第3話:騎士団長との出会い
「エレオノーラ様、こちらの書類を」
「ありがとう」
ターンカール領の領主であるゴーシュが死んだため、領地経営業務が滞るかと思いきや──全くそんなことはなかった。
彼は名ばかりの領主であり、陰で業務を回していたのは、私や秘書のネルゲイだったからだ
先代からヴィリアント家に仕えているネルゲイは、皮肉っぽく言った。
「悩みのタネが1つ消えて、むしろ仕事が進みますね」
「……不謹慎よ」
さすがに主人の死を肯定することはできず、一応、非難の言葉を口にする。ネルゲイは肩をすくめた。
ネルゲイの苦労を察すると同情しか生まれないため、彼を咎めることはできなかった。
両親の多額の借金で没落したところを先代に拾われ、生涯をヴィリアント家に尽くすと決めたネルゲイ。まさか人格者の両親から、ゴーシュが生まれるとは思ってもいなかっただろう。仕事は全くせず、女遊びや散財も激しく、気に入らないことがあれば癇癪をあげる。
(私が屋敷に来たときも、苦労をかけてしまったし……)
私が領主業務に携わり約15年、今ではそれなりの働きをしていると自負している。しかし、屋敷に来たときはゴーシュと同じように横柄に振る舞っていた。
私が改心する半年の間に、使用人たちが何人もやめた。その間、屋敷の管理や領地を回していたのはネルゲイだったという。
白髪だらけの黒髪と、くっきりと皺が刻まれた頬。心労のせいか実年齢より老けてしまったネルゲイの顔を見て、申し訳なくて思わずまぶたを伏せた。
ふとノックの音が聞こえた。
扉が開くと、サリオンが入ってきた。「どうしたの?」と問えば、「母さん、今週末ってあいてる?」と返された。
ネルゲイの方をちらりと見れば、すぐに「午後なら」と返事がくる。
「第二騎士団の宿舎へ行かない?」
突拍子のない提案に、私は首を傾げた。
「別にいいけれど……。第二騎士団の宿舎なんて、関係者でもない私が入れるのかしら」
「そこは大丈夫。クラスメイトに騎士団長の姪っ子がいてさ。許可を取ってくれるって」
「それならいいけど。急な話ね?」
サリオンから騎士に興味があるなどと聞いたことはない。
何の思惑があるのか全く掴めず、ペンを唇にあてた。サリオンは両手を広げて説明する。
「ほら、領地も防衛力を強化した方がいいでしょ? 王国騎士団の訓練を見れば、何か参考になる部分もあると思うんだ」
「確かに。民が安全に暮らしていくには必要ね」
「なるほど」と納得し、同時に「もうこの年で領地の民について考えているのね」と感慨深くなる。ネルゲイと目を合わせ微笑み交わす。「この子ならきっと領主を任せても大丈夫ね」と両者の意見が一致した。
そんな私たちを見て、サリオンは何故かバツの悪そうな、あいまいな笑みを浮かべていた。
*
「何だか想像と違う……」
「ほんとね……」
第二騎士団の宿舎は、ターンカール領から馬車で1時間ほどの場所にあった。
王国の騎士団というからには、派手でなくても、最高級の宿舎が用意されていると予想していた。
しかし目の前の建物は、一言で言ってしまうと、寂れた灰色の大きな箱だった。装飾なども何も施されていない。固められた石灰の壁には何本も割れ目が走っており、雨風にさらされているからか、色褪せや老朽化も進んでいた。しかも修繕されたり、塗り直しされた跡もない。
建物の入り口へ向かうと、キャラメルブラウンの髪をポニーテールにした少女が立っていた。こちらに気づき、駆け寄ってくる。
「ここまで来てくれてありがとう、サリオン。お初にお目にかかります、エレオノーラ様。アナベル・ドンフェルセンと申します」
「エレオノーラ・ヴィリアントです。お招き、ありがとうございます」
私は頭を下げる。
顔には出さなかったが、内心アナベルの所作に舌を巻いていた。この年齢ですでに動きが洗練されている。顔立ちも美しく、気が強そうな目元や、自信にあふれた表情など、人目を惹きつけるような魅力がある。将来はおそらく、社交界の華になるだろう。
制服のスカートを翻しながら、建物の奥を手のひらで指し示す。
「どうぞ、ご案内します」
「勝手に入っていいの?」
「へーき、へーき。私がフリーパスみたいなものだから」
軽口を言い合う2人に目を丸くする。サリオンとの日常会話ではアナベルの話は一切出てこなかったはずだ。いつの間にこんなに仲良くなっていたのだろう。
外観と同じく、建物の中も老朽化が進んでいた。壁には何本も亀裂が走っている。さらに掃除が行き届いていないのか、どこかホコリっぽい匂いがする。
5分ほど歩くと、1番奥の部屋へと辿りついた。灰色の分厚く頑丈そうなドア。何度も出入りしたのだろう、真鍮のドアノブは色褪せていた。
アナベルは「オジさま、来ました!」と明るい声で入っていった。彼女の後に続いて部屋に入り、目を見開いた。
まず驚いたのは書類の多さだった。机の上だけではない、床にも書類が積み上がっていた。いつ崩れてもおかしくはない。人手が足りてないのかしらと勝手に心配してしまう。
壁際には天井まである本棚があり、軍事関連の書物が並んでいた。
「オジさま」と呼ばれた男は、気だるげにこちらに目を向けた。
年は40代半ばだろうか。白髪まじりのキャラメルブラウンの髪を短く刈り上げている。切れ長のネイビーの瞳は、利発さと冷静さを兼ね備えており、どこか冷たい印象を受けた。座っているが、首の太さや肩幅から鍛えられた体が備わっているのが一目で分かる。
彼はサリオンと私の姿を捉えると、「あぁ」と納得したように相槌を打ち、立ち上がった。
騎士団長と聞いていたため、体格がいいだろうとは予想はしていたが、目の前にすると想像以上に迫力があった。20センチほど差があるのだろうか。首を持ち上げ、上目遣いで見つめる。
彼は目を細めた。冷たい印象だった瞳がやわらかな雰囲気を漂わせ、目の端に小さな皺を作った。
「はめまして、第二騎士団長を務めています。クライド・ドンフェルセンと申します」
「はじめまして、エレオノーラ・ヴィリアントと申します。本日はお忙しい中、お時間をいただき感謝いたします」
ワンピースの端を持ち、頭を小さく下げる。続いてサリオンも挨拶が終わると、アナベルは両手を軽く叩いた。
「オジさま! サリオンを案内してくるわ!」
「? 一緒に行けばいいじゃないか」
「え、えっ、と、あれよ! 学園の課題についても聞きたいから!」
笑顔を固くして、サリオンの腕をガシッと掴むアナベル。そのまま逃げるように2人は退出した。
灰色のドアがしまる音が響き、気まずい空気が流れた。まさか2人きりになるとは思わなかったため、会話の糸口が見当たらない。沈黙をやぶったのは彼の方だった。
「もしよろしければ、宿舎内を案内します」
「よろしいのですか? お仕事中では……」
机や床に積み上げられた書類にちらりと目線を向けると、困ったように笑う。
「ずっと座りっぱなしというのも体が凝ってしまうので」
「そういうことなら」
「お願いいたします」と会釈すれば、目尻に皺を寄せて微笑んだ。そして洗練された動きで扉を開いた。そこで気づく。アナベルの年不相応の優雅な動きは彼から学んだものなのだと。
*
「古い建物であまり面白味がないのですが……」
「その……失礼を承知で言うのですが、王国騎士団というからには、華美な建物をイメージしておりました」
「第一騎士団の方は確かにそうですね。ここ第二騎士団は、平民や五等爵の下位貴族から成り立つ組織ですから」
なるほど、そういうことか。と心の中で頷く。
第二騎士団と比べ、高貴な身分の者で構成された第一騎士団。護衛する場所は王宮周り。王国外と比べても危険は少なく、また豪華な宿舎で過ごすことができる。あからさまな差に少しだけ眉根を寄せた。
そして一歩手前を歩く男の横顔を盗み見る。彼も平民か下位貴族なのだろうか。
建物の外に出て数分歩くと、開けた場所に出た。
そこでは甲冑を被った男たちが訓練に励んでいた。盾を持つ男にひたすら剣で斬りつける者。複数人の攻撃をかわし、時には受けながら反撃を伺う者。怒声が飛び交い、剣と盾がぶつかる金属音が鳴り響く。
「ここが訓練場です」
「すごい……」
ターンカール領にも騎士たちはいるが、動きがまるで違っていた。
どのような訓練をし、訓練によってどのような効果を期待しているのか。浮かんだ疑問をぶつければ、クライドは一瞬だけ目を丸くしながらも、丁寧に説明をしてくれた。
彼の説明はわかりやすかったが、情報量が多すぎる。「紙とペンを持ってくるべきでした」と呟けば、「何度でも説明しますよ」と穏やかに返された。
そこで奥のテントから1人の男が駆け寄ってきた。
「団長! お疲れ様です!」
人懐っこい笑みを浮かべた男は、自分の姿を見て「こんにちは!」と元気よく挨拶をした。子どもの頃に飼っていた大型犬を思い出し、微笑ましい気持ちになりながら、挨拶と自己紹介を述べる。
クライドが訓練の進捗を聞けば、大型犬のような騎士は書類を見ながら報告を繰り返した。クライドのことを尊敬しているのだろう、声には忠誠心が含まれていた。
聞き耳を立てていると、どうやら連携の布陣について話しているらしい。確かにパターン分けをして対応できれば効率化が図れる。この辺りもあとで詳しく聞こうと頭の隅でメモをした。
話が終わったのだろう。クライドは申し訳なさそうな顔をして、「すみません」と謝った。
「いえ、仕事場に押しかけたのはこちらですから」
笑顔で対応すれば、礼を言うようにこくりと頷いた。
訓練場を後にし、歩きながら他の部屋の説明をしてくれる。
「ここは会議室、向こうは食堂ですね」
「騎士の皆さんはたくさん食べそうですね」
「えぇ、騎士よりも食堂で働く人の方が過酷かもしれません」
おどけて言う冗談にくすくすと笑う。
なんだか不思議な人だ、と短く刈り上げた後頭部を見ながら思う。こちらの緊張をゆるりとほどき、ほっとするような安心感がある。
長年共にいたゴーシュからは一切得ることができなかった感覚だった。
私とゴーシュは20歳、クライドとは10歳ほど離れている。彼らを比べると、人を作り上げるものは生きた時間だけではないと痛感させられる。
最初に訪れた部屋の前に戻ってきて、彼は言う。
「以上で簡単ですが、案内は終了です」
「ありがとうございます。大変参考になりました」
「いえ……」
変な間があった。
言いづらそうに視線が地面あたりを彷徨う。小首を傾げて言葉を待っていると、意を決したように彼は言った。
「あの、少しお話をいいですか」
「はい」
緊張が走る。何を言われるのか見当もつかない。
彼は口を開いた。
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