悪役令嬢はやり直せない 〜おじさま騎士団長と改心した淑女〜

海城あおの

第1話:夫の病死と15年前の後悔



「やっと死んだか、クソ親父」

「……サリオン」



 悪態をつく少年──サリオン・ヴィリアントをたしなめる。


 今朝、ヴィリアント家の主人であるゴーシュが亡くなった。長年の飲酒と喫煙が体を蝕んだ結果だった。

 参列者がいなくなった教会を見渡す。亡くなった『ターンカール領の領主』に付き合いで花を供えてきた人は大勢いた。しかし泣いている者が1人もいない、ひどく乾いた葬式だった。


 椅子から立ち上がり、棺の中を覗き込む。ゴーシュは穏やかな表情を浮かべている。出会ってから17年ほど経つが、こんな安らかな表情は見たことがなかった。複雑な気持ちを抱きながら、皮肉めいた笑みを浮かべる。供えられたユリの花の匂いが、強く鼻腔を突いた。


 サリオンと共に、教会の外へと出る。

 橙色のポピーが、風と共に揺れ、咲き誇っていた。


 穏やかな日だった。雲ひとつない空を見上げながら、ゆったりとした風に目を細める。

 ふわりと花の香りがくすぐった。思わず頬がゆるむ。百合は美しい花だと思うが、匂いが強くて少し苦手だった。春の野に咲く、名もない花の方がいい。


 頬にあたる風を楽しんでいると、こちらに向かってくる小さな人影が見えた。

 子どもが3人、後ろから年配の女性が慌てたようについてくる。



「エレオノーラ様!」



 先頭を走っていた女の子が、名を叫びながら駆け寄ってきた。

 私はしゃがみ、目線を合わせながら「どうしたの?」と問う。子どもは丸い大きな瞳に涙いっぱい溜めながら呟く。



「シスターがね、エレオノーラ様が、元気ないかもって……」

「す、すみません」



 後ろからついてきた修道服を着た年配の女性──リシアは息を絶え絶えにしながら謝罪する。



「ゴーシュ様が亡くなったことを伝えたら、『エレオノーラ様のところへ行く!』と聞かなくて……」

「だって、だって、家族が死んじゃうのって、悲しいことでしょ?」

「そうなの……ありがとう」



 目の前の子どもたちはみな、同じような表情を浮かべていた。

 こちらを案じるような瞳を見て、胸の奥から熱いものが突き上げた。


 彼らは戦争や病気、何かしらの理由で両親がいなくなり、孤児院で育った子どもたちだった。私はそんな彼らのために、寄付だけではなく、文字や計算などを教えていた。私が孤児院へ行くたびに、子どもたちは鈴が転がるような声で名を呼び、懐いてくれていた。


 彼らの頭を順番に撫でていく。


 幼くして両親と離れ離れになり、家族の愛情を知らずに育ってきた。

 孤児院のシスターであるリシアは、子どもたちへ絶え間ない愛情を注いではいる。しかし両親からの愛情を一身に受けた子どもと比べれば、寂しい思いもさせているだろう。

 それでも彼らは家族を亡くした自分を偲び、ここまで来てくれた。その気持ちが何よりも嬉しかった。


 彼らが帰ったあと、やり取りを黙って見ていたサリオンは口を開く。



「優しい子たちだね」

「えぇ、本当に。リシアが愛情をもって子どもたちに接してくれているおかげだわ」

「それもあるけどさ。母さんのおかげでもあるよ」

「私は、何もしていないわ」



 ぽつりと呟く。教会が建てられた丘からは、ヴィリアント家が治めるターンカール領が一望できた。


 大切な民たちが暮らし、生きている街。


 夕日が街全体をオレンジ色に染め上げていて、何時間でも見ていたくなるほど見事な景色だった。


 サリオンは独り言のように呟く。



「親父も死んだことだし、新しい恋でもしてみたら? 母さん」

「……私にそんな資格はないもの」



 苦笑しながら言う。


 白い花で埋め尽くされた棺を思い出す。

 ゴーシュの最期に立ち会った時に浮かんだ感情を、何と名付ければいいのだろう。

 さまざまな感情が無秩序に混ざり合い、煮詰めたようだった。もしあのときの感情を飲み干すことができるなら、ものすごく不味いスープだろう。感情の大半はネガティブなものだからだ。


──ろくでもない男だった。


「クソ親父」とサリオンが吐き捨てるのも、強く咎められないほどに。


 しかし彼に出会わなければ、自分の人生はここまで変わっていなかったのも、また事実なのだ。



「ゴーシュも私も、根っこの部分が一緒なのよ」

「そんなことないと思うけど」



 不機嫌そうにサリオンは言う。長い前髪の奥から金色の瞳が、じっと見つめていた。

 息子のまっすぐな目線を直視できなくて、そっと視線を外す。


 私は何も答えなかった。あいまいに微笑み、夕陽に染まる街並みをずっと眺めていた。




 *





 私は暗闇の中、ぽつんと立っていた。


 ここはどこだろうと見渡すと、女の子が立っていた。

 艶のある黒髪をピンクのリボンで2つ結びにしている。仕立てのいいワンピースを翻しながら、満面の笑みで踊った。



「宝石も、お洋服も、ケーキも、ぜーんぶ! エレオノーラのもの!」



 無邪気な声に、ガツンと殴られるような衝撃が走った。


(昔の、私)


 タランティア王国の公爵令嬢として生まれた自分。

 東の国で採掘できる珍しく大きな宝石も、フリルやレースがふんだんに使われたドレスも、新鮮なフルーツをうんと使ったケーキも、望めば何もかも手に入った。


 家は兄が継ぐことが決まっていた。

 公爵家の末っ子として生まれた私は蝶よ花よと育てられ、自分を中心に世界が回っていると本気で信じていた。


「パパもママも、メイドもね、私の言うこと何でも聞いてくれるの!」

「私はね、天使みたいにかわいいんだって!」

「だから、ぜんぶぜんぶ私のものなの!」



 豊かさを当然のように享受している自分を見て、叫ぶ。


「違う、違う……! それらは民が、汗水流して稼いで、治めたお金から得たものよ……!」


 しかし彼女のダンスは止まらない。髪のリボンや、ドレスのレースが、叫ぶ私をあざ笑うかのように揺れていた。


 宝石もドレスもケーキも、空気のように当たり前のようにあるものじゃない。草木のように自然と生えるものではない。


 何度訴えても彼女の耳に入ることはなかった。

 赤らめた顔で歌う幼い自分を、絶望しながら見つめ続けることしかできない。


 ふっと女の子が消え、次に現れたのは、赤茶色の髪の毛を三つ編みにした少女だった。タランティア王立学園の制服を身につけている。

 彼女は顔をぐちゃぐちゃに歪ませたあと、額を床につけ、震える声で懇願した。



「申し訳ございません、エレオノーラ様……」



 何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す。

 ひゅっと息が詰まった。

 過去に犯した罪が生々しく蘇り、私の首を絞めようとしていた。


 すると少女は消え、金髪の青年が現れる。私の元婚約者だった男は、何か恐ろしいものを見るような目をしている。



「エレオノーラ……君とは、もうやっていけない」



 絶望をにじませた言葉とともに消えた。

 奈落に落ちていきそうな虚無感を抱いていると、大勢の人が私を囲むように現れた。顔は暗く、見えない。しかし口元が楽しそうに歪んでいるのは分かった。



「いくら何でもやりすぎよ」

「社交界でも噂になってるわ」

「まるで、アレね」


「物語の、悪役そのもの」



 名も知らない人々の陰口が針となり、全身に突き刺さった。痛みから逃れるように、人混みを駆け抜け、走って、走って、走って、足がもつれた。荒く息をつきながら、目の前を見ると、両親が立っていた。幼い私に「天使のよう」と褒め称えた両親が、今は、激しい怒りを隠さずにこちらを見下していた。



「エレオノーラ、お前はやりすぎた……」

「家名に泥を塗るとは……」


「「──ヴィリアント家に嫁ぎなさい」」



 そう吐き捨て、両親は消えた。

 そして最後に出てきたのは、ゴーシュ・ヴィリアント。17年前に嫁いだ男だった。



──醜い豚のような男だ。


 それがゴーシュ・ヴィリアントの第一印象だった。

 腹には脂肪がのり、話せばタバコの匂いが容赦なく顔にふっかけられた。若い女を娶ることができた喜びを、一切隠そうとしない。にやにやと気色悪い笑みを浮かべていた。


 20近くも歳が離れているのに、精神年齢はまるで子供のようだった。


 ヴィリアント家に嫁いで数日は、屋敷は地獄のようだった。メイドが10人はやめた。

 玄関でも食堂でも所構わず、体を触ってこようとするゴーシュが気色悪く、暴言を浴びせた。それに腹をたてたゴーシュは近くにあった酒瓶やガラス製の置物を床に叩きつけて割った。


 怒声が屋敷に響き渡った。

 自分の体の中を、熱いドス黒い何かが駆け巡っていた。それから逃れたくて叫んで、壊しているのに、いつまでも逃れることができない。むしろ拘束され、痛みを感じるほどの息苦しさを感じた。なぜ自分がこんな惨めな思いをしなくてはいけないの。


 ある日、夜中に目が醒めた。


 喉がひどく乾いていた。ベッドの傍に置いてあったベルを鳴らすが、メイドたちが来る気配はない。もう一度強く鳴らしたが来ない。何度も何度も鳴らした。


 ベルを力任せに投げ、部屋から出た。

 使用人たちがいるであろう部屋へと歩を進める。主人がこんなにも呼んでいるのに来ないとは何事だと怒りに任せながら歩いていく。


 光が漏れた部屋が見えた。囁き声も聞こえる。私の怒りのボルテージがさらにあがる。こんな場所でサボっているなんて。


 囁き声の内容を耳で捉えると、私の怒りは最高潮になった。



「旦那様だけではなく、奥様まで横暴で……」

「まるで──鏡写しだ」



 鏡写し?


 あんな醜く太った男と、若くて美しい自分が?


 何を言われたのか分からず、心臓がドクドクと鳴る。

 握りしめた拳が震えるのがわかった。この部屋にいる奴ら全員クビにしてしまおう。その前に額を床にこすりつけるように謝罪させなければ。自分の気が収まらない。


 そして一歩、部屋へと近づいたとき、部屋のそばに飾られた鏡が目に入った。鏡に映った自分と目があう。



(誰よ、この女)



 使用人たちが身だしなみを整えるときに使う小さな鏡には、知らない顔が映っていた。

 額には青筋が浮き、眉根には皺が寄っている。白目が剥きでて、鼻の穴は膨らんでいた。

 奥歯を強く噛み締めたせいで、口元がひん曲がっている。顔全体が怒りで歪んでいた。


 その表情がまるで焼きゴテのように脳裏に刻まれ、ひっと悲鳴が漏れた。慌てて手のひらで口元を抑え、私は急いでその場を立ち去った。

 部屋に転がり込み、ドレッサーの鏡を見つめる。そこには恐怖で顔がこわばる女がいた。まるで化け物を見たような顔だ。瞼を伏せ、何度か深呼吸をし、もう一度見つめる。


 腰まで伸びた漆黒の髪と、紫の瞳。

 メイドたちの手が尽くされた髪は、艶めいている。紫の瞳は宝石のように神秘的な輝きを放っていた。

 瞳を覆い隠す長いまつ毛と、すっと筋が通った高く細い鼻筋。化粧を施さなくても小さな唇は色づき、潤んだ質感を保っていた。


 老若男女、誰もがうっとりと見惚れるような容姿。それが自分だ。

 鏡に映った顔が見知った容姿でほっと胸を撫で下ろす。

 しかし先ほどの脳裏に焼きついた顔が、フラッシュバックした。


 気づけば、ドレッサーの上に置いてあった陶器の小物入れを、鏡に向かって投げつけていた。けたましい音が部屋に響いた。粉々になったガラス。自分の荒い呼吸音がうるさい。


 ふらふらとした足取りでベッドに潜り込み、布団に深く潜った。焼きついた自分の顔を追い払うように目を強くつむる。嘘よ嘘よ嘘よ、あんなの絶対に私じゃない。何度も暗示をかけながらひたすら朝を待った。


『まるで物語の悪役』

『醜い豚のような男』

『旦那様とまるで鏡写し』



 嗤われている。

 たくさんの真っ白な仮面のようなものが自分を囲んでいる。仮面にはニタリと笑った赤い瞳と口元が刻まれていて、「くすくす」と悪意のある笑い声をたてながら私をあざける。


 うるさいうるさい。布団の中で耳を塞ぐが、頭の中の声や嗤い声は一向に止まない。

 奥歯を力いっぱい噛み締め、涙がどんどんあふれてきた。


 地獄のような一夜が明け、太陽が昇った頃、控えめなノックが響いた。ベッドで答えられずにいると、「エレオノーラ、さま?」とおずおずとした声でメイドが入ってきた。


 無惨な姿になったドレッサーを見たのだろう。息を飲むような気配がベッドにいても伝わってきた。



「え、エレオノーラ様」

「……何よ」

「ひっ」



 メイドの小さな悲鳴が聞こえた。眠れぬ夜を過ごした私は布団から出て、ベッドに座り込んでいた。髪はボサボサで、瞳の下にはクマができているだろう。こんな酷い格好をメイドに見せなくてはいけないのが腹立たしかった。


 小柄で茶色の髪を2つ結びにしたメイドは、青ざめた顔で「申し訳、ございません」と謝罪した。頭を下げ、重なり合った手のひらは震えていた。



「……いいから、それ、片付けて」

「は、はい! 今すぐ!」



 メイドは大慌てで部屋から飛び出し、5分も経たずに箒とチリトリを持ってきた。ドレッサー近くにしゃがみ込み、無言で粉々になったガラスを片付ける。


 カチャカチャとガラスがぶつかる音を聞きながら、私は胃から怒りが込み上げるのが分かった。気に入らない。びくびくと働くメイドが気に入らない。寝不足で頭が痛いし、体も痛い。なんでもいい。適当に理由をつけて、怒鳴り散らかしてやりたい。


 そう思い、口を開いたとき、再びあの言葉が蘇ってきた。


『鏡写しだ』


 唇を噛み締める。もう嫌だ。あんな醜い姿になるのは、絶対に嫌だ。


 拳を握りしめる。じゃあどうすればいいのだろう。この怒りをどう発散すればいいのだろう。


 ガラスの片付けが終わったのか、メイドはこちらを見た。

「ガラスを、片付けて参ります」と弱々しい声で言い、部屋を出る。メイドの足音が遠ざかる。拳を握りしめながら私は、ベッドの上から動けなくなっていた。




 *




 はっと目が覚めた。

 月明かりはほとんどないからか部屋は暗く、鳥の鳴き声だけが遠くから聞こえてきた。不気味な夜だ。


 私はベッドから降りる。チェストの上に乗った水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。冷たい水の感触が心を落ち着かせ、先ほどまで見ていたものが夢だと教えてくれた。


 ふるりと体が震える。湯浴みでもしようかと思ったが、夜中にメイドを呼びつけるのは気が引けてやめた。クローゼットからタオルとネグリジェを取り出す。汗で重くなったネグリジェを脱ぎ、タオルで全身を拭く。新しいネグリジェに袖を通し、上からガウンを着た。


 ふらふらとした足取りで歩き、窓際にあるソファーに腰掛ける。

 背もたれに寄りかかるようにして、窓の外を眺める。爪で引っ掻いたような月が浮かんでいた。



『新しい恋でもしてみたら?』



 今日の昼下がり、サリオンに言われた言葉を思い出す。長い前髪の奥から光る金色の瞳を、私は直視できなかった。


そのときに答えた同じ言葉を口に出す。



「私にそんな資格は……ないもの」


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悪役令嬢はやり直せない 〜おじさま騎士団長と改心した淑女〜 海城あおの @umishiro_aono

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