第二章 天の御使いの住まう宮 Angel's Cage 4
まず迎えたのは一面の夜景。悠理の部屋のリアルタイム映像とは違い合成されたものだが――本物の景色にはこれほどきらびやかな色彩は存在しない――思わず息を呑むほどの見事さだ。
そして食卓。クリスタルグラスに銀食器、金の燭台や澄崎市では貴重な生花など、清々しいほど贅を尽くした調度品やカトラリーが、その豪奢さを全く下品に見せない配置で並んでいる。
そこには既に着席者がいた。悠理は気付かれないように息を呑む。心拍数は安定している。大丈夫。
無表情。無感情。人型の空白がそこに座っているのかと錯覚するほど――いや、表情も感情も確かに存在しはする。ただ悠理にはその感情の種類が推し測れないだけだ。五年前から全く皺も白髪も増えないその顔立ちは高度な抗老化措置と遺伝子医療の賜物だが、彼の非人間性に拍車をかけている。
当主、父親、敵、世界の主――天宮理生。
部屋の隅に控える給仕をちらりと見てから、悠理は挨拶をする。
「お久しぶりです、お父様。今宵はお招きに預かり光栄です」
声は上擦らなかったと思う。悠理は家の作法に則り礼を三度する。理生は会釈で応えると、手振りで対面に座るように促した。そして悠理が座ったのを確認すると、ようやく口を開く。
「急に呼び立ててすみませんね、ユウリさん。仕事で疲れているのでしょう?」
仕事、の部分で微かに笑いのような表情を閃かせる――先の会議の議事録を見たか、或いはわざわざ直接ご叡覧あそばしていらっしゃったのか。
「いえ――私の仕事など、所詮ままごとみたいなものですので」
悠理の言葉に、理生は今度こそはっきりと苦笑した。会議上での悠理の『ままごとの相手』の様子を思い返したのだろう。
「謙遜する必要は全くないのですよ、悠理さん。市議会からの受勲者が公社から出るのは15年来の出来事なのですから。私も現職に就く前は公社の一研究者でしたからその凄さは分かるつもりです」
「それは――ありが、とうございます」
言葉が詰まる。
違和感。忌避感。齟齬感。
父が。天宮理生が。私を褒めて。笑って――笑って。その笑顔は違うその笑顔は違うその笑顔は違う、
視界隅でバイタルアラートが明滅する。空っぽの胃が収縮し胃酸がせり上がってくる。注入したナノマシンに補助された副脳が心拍数や血圧を自動制御。悠理は、少なくとも肉体的には即座に落ち着きを取り戻す。
――そうだ。私は五年前の無力な子供ではない。父に対抗できるだけの力と知識を、身につけたのだ。
折よく食前酒のキールが運ばれて来たので悠理はグラスを手に取り掲げる。
「公社と澄崎の発展と、親子の夕餉に」
震えもなく、完璧な微笑を浮かべる悠理に、理生も鷹揚に頷く。
「乾杯」
オードブルが運ばれて、その食器が下げられるまでの間の会話は、表面上は極めて穏やかに進んだ。この五年間の無関心は何だったのか問いただしたくなるほど、理生は良く喋った。
「再開発事業に対する投資は運営部の強固な反対にあって今回も前年比でマイナスです。これ以上廃棄区画の数を増やすのは自分たちの首をも絞めることになると理解出来ていないようですね。当主権限などこんなものなのですよ」
やれやれと首を振る。理生の身振りはまるで人間というものを全く知らない知性体が、データから推測して模倣しているかのように、悠理の目には映る。正確無比な動きのくせに、ぎこちない。
「恐らくただの古いビルすらも『文化遺産』として保存せよという空宮の圧力があったのでしょう。昨今の社内における空宮派の台頭は頭痛の種ですね」
「再開発地区の放置は治安の悪化に繋がります。お父様が市議会に掛けあってみては?」
「ええ、既にやっていますよ。けれど市議会も今では空宮派が多いのですよ、実際。ここ五年で特に失効テクノロジーの基準が強化され、我々の勢力は大分削がれましたから」
「五年前……」
「ええ、ちょうどユウリさんが大学に通い始めた頃ですね」
悠理のナイフを持つ手が、ナノマシンの制御があるにも関わらず思わず強張った。
お前が。
お前たちが、
私から友達を奪った頃だろう。
「大学生活はどうでしたか? 市立大学は私の母校でもあります。首席卒のユウリさんと違って私の席次は六番目でしたが、楽しいものでしたよ」
「――二年ほどしか在籍しなかったのであまり思い出はありません。授業もほとんど通信講座でしたので」
「では公社内にあるキャンパスにも行ってないのですか? それはもったいないことをしましたね。あそこの学食の味は最高ですよ――おっと、こんなことを言うと今調理してくれているシェフに悪いですね」
「――我ながら華のない青春を送っていると、思います」
空々しい会話を続けながら悠理は考える。この夕食自体が誰かの罠だろうか? 例えば――社内では主に政敵としてしか関わり合わない親族たちとか。
継承権第壱位を保持していようとも、五年前までの悠理は何の脅威もないただの子供として見られていた。故に社内の骨肉の争いとも無縁でいられた。また主に母が権力の利害調整を担っていたのも大きい。だがその母が消え、悠理自身も無視できぬ力をつけ始めた。
悠理としては政争にかかずらう暇も意味も見出だせなかったので、身内の足の引っ張り合いからは距離を取り、仕事に打ち込んできた。だがそうやって名声を高めるほど敵は増えていき、気付けば悠理の所属する開発室ですらも孤立気味だった。
理生がそんな娘を見兼ねて、慰め、親子の絆を深めよう等と思っている――わけでは当然ないだろう。
悠理は内心の混乱を悟られぬよう苦労して会話を繋ぐ。幾つかの皿が下げられ、話題は移り変わり、シタビラメのムニエルにナイフを入れた時のことだった。ちなみに、四方を海に囲まれた澄崎市だが、〝蓋〟のせいで魚介類は非常に希少だ。これも遺伝子アーカイブから復刻したクローンのサンプルかもしれない。
優雅に白身を切り分けながら、理生が言った。
「来月の予定ですが……久方ぶりに休暇を取りましたよ」
「お父様が、ですか? 保養区にでも行かれるのですか?」
演技でなく本気で驚いた。悠理の記憶の中にある父は、常に仕事をしていた。いつ休んでいるのか疑問に思うほどの過密労働だ。悠理も現在の地位に着くまで、思えばずいぶんと無茶な働き方をしてきたが、そんなものがそれこそ『おままごと』に見えるほど理生は業務をこなし続けていた。
「ええ。行き先は保養区ではありませんが。祭りの見学を少々、ね」
「――ああ。なるほど」
7月1日の市政開始記念日には、毎年祭りがある。社内もその時期だけはどこか浮ついた空気になるものだ。そう言えばちょうど一ヶ月後か。
しかも今年は確か100周年記念で、かなり大規模にやるらしい。開発室の若い部下(悠理より年上だが)たちが既に色めき立っていたのを思い出す。市の財政も最近は火の車だろうに、豪気なことだ。
天宮理生が当主の立場として参加するのでなく、一私人として祭りを愉しむ様を想像するのは困難であったが、咎める者も止め立てする者もいまい。
しかしこの話をこちらに振ってどういう意図があるのだろう。まさか誘おうとするなんてことはないだろうが。毎年の祭りを悠理はまさに異世界の出来事として遠くから傍観してきた。
「ユウリさん、貴女の休暇も一緒に申請しておきましたので」
悠理の操るナイフとフォークがぶつかり、小さな音が鳴った。
今。なんと?
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