第12話 ジガンの技
十歳で初めて剣を手にしてから数多の魔獣を斬ってきたプルクラだが、キウリ・ペンタスとの立ち合いは“人間”と初めて剣を交えたものだった。
魔獣も“格”が上がるに連れて知能が高くなるので、こちらが驚くような戦術を駆使する奴もいたが、やはり“人間”は別格だ。積み重ねた修練の末身に付けた技と攻撃への対応力。キウリと立ち合ってみて、プルクラは自分がもっと強くなる可能性を感じた。
そして、何よりも技の応酬が楽しかった。この楽しさをもっと味わいたい。
ジガンという男はきっと強い。キウリが弟子入りするために態々“領都”からやって来るだけの価値があるのだ。その“領都”というのがどこにあるのかはよく知らないけれど。
十五年間黒竜の森で過ごしたプルクラだが、決して頭が悪いわけではない。
人間の常識には疎いが八千年培った経験と叡智を持つニーグラム。七十歳を迎えたレンダルは爺馬鹿だが、大魔導に数えられる程魔術への造詣が深く政治や経済にも明るい。二年足らずの付き合いであるアウリも、ツベンデル帝国の暗殺者教育によって幅広い知識を有している。
これらが身近に居た上に、レンダルが森の小屋へ持ち込んだ書物は千冊を超え、プルクラはそれらを全て読んだ。
だからその辺の盆暗貴族より豊富な知識と、それを基に答えを導き出す頭脳を彼女は持っている。
ただ、対人関係を含めて圧倒的に“経験”が不足しているだけなのだ。
その“経験”を、本能が補おうとしているのだった。
「…………その前に、勝負」
プルクラが勝負を口にすると、ジガンは苦い顔をした。
「……嫌?」
「別に嫌じゃねぇよ。怪我しても知らねぇぞ?」
「ん。だいじょぶ」
「じゃあさっきと同じ……いや、お前は三倍まで身体強化使っていい。俺は使わねぇから」
「ジガンが不利?」
「けっ! 教本と身体強化でごり押しの素人に負けるほど落ちぶれちゃいねぇよ」
「分かった」
レノ、ダレン、ギータの男の子三人組は、プルクラとキウリの立ち合いを見てから言葉を失っていた。キウリほど大柄な男はファルサ村におらず、その上剣の腕もジガンと良い勝負をするように見えた。
そのキウリを、自分たちとそこまで歳の変わらない、手足など自分たちより細いプルクラが圧倒したのだ。そして今度は、そのプルクラがジガンと立ち合う。彼らはジガンが負けてしまうのではないかと心配している。自分たちが師匠と仰ぐ男があんな華奢な女の子に負けるところなど見たくない。
木の傍から離れ、つい先ほどキウリと相対した場所にプルクラが立つ。木剣の切っ先は相変わらず地面を向いている。
対するジガンは構えさえ取らず、木剣を肩に担いでいた。
「さあ、好きに打ってこい」
「んっ!」
プルクラが矢のような速さでジガンの懐に潜り込み、下から斬り上げる。ジガンはそれに切っ先を合わせて軌道を逸らす。
体が流れそうになったプルクラだが左脚に力を入れて強引に踏み止まり、振り上げた木剣を斜めに斬り下ろす。今度は斜めにした木剣で受け流され、右側に体勢が崩れそうになる。
「良く言えば素直、悪く言えば馬鹿正直。それじゃ俺に当てられねぇぞ?」
プルクラは体勢を低くし、膝から下と脇や喉を狙った攻撃を織り交ぜる。ジガンは最小限の動きと木剣でそれを躱す。身体強化三倍を使ってもジガンに攻撃が当たらない。
プルクラは歯を見せて笑った。楽しい、楽しい、楽しい!
プルクラが深く集中していく。ジガンと、彼が握る木剣しか見えなくなる。彼の一挙手一投足を見逃さないように、怒涛の連撃を繰り出しながらジガンの受け流しを観察する。
なるほど、木剣同士が当たる角度を絶妙に調整しているのか。それを頭で考えるのではなく、体が勝手に動いてこなしている。きっと気の遠くなるほどの回数、強者と打ち合ったに違いない。
プルクラの額に汗が浮かび始めた頃、ジガンの雰囲気が変わった。
「そろそろこっちからも行くぜ?」
ここまで一切、ジガンからは攻撃しなかった。周囲からは防戦一方に見えただろう。しかし一太刀も当てられず、受け流しによって体勢を崩され続けたプルクラの方が疲弊している、ように見えた。
(まったく。こいつは化け物か)
ジガンは内心焦っていた。プルクラの打撃は全く衰えていない。長引けば自分の方が先に疲れてしまいそうだ。レノ、ダレン、ギータが見ている前で無様を晒すわけにはいかない。大口を叩いた手前、プルクラに降参するのも沽券に関わる。
ジガンの受け流しは達人の域に達していた。単に攻撃を逸らすだけではなく、相手の動きを誘導して重心をずらす。普通ならそこで隙が生まれ、ジガンの反撃が決まる。
だがプルクラは体勢が崩れても瞬時に持ち直す。恐らく、身体強化三倍を体勢の立て直しに上手く利用しているのだ。それは簡単に出来ることではない。同じように重心をずらされる経験がないと対応出来ない筈だ。
(こいつの親父、相当な手練れだな)
ジガンはプルクラが父親から剣の手解きを受けたと思い込んでいるので、仮想父に敬意を抱かずにいられない。年端も行かない少女が自分と打ち合えているだけで驚きである。
普通の相手なら疾うに勝負がついている筈が、自ら攻撃に転じる羽目に陥るとは。ジガンの口端がにぃっと上がった。
(怪我すんなよ?)
プルクラの斜め下からの斬り上げを大きく弾く。同時に一歩踏み込んで神速の突きを胸の中心に放った。
体勢を崩されながらも、プルクラは自ら後ろへ跳ぶ。だがジガンの突きの方が速い。
「ぁう」
ごろごろと後ろへ転がるプルクラ。ようやく止まった時、喉に木剣の切っ先を突きつけられていた。
「……降参」
「うし。大丈夫か? 怪我してねぇか?」
見たところ黒い胸当てには傷一つなく僅かな凹みもない。だが、その下の胸骨か肋骨には皹くらい入っていてもおかしくなかった。それくらい、半ば本気でジガンは突きを放ったのである。
プルクラは徐に胸当てを外し、あろうことか上衣も脱ぎ始めた。真っ白な晒が目に飛び込んで来て、ジガンは慌てて後ろを向く。プルクラとジガンの立ち合いを見守っていた男の子三人組も素早く明後日の方角を向いた。アウリは風のような速さでプルクラに駆け寄り、自分の上着を掛けてプルクラの白い肌を隠す。
「ん、だいじょぶ」
晒の上から突きが入った場所を摩りながら呟いたプルクラは、念の為に晒も解こうとする。その手首をアウリが優しく握って止めた。
「プルクラ様。人目がある所でお胸を出してはいけません」
「そう?」
「はい」
「分かった」
上衣を着直し、父の鱗で作られた胸当てを矯めつ眇めつ眺める。艶やかな黒い表面には掠り傷すら付いていないのを見て取ったプルクラは、安堵すると共に誇らしくなった。さすが父の鱗。胸に届いた衝撃には少し驚いたが、怪我から守ってくれた。
胸当ても着け直し、ジガンの背中に声を掛ける。
「ジガン」
「な、なんだ? 服は着たのか?」
「ん」
ジガンはゆっくりと振り返る。目の端でプルクラがちゃんと服を着ているのを確認し、ようやく彼女の顔を見た。
「急に服脱ぐんじゃねぇよ。俺を罪人にしたいのか」
「?」
木剣を突きつけた少女が服を脱いでいる所を誰かに見られた日には目も当てられない。下手すれば捕まって牢獄行き。そうでなくても村での信用は地の底に落ちる。
勿論プルクラに悪意はない。黒竜の森では小屋の外でも着替えをしていたし、年頃の女の子が人前でやってはいけないことなど教えてくれる人はいなかった。常識がない、というのはつまりこういうことである。だからこそアウリが旅に同行しているのだ。
「次からは脱がない」
「是非そうしてくれ」
「ジガン」
「何だ?」
「ジガンの技、凄かった」
ジガンに自分の攻撃を悉く受け流されたプルクラは、やはり剣術を学ぼうと思ったことは間違いではなかったと確信していた。
小憎たらしいと思っていたプルクラから真っ直ぐな称賛を受け、ジガンは手の平を返すように彼女を気に入った。
「そうだろ! これでも剣術だけは自信がある。何せ三十三年間剣一筋だからな!」
「……ジガン、いくつ?」
「あ? 四十一だ」
「……フッ。まだまだ若輩者」
「はぁ!?」
八千歳を超えるニーグラムや七十歳になったレンダルに比べれば、である。
やっぱこいつ小憎たらしい、と思い直すジガン。
「そう言うお前はいくつなんだよ!?」
「十五」
「え……? その割にちっちゃくねぇ? その、色々と
プルクラがジガンの脛を蹴った。自分の容姿を同じ年頃の女の子と比べる機会はなかったが、何か馬鹿にされたような気がしたからだ。
「プルクラ様はまだまだ成長期です。これからどんどん魅力的な女性になるのです」
いつの間にかプルクラの後ろに立っていたアウリが補足する。その瞳からは光が失われ、短刀をジガンの首筋に突きつけた時と同じ気配を纏っていた。
「気配りや気遣いの出来ない男はもてない」
「くっ、ほっとけ!!」
剣術で圧倒しても、口では勝てないジガンであった。
*****
(儂、拡張袋の内職があるから帰っていいじゃろうか?)
プルクラが旅立って、ニーグラムが気落ちしているのではと心配して小屋を訪れたレンダルだが、ニーグラムに捕まって早五時間が経過した。
「もっとこう、手っ取り早く出来ぬのか?」
「あのなぁニーグラム。お主今まで魔術の“ま”の字も知らんかったじゃろ? いきなり転移なんて使える道理がないんじゃ」
プルクラが旅立つ前の一か月で「転移魔術」を習得しようと決意したニーグラム。だが片時も離れようとしない娘を蔑ろに出来ず、結局習得には至らなかった。と言うよりも練習すら行っていない。
黒竜の森から長期間離れられないニーグラムは、森を出て行ったプルクラを陰から見守るために転移を活用したかったのである。
「そもそも行ったことのない場所に転移は出来んぞ?」
「むっ」
森に帰るならまだしも、今プルクラが居る場所にニーグラムが訪れたことがなければ転移は出来ない。そんなことも知らず、この黒竜は転移魔術を習得しようとしているのか。レンダルの頭痛が酷くなった。
転移は超高度魔術であり、初歩的な魔術すら知らないニーグラムに教えるのは困難を極める。生まれたばかりの赤子に解析幾何学(高等数学)を教えるようなものである。
「なぁ、人化しておってもお主なら飛べるんじゃないかの?」
実質寿命のない黒竜なら、長い時間を掛けて本気で取り組めば転移魔術の習得も不可能ではないだろう。だがその前に儂死んじゃう、とレンダルは思った。転移ではなくても、目的地と黒竜の森を素早く行き来出来れば良いのだから、飛べばいいじゃん、と半ば適当に告げた。
埒が明かない議論に現を抜かすより、ブルンクスの借家に帰って拡張袋の一つでも作りたい。豊かな老後に金は不可欠だし、可愛い孫たち(プルクラとアウリ)にだって好きな物を買ってやりたいのだ。
「レンダル、お主…………流石だ! 人の姿では飛べぬと思い込んでおった」
「おぅ……それは僥倖。黒竜の時とは勝手が違うだろうから、あとは訓練あるのみじゃな!」
「うむ! では訓練してみるとしよう。お構いなしで済まなかったな!」
「構わぬよ。では儂も戻るとするかの」
こうしてニーグラムは、人化したままの飛行に挑戦し始めたのだった。
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