグが生じる。護留は今度こそ延髄にナイフを突き立てる。

 ほとんどの身体改造者の延髄には、副脳が収まっている。副脳とは複雑で精妙な機構を持つIGキネティック義肢を統合制御するための認知強化や、ALICEネットとの通信を〝翻訳〟して論理網膜に表示するための器官だ。脳と呼ばれているがサイズはおよそ四センチ四方の膨大な擬似神経の凝集体であり、延髄と脊髄に絡みつく蔦のようにも見える。これを壊せば、どれだけ頑丈な重度身体改造者でも体中の各デバイスから送られてくる信号を統合処理することが不可能になるため、身動きが全くできなくなるのだ。

 護留は屑代を蹴飛ばし、仰向けにさせると、胸が上下しているのを確認した。ここに転がしておけばそのうち回収されるだろう。

 どうせ護留には人は殺せない。故に最初から行動不能を狙って襲いかかった。戦闘能力なら恐らく屑代の方が上だったが、護留の殺意の薄さに対応が僅かに遅れたのが明暗を分けた格好だ。

「己條……クソっ」

 扉に挿さっていた鍵を手に取る。血はまだ新しく、生乾きだった。

 計画の決行日までは天宮には従う素振りを見せるつもりでいたが、向こうからこうも大胆な介入をされるとは想定外だった。

 護留が暗殺をする意志がないことを悟っているのだろうか。だがこちらを調べあげた上での依頼だったことを考えると、その可能性も低いように思える。

 とにかく己條の事務所に行く必要がある。掌の上で転がされているようで不快極まりないが、実際に武器の類が必要なのだ。澄崎市において火器類は全て使用者がALICEネットで認証をしないと作動しないように作られている。その制限を外した物でないと当然護留には扱えないからだ。

 血塗れの鍵を使って入った事務所にはもちろん己條は居らず、代わりに発注した品物一式が整然と積み上げられていた。悪趣味なことにコンテナの側面には血文字で調達にかかったであろう金額が添えられてある。鍵についていた血といい、あからさまなこちらに対する挑発、ないしは警告だった。

 己條は市警軍へのコネクションを通じて天宮からも仕事が持ち込まれていた。だからもし事が露見しても見逃される、等と甘い考えを抱いていたわけではないが情勢と情報に敏い己條ならば、不穏を察した時点で即手を引くだろうと思ってはいた。その間もなくやられたということか。

 天宮としては計画を知る人間はただの不確定要素としか映らないのだろう。それを良しとせず便利なコマの一つや二つ即使い潰す程度には、奴らも本気ということだ。

 次期当主の暗殺計画。大逆だ。天宮も流石に表立って動かないだろうと思っていたが、どうやら多少の露出は厭わないようだった。今回の件では反天宮勢力の消極的協力が見込めると護留は考えていたが――浅慮だったと言わざるをえない。この五年間、反天宮活動を行ってきたが向こうからのリアクションは皆無だった。それがここに来てこれだ。この依頼のために今まで泳がされていたのか。

 結局、天宮が用意した武器類は使う気になれず、再整備区域にある個人経営の違法銃火器店から購入した。質も量も予定より大幅に下がるがやむを得ない。当てにしていた情報も手に入らなかったが、もう計画を変更する時間もない。屑代から渡されたディスクを信用するしかないだろう。

 手詰まりだ。だが、やるしかない。

 このチャンスを逃せば次はいつ表舞台に悠理が出てくるか分からない。いや、ここで見逃せば悠理は天宮の中で消されるだろう。そして、もちろん護留も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る