第6話:おまじない

 


「……大丈夫ですか?」



 急に声をかけられ、私は書類から顔をあげた。

 第二騎士団の宿舎へ来るのは今日で3回目だった。何もせずにいるのは忍びないので、事務仕事の手伝いを申し出たのだ。代わりに防衛力強化に関する技術を教えてもらうことになっている。


「脳みそまで筋肉の奴ばかりなので、大変助かります」とクライドは頭を下げた。その切実な口調に、やはり人手が足りてないのかもしれないと察した。


 ネイビーの瞳に尋ねるように目線を合わせれば、心配そうな声色で言う。



「何だか疲れているようなので」



 ぎくりと体が凍った。


 昨夜見た夢を思い出す。

 ひどい夢だった。ゴーシュを受け入れ、もう一度やり直そうと決意した日のこと。

 あの日がなければ今の自分も、おそらくサリオンもいない。人生の分岐点となった日。


 あの日は必要だったのだ。自身の罪を認め、前に進むためには。


 ──長い時間をかけて絞り出した結論だった。


 それでもあの日を思い出すと、汚れた油を無理やり飲まされたような、どろりとした感情が臓腑の奥で淀む。


 ゴーシュが死んでから、私は悪夢に連日うなされていた。『お前の罪を忘れるな』と言われているような気がした。


 顔が一瞬こわばったのを見逃さなかったのだろう。

 クライドは「少し休憩しましょう」と微笑み、入り口近くの棚に置いてあった水差しからコップに水を注いだ。

 礼を言い受け取ると、ふわりとレモンの香りが漂った。



「気づきました? 水にレモンを浮かべると、さっぱりしていいとアナベルが教えてくれたんです」



 ほのかな酸味が、体の疲労を癒してくれるような気がした。

 私の向かいの椅子に座り、クライドも水を嚥下した。そして「大丈夫ですか?」と再度問われる。不思議な人だと私は思う。全てを喋って、頼ってしまいたくなるような気持ちになる。



「最近、悪い夢を見ることが多くて」

「悪い夢……」

「過去の失敗や後悔、そういったものを煮詰めたような、夢です」



 濁して答えたが、「あぁ」とクライドは合点言ったように頷いた。

 予想外の答えに目を丸くすれば、「よく分かります」と彼はまつ毛を伏せながら言った。



「クライド様もそういう夢を?」

「長いこと生きていると、悔いばかりが残りますね」

「……そうですね」



 私はコップの淵に目線を落とした。

 すると彼は立ち上がり、仕事机の方へと歩いていった。そして引き出しをゴソゴソと漁りながら、「あぁ、あった」と独り言のように呟き、再び目の前にやってくる。



「よかったら、こちらを」



 彼の手にあったのは、白い紐で繋がれた真鍮の鈴だった。



「鈴?」

「えぇ、西側の国に『枕元に鈴を置くと悪い夢を見なくなる』というおまじないがあって。藁にもすがる思いで買ったんすよ」

「効果はあったのですか?」

「えぇ。子供騙しかと思っていましたが」



 鈴を手渡される。チリリ、と手のひらの上で鈴が鳴った。



「でもよろしいのですか? そんな大切なものを」

「もう使っていないので」



 クライドは唇に弧を描いた。その笑みに心がほぐれていくのを感じながら、「ありがとうございます」と礼を述べた。



「あなたが、もう怖い夢を見ませんように」



 やさしい声だった。

 こんな自分には身に余る言葉で、思わず涙が出てしまいそうだった。


 少しだけ開かれた窓の外を見る。昼間の太陽の光を浴びて、木々が嬉しそうに輝いていた。




 *




 夜、私はベッドの上で本を読んでいた。

 眠気はあるが、眠ってしまえば悪夢を見るかもしれない。体をじわりじわりと蝕むような葛藤が支配していた。

 目の前が霞んでいくのを感じ、眠気が限界を迎える。本を閉じ、目を擦りながら、チェストの上に載せる。そして真鍮の鈴を手に取った。


 紐を持って揺らせば、チリリと、透き通った音ではなく、どこか鈍い音が響いた。


『長いこと生きていると、悔いばかりが残りますね』


 寂しげに呟いた声が蘇る。


(クライド様でも、後悔することがあるのね)


 まだ3回しか宿舎へは行っていないが、会うたびに魅力的な方だと実感した。


 男らしい体つきと鋭い目つきで、はじめは威圧感を抱くこともあったが、冗談めかした発言や朗らかに笑う様子など茶目っ気ある部分も垣間見える。一度、離縁したことがあるとアナベルから聞いていた。おそらく結婚する前も、離縁した今も、たくさんの人に言い寄られているだろうと容易に想像ができた。


 事務作業をしながら交わした会話を思い出す。


 40近くになると体力や身体能力の衰えを理由に、ほとんどの騎士が辞めてしまうらしい。騎士団に所属していた経歴を活かし、貴族の屋敷の警護など、安全な仕事に移るそうだ。中には騎士団での働きを認められ、貴族籍を授与され、悠々自適に暮らす人もいるらしい。

 そんな状況の中でもクライドは未だ騎士団長として働いていた。



「騎士団長という名前自体は華やかですが、面倒なことも多くあって」



 第一騎士団からは「野蛮な奴ら」と皮肉をぶつけられ、民からは警備が手薄じゃないのかと苦情が入る。若いとそれだけ人脈もなく、やっかみを受けることも多いそうだ。過去には心労で辞職してしまった例もあるらしい。



「戦闘のストレスと、人間関係のストレスは種類が違いますから。若い騎士がつぶされるくらいなら、自分が傘になればいい」


 年齢を理由に、前線にはもう出ておらず、裏方に徹しているそうだ。「個人の得意分野にあわせて班を決めたり、他国のノウハウを導入することで、効率的に守ることもできますから」と彼は微笑んだ。


 身体的に貢献はできない。ならば代わりに、裏方の部分で彼らを支えたい。

 そう語る彼の決意を見て、私も領主として精一杯できることをやろうと勇気づけられた。


 そんな彼の抱く後悔は、どんなものなのだろう。


 一瞬だけ思案してやめた。自分のどろりとした醜い過去が蘇ってしまったからだ。

 鈴を枕元に置き、ランプを消し、布団に潜る。


『あなたが、もう怖い夢を見ませんように』


 ふわりと煙のように漂うクライドの声を抱きしめる。

 襲ってくる恐怖の中で、彼の声だけが暖かい一筋の光のように輝いていた。






<第4回 エクレア同盟会議>




「エレオノーラ様、大丈夫かしら」



 ある日の放課後、バラ園のテラス席でわたしたちは座っていた。

 本日4回目の『エクレア同盟会議』である。指を組みながら、エレオノーラ様のことを案じた。


 叔父の仕事部屋はいつも窓が少し開かれている。前に「空気がこもってて、こんなんじゃ集中できないわ!」と怒ったところ、空気の入れ替えのために開けてくれるようになったのだ。

 その開かれた窓から盗み聞きをしていたわたしたち。見つかる心配もあったが、あの天然の2人なら騙せるだろうと高を括っていた。




「まさか悪夢を見ていたなんて……」

「知らなかったの?」

「うん。僕には話してくれなかったけど」



 寂しげに呟くサリオン。



「エレオノーラ様はきっとあなたには心配させないようにしていたのよ」

「……分かってるよ」



 頭の中では理解しているのだろう。しかし腑に落ちていないような口調だった。

 わたしはため息を隠した。前にクラスメイトから「マザコン」と呼ばれていた理由がわかった気がした。どのクラスメイトに対しても分け隔てなく穏やかな態度を崩さないサリオン。しかし母親が絡むと一気に感情が乱れる。彼に嫉妬している者からしたら、母親の話題は噂話としてはうってつけなのだろう。


 話題を切り替えるように明るい声を出す。



「そろそろデートとかしたいわよね!」

「それは……難しくないか?」



 サリオンの指摘に、わたしは「うっ」声を詰まらせた。


 共に伴侶がいない男女がほぼ密室の状況にいるというのに、空気が甘くなることは一切なかった。話すことといえば世間話か、書類についての疑問や不備などの事務連絡。あれではせいぜい上司と部下である。


 何か1つきっかけがあれば……腕組みをしながら悩むわたしに、クラスメイトたちのはしゃぐ姿が記憶をかすめた。会話の内容を思い出し、案が浮かぶ。



「『星降りの祭り』に連れ出すのはどう?」

「あぁそういえば、もうそんな季節か」



『星降りの祭り』はタランティア王国で行われる最大のお祭りだった。


 光り輝く星が落ちて建国されたという逸話を持つタランティア王国。そこから生まれたお祭りである。

 願いを込めながら火を灯したろうそくを、ランタンの中に入れ、王都近くの大橋を渡るというものだ。ランタンを持って渡り切ると、星のエネルギーが体内に満ちて願いが叶うとされている。


 昼間にはたくさんの屋台で賑わい、街には星を象った飾りが施される。




「サリオンはエレオノーラ様を、私はオジさまを誘って、偶然を装って街中で出会う」

「そして自分がアナベルと2人で祭りを楽しみたいと言えば……」

「そう! 2人きりでお祭りデートができるわ!」

「……偶然すぎて怪しまれないかな?」

「あの2人が勘付くと思う?」

「それもそうか」



 サリオンが頷く。ここにはいないクライドとエレオノーラは同時にくしゃみをした。



「『エクレア同盟』の次の目標は、お祭りデートよ!」

「おー!」



 2人で拳を突き上げる。30を超えた天然2人の仲を進展させるのが目的だが、クラスメイトとお祭りを楽しめることも嬉しくて、わたしの心は踊っていた。



 *



『星降りの祭り』の日がやってきた。

 天気は雲ひとつない快晴。絶好のお祭り日和だ。



「わ、わー! 偶然ね!」



 わたしは唇の端をひくひくさせながら叫んだ。サリオンはわたしの演技を見て吹き出しそうになっていたが、ぐっと堪えて笑顔で片手を上げた。

 わたしたちが待ち合わせに選んだ場所は、王都の大通りから少し外れた評判のいい紅茶専門店だった。商人の娘であるクラスメイトから教えてもらっていたのだ。


 数日前から「気になっている店がある」とわたしは叔父に、サリオンはエレオノーラ様にそれとなく伝え、祭りの時に見に行こうと話をつけていた。


「2人なら気づかない」と高を括っていたが、実際に決行すると大分無理がある作戦な気がしてきた。背中に冷たい汗を書きながら、わたしたちは目配せをする。

 するとエレオノーラ様は両指を合わせながら華やかな声で喜んだ。



「クライド様、アナベルさん、偶然ですね! お会いできて嬉しいです」

「えぇ、本当に」



 2人とも和やかな雰囲気で会話を進めている。この出会いが偶然だと信じて疑わないような口調である。

 わたしたちはほっと胸を撫で下ろす。サリオンはエレオノーラ様の方を向き、照れくさそうに言った。



「あのさ、母さん、アナベルと2人でお祭りを見に行ってもいいかな?」

「! もちろん!」



 両手で口を抑え、目をきらきらとさせるエレオノーラ様。完全に『息子の恋路を見守る母親』である。

 その無邪気な笑顔に、若干の罪悪感を抱いているのだろう。サリオンは表情を一瞬だけ固くしたが、すぐに普段の穏やかな笑みを浮かべ、わたしと向き合った。



「一緒に回ってもいいかな? アナベル」

「も、も、もちろん!」



 自然な笑顔を浮かべるサリオンと、不自然極まりない笑顔を浮かべるわたし。

 ちらりと叔父の方を見れば、「楽しんできなさい」と目を細めた。


 手を振りながら、サリオンと共にその場を離れる。

 彼らの声が聞こえない位置まで歩いたところで、「作戦成功ね!」「本番はこれからだよ」とわたしたちはささやき合った。


 2人を出会わせることはできた。次は、尾行作戦である。

 その時、目の端にカラフルな店が目に留まった。思わず声に出す。



「サリオン、あれ見て! ドーナツだわ! 食べたい!」

「アナベルさん……?」



「普通に祭りを楽しんでないか?」とセリフが聞こえたような気がしたが、色とりどりのドーナツが魅力的すぎて、あいまいに返事をすることしかできなかった。


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