第26話 異世界の妙薬

実戦経験について、よく勘違いされている事がある。

相手を攻撃する。

例えば、相手が闘う気があろうがなかろうが。

無造作にその頭に、斧を振り下ろせる。

そういう、覚悟もまあ、実戦経験ではあるのだが。


それだけで、「実戦」の「経験」を得たつもりになっているものは、自分自身がそうされる覚悟がつかないのだ。

具体的には、自らの痛みへの耐性である。


戦いの興奮のなかでは、紛れる痛みも、ひとたび、戦いが終われば、ヒシヒシと身を苛んでくる。それに耐えて、再び戦いに挑めるのが、実戦経験なのだ。


見たところ。

ティーンは、この部分でも及第点だった。


「あの煙は、仮死状態におかれた蜘蛛でさえ、逃げ惑うほどの効果があるんだ。」


サリアは、コートの裏の試験管をまた混ぜ合わせて、汚液にしか見えないドロっとした液体を作っていた。

ポケットに“収納”がかかっているのか、取り出した清潔な布のうえに、ティーンは寝かされている。


全身、傷だらけだった。

致命傷になるような深い傷は、ひとつもない。ただ、全身、ほぼくまなく、傷のないところは皆無だった。



■■■■■


サリアの作り出した煙を浴びた蜘蛛は、壁に偽装することをやめた。

それほど、高度な知能を持たされていない彼らは、明らかにパニックに陥っていた。

こちらを襲うわけでもない。

逃げるわけでもない。

ただ、ただ恐慌状態で、暴れ回っていた。


そこに、ぼくらは突っ込んだのだ。


こんなことにも多少のコツは、あるのだろう。

サリアは、ほとんど、無傷。

ぼくは、両手両足をけっこう、深く切り裂かれたが、動けなくなるほどではなかった。


問題は、ティーンであって、ぼくらの中では一番小柄だった彼女は、暴れまくる蜘蛛の群れから、脱出するのに、ほんの数秒だが、余分に時間が、かかったのだ。


ぼくは、ティーンを担ぐようにして、とにかくそこから離れた。

蜘蛛たちは、こちらを追ってくる様子はなかった。

ただ、ひたすらに荒ぶり、ごちゃごちゃと駆け回り、だが、それでもお互いを故意に攻撃することは、なさそうだった。


これが、サリアの作りだした煙の効用である。


なら、最初からこの煙を使えば?

出てくる魔物が、ギムリウスの眷属である蜘蛛ばかりの第一階層では、無敵ではないか。



■■■■


「そうはいかない。」

と、サリアは、ティーンの肩の傷口に、汚液を垂らした。

ティーンは、顔をしかめた(ちゃんと意識はある。)が、あれ?という顔して、サリアを見上げた。


「痛みが和らいでる!?」


「これで、傷口の洗浄、消毒、痛みを和らげ、治癒促進も兼ねているんだ。外傷には、万能薬だよ。」

サリアは、すばやく、しかし、丁寧な手つきで、傷薬をティーンに塗り込んでいった。


「すごいな。」

「どっちが?

さっきの煙、それともこの薬のこと?」

「両方だよ。」

「お褒めいただき、ありがとう。でもどっちにも限界はある。

煙のほうは、蜘蛛たちを不安がらせて、バニックを起こさせるけど、殺せるわけでも、大人しくさせるわけでもない。おまけに、蜘蛛にはなんのダメージにもならない癖に、人体への悪影響が大きくて、ね。」


確かにそうだ。


ほんの少し吸い込んだだけで、ぼくの喉は酷いことになっていた。


「こっちの薬は、わたしが元いたところのレシピを改良して、作ったものよ。あそこは、ここと違って、治癒魔法が発達しておなくてね。

少なくとも戦闘中に発動できるような治癒魔法は、なかった。」


「その煙と、この薬だけで、ひと財産のろうな気がするけど。」


あらかた薬を塗ってもらった、ティーンは、体を起こした。

胸を隠しながら、壁のほうをむいた。

背中は、擦過傷だけだったが、ほぼ全面にわたり、出血していた。

そこに、サリアは、手早く薬を塗り込んでいく。


「大量生産できるだけの人手がないんだ。」

サリアは、とりわけ酷いところには、傷口を布にひたしたものを貼り付け、ボロボロになった革鎧を着せてやる。


蜘蛛のダンスに巻き込まれたそれは、だいぶ軽量で露出の多いものになっていたが、なんとかまだ鎧の形態を保っていた。


「それに扱いが、難しいんだ。基本的の直前に2つ以上の薬をまぜることになる。そのときに分量を間違えると」

「かえって、症状が悪化する、と?」

「いや」


サリアは、顔の前で、握った拳を開いて見せた。


「ボン、だ。」

「ボンって」

「爆発するんだ。」


ティーンの指が、サリアの首を絞めあげた。


「そんなものをわたしに処方したのかっ!」

「いや、大したもんだよ、効き目は。」


ぼくは、なんとかティーンを、サリアから引き離した。


「浅い傷とはいえ、全身の皮膚をあれだけ失った直後に、ひとの首を絞める元気があるとは。」


ティーンは、しぶしぶ手を離した。

たしかに、薬が効いたのは分かったのだろう。


「ヒスイ、おまえは大丈夫なのか?

蜘蛛に踏まれかけたわたしを助けて、運んでくれたたろう。」

「これでも、魔法のほうはオールマイティでね。」


ぼくは、にっこりと笑って見せた。

むかし。

本当に若かったころは、これでコロリといった町娘もいたのだ。ジウルの作ってくれた義体は、当時の容貌そのままのはずなのだが、ティーンは、なにも感じないように、なら良かった、と、つぶやいて、サリアに向き直った。


「これで、どのくらい時間を短縮できたんだ?」

「ざっと、半日。あの蜘蛛たちは、半時間もすれば、もとの壁に戻るから、誰も通れはしない。通常のルートを通って、半日かけてここに来るしかない。」

「ああ……ここはどこなの?」

「そこの扉をあけると、第二階層に降りる階段ある……通常、“溶岩湖”と呼ばれる空間に出る。」



ティーンは、立ち上がった。

薬が効いているのは、間違いないはずだ。

痛み止め、そして治癒促進効果もある薬とのことだったが、失った血も、皮膚の欠損もそこまで、回復はしていない。


それでも、立ち上がるべきであったから、立ち上がったのだ。


「行こう、ヒスイ。せっかく稼いだ時間だ。有効に使おう。」

「まだ、追っ手が誰かは言っていなかったと思うが」

「想像はつく。グリシャム・バッハだろう。わたしたちが撒いた情報に、どのくらい食いついてどのくらい時間が稼げるのかは、わからないが、やつには、組織がついている。

グランダの街も魔道院も、やつらの命令に、抵抗することはできないだろうし、な。」



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